[5-4]『門』での別れ


 番人の門には、例の魔獣が直立不動で待っていた。旅渡りょと券を持つ者を害することはないと頭でわかっているものの、隣を通り抜けるときには覚悟が必要だ。

 時刻は夕方に差し掛かる頃だろうか。

 監獄島の地理をよく知らないギアではあの岩場と門の位置関係はわからないが、島全体として見ればかなり近距離に思える。まさか日帰りできるとは思わなかった。


 歩きにくい山道と林と丘。通ってきた場所のお陰か、危惧きぐしていた島民との遭遇もなかった。

 この奇妙な幸運が続いているうちに、この嫌な島を出てしまいたい。そんな、少しの焦りがあったのは否めない。


「さ、行こうぜ」


 意を決して魔獣の横を通り抜け、前方にしつらえてある石造りの建造物に足を踏み入れる。斜め差しの夕陽を遮る建物の中は、少し湿っぽく涼しかった。

 中には三つの道があり、上方に向かう道は空路くうろの門へ、下方に向かう道は航路の門へと続いている。ギアたちが入るのは中央、魔法陣の門へと続く道だ。

 いずれの道も、旅渡りょと券なしで進むことはできない。


 道中とは違い、三人とも口をきかなかった。何かが襲ってくるわけでもなかったが、ギア自身も緊張していたし、帰ってからのことを考えてつい思考に沈んでしまっていたのだ。

 他の二人もきっと、そんなところだろうと思っていた。


 早足で短い通路を抜け、扉を開き、『ゲート』の魔法陣が設置されている場所までたどりつくと、ギアは旅渡りょと券を取り出す。来た時と同じように発動魔法語キーワードルーンを読み上げ『ゲート』を開けば、任務は無事完了、のはずだった。

 だからこそギアは、自分と残りの二人が魔法陣内に入るのを待ち、しっかりと目で確認して文面を読みあげる。

 足元の魔法文字列が発光し、支障なく魔法が発動した――、その、瞬間。


 不意に隣から手が伸びて、ギアが手にしていた旅渡りょと券をするりと抜き取った。

 思わず見、ギアは目を見開く。ロッシェが旅渡りょと券を持ったまま、光り始めている魔法陣の外に出たからだ。


「ロッシェ!?」

「行ってらっしゃい。ギア、ルウィーニ。僕の愛する娘をよろしく頼むよ」


 一瞬だけ弱まった魔法光は、それでも忠実にその効果を現した。何を言うにも、すでに間に合わず。

 次の瞬間には二人とも、ライヴァン城内の『ゲート』に立っていたのだった。





 

「――……ッ! 畜生――!!」


 起きた事態を飲み込んだ途端、ギアの口をついたのは怒りの絶叫だった。石造りの地下室に反響する自分の怒声は結構大きくて、少しだけ冷静さが戻ってくる。

 トントン、と肩を叩かれ視線を向ければ、ルウィーニの紅玉ルビーの双眸がじっと自分を見つめていた。


「申し訳ないが、どういうことかな。彼には娘がいるのかい?」


 まなじりに違和感を感じたので手の甲でこすりながら、ギアはルウィーニに説明をしようと口を開く。が、喉の奥にも何かが詰まっているような感覚がして、うまく声が出せなかった。仕方なく首肯を返す。

 ギリッと奥歯を噛みしめ、深く息を吸って気持ちを鎮めようとするが、無理だった。はらわたが煮え繰り返るとはこのことか。


「……あの野郎、旅渡りょと券を奪って行きやがった。畜生、あれじゃライヴァンから迎えを出せないだろうが!」


 元王族なら、ルウィーニもわかっているはずだ。監獄島への旅渡りょと券は、行って戻るまで効力が持続する。一枚発行すれば、その効力が保たれているうちは同じ王権で二枚目を発行することができない。

 この場合はロッシェが帰還して効力を失うか、破損もしくは処分によって一枚目が破棄されない限り、ライヴァン王権によって新しい旅渡りょと券を発行することはできないのだ。


「彼の家族は、娘さんのほかには?」


 ルウィーニの穏やかな声が、波だった心にしみていくようだ。ギアは呼吸と思考を落ち着かせようと深く息をつき、以前の会話から記憶を手繰る。


「奥さんは、今はいないらしい。詳しい話は、……結局聞かないままだったなぁ。あとは、うーん……」

「そうか。まあ、旅渡りょと券は持っているわけだから、帰るつもりならすぐ帰ってこれるけど、ね」


 思った以上に彼の背景を知らなかった自分に愕然がくぜんとするギアだったが、ルウィーニはそう引き取って穏やかに笑う。それは確かにその通りなのだけれど、ロッシェ本人にそのつもりがないことは、ルウィーニだってよくわかっているだろう。

 別れの直前に見たロッシェは、知り合った最初のときに浮かべていたのと同じ、何かを企んでいるような笑顔だった。

 あれは、再発行の制限も全部理解したうえでの、確信犯だ。


「親父さん、……戻ったかどうかって、王城ここでわかるんだっけか」

「効力が切れたのはわかるはずだよ。帰還か破棄かまでは、判別できないけどね」


 所詮は、組まれた通りに発効するだけの魔法道具なのだ。古代遺物というくらいなら、もっと何か手段があってもいいだろうに。

 腹立ちのあまり理不尽なことを考えつつあるギアは、どうにも気が治らず苛々を吐き捨てる。

 

「あの、死にたがり野郎……! ふざけんな、何が行ってらっしゃいだ、何がよろしくだよ!」

「ふぅむ。……ギア、今さらだが彼はいったい誰なんだい?」


 自分の情緒不安定さにも呆れたりせず、辛抱強く話を軌道修正してくれるルウィーニに、やっぱりラディンの父親なんだな、と妙に納得した気分でギアは考える。

 説明しようにも、自分が彼について知っていることはほとんどないのだが。


「ロッシェ、……ロッシェ=メルヴェ=レジオーラ。本人いないならバラしてやるぜ、アイツは王宮付きの暗殺者アサシンで、フェトゥース国王に心酔していて、執務室に入れるだけの信頼を国王から得ていて、……あと、何だっけかな」


 ミドルネームのメルヴェは階級を示唆するものだ。騎士ではなく領地を持たない小貴族、地方の名家……といったところだろうか。

 身分や出自については国王や騎士長に聞いたほうが確かな情報を得られるだろうが、この事態を報告せねばと思うだけで憂鬱ゆううつな気分になってくる。もういっそ泣きたいくらいの心境だ。

 黙ってギアの話を聞いていたルウィーニは、なるほどと相槌を打ち、考え込む。


「俺が思うに、彼は死ぬつもりはないんじゃないかな」

「……なら、いいんだけどな」


 殺せと言われて拒否したくらいなのだ、ギアだってそう願う。けれど、これまでの言動を考えると言い切ることはできなかった。

 ルウィーニは両眼を細める。口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。


「彼には、大切な娘がいるんだろう? なら、残して死ねないよ」

「……大切なら、勝手に監獄島へ居残るなんてそもそもナシだろ」

「動機についての憶測は控えよう。彼だって、一人で頭を整理したいだけかもしれないよ。いずれにせよ、誰かが自分で選ぶ運命に、他人は関与できないものだ。俺たちは今は、彼の期待にこたえることを考えよう」

 

 ルウィーニの提案は冷静で、理にかなっている。それでもあきらめきれず、ギアは遠い目をして思いついたことを思いついたままに言ってみる。


「飛び降りて脱出できたんなら、逆に崖をよじ登って潜入、もできるんかな」


 ルウィーニが目を丸くし、大声で笑いだした。


「それは……不可能ではないよ、理論上はね! しかし、あんな断崖を人間族フェルヴァーが登るのは無理さ。種族によっては何とか乗り切れるかもしれないが、今度は帰り道が飛び降りコースになってしまうよ」

「それも、そうか」

「建国王のように海の精霊獣ムルゲアと出逢えればいいが、仕組んでどうこうできるものではないからなぁ。エティアもそれを期待して海の神殿まで行ったそうだけど、結局逢えなかったようだし、何が基準なのか」


 うん、とギアは首を傾げる。エティアという名に聞き覚えがあるような、気がするのだが――。


「あ、あぁ!? ラディンが行方不明って言ってたが、あんたの奥さんって海の神殿に!?」

「行方不明……か。ああ、そうだよな。ラディンに行き先を告げるなんてマメなことを、彼女がするわけないな」

「……それも、どうなんだよ」


 なるほど、ラディンの母は彼女なりに夫を救う手段を探していたというわけか。それにしても、息子のラディンがそういう経緯をまったく知らされていないところ、家族のコミュニケーションに重大な問題があるようにも思えるのだが……。

 今はそこを取り沙汰している場合でもないし、自分も人のことを言えない気がしたので、ギアは聞き流すことにした。

 ルウィーニが楽しげに笑って呟く。


「愛する者がいると、ひとは驚くほど大胆になったり、しぶとくなったりするものなのさ」

「ああ、わかる」


 魔獣の監獄で十年を過ごした男の言葉には妙な重みがあって、それで吹っ切れたとまでは言えないものの、ギアもようやく気持ちが切り替えられた気がした。ロッシェも、そうあることを願いたいと思う。

 いずれにしても、彼が監獄島へ求めているものが死場所なのか、ほかの何かなのかを、ここにいる自分たちが知ることはできないのだ。


 こんな結末、納得できるはずがない。

 ロッシェ当人が満足したとしても、自分は絶対に納得できない。


「ぜってぇ連れ戻して、謝らせてやる」

「そうだね。俺も、きみと同意見だよ」


 選択の余地はなかったが、結論は出た。

 ギアは今、結構本気で怒っていた。




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