[5-2]魔術師との問答


 洞窟から出てきた魔術師は、こんな岩だらけの場所には不似合いに思えた。

 臙脂えんじ色の上衣には金糸で上品な模様が縫い取られており、高価な魔術具と思われる首飾りは宝玉も鎖も綺麗に磨かれている。身ひとつで監獄島に放り出され、十年ここで過ごした人物には見えなかった。なるほど、元公爵という肩書きにふさわしい威厳のある人物だ。

 どこから話したものかと言葉に迷うギア、その隣で立ち尽くしているロッシェを、彼は交互に見、口元を和ませる。


「確かに、俺がルウィーニだ。爵位はとっくの昔に剥奪はくだつされているけどね。きみらは、ライヴァンから?」

「……そうだよ。国王命令で、あんたを迎えにきたんだ」


 ギアが答えるより早く、ロッシェが応じた。今のところ不自然な様子はないし、剣も腰ベルトに提げられたままなので、余計な口は挟まず彼に任せても大丈夫だろう。

 ルウィーニはランタンを洞窟の入り口に掛け、服の裾をさばきながら近くまで来る。


「と、いうことは。ルードは死んだのかい? それとも、塔が開放されたのかな」

「炎帝なら、三年ほど前に。塔は、半年ほど前に」

「それは……フェトゥースがそれを許してしまったってことだね」


 ロッシェの答えが途切れる。ルウィーニの語調に責める響きはなかったが、国王大好きな彼はそう曲解したのかもしれない。

 何か言い訳を考えているのかもしれないが、急に黙られては相手も困るだろう。自分が補足したほうがいいだろうかとギアが思ったところで、ルウィーニが口を開いた。


「フェトゥースは無事なのかな?」


 視線を落として黙っていたロッシェが、その問いに目を上げる。


「ああ、無事だよ」

「そうかい、それはよかった。ルードは、襲撃に遭って?」

「いや。……僕と、ジェスレイが殺した」


 唐突な暴露に、空気が固まるような緊張が二人と一人の間を通り抜けた。ギアも呆気に取られて隣に立つロッシェを見つめる。今ここでその事実を伝えることに意味があるのだろうか。脅しのつもりかとも思ったが、そういう表情にも見えない。

 ルウィーニは困惑したように右手を口元に当てて考え込んでいたが、思い直したように言葉を続けた。


簒奪さんだつの王座に、暗殺の継承。フェトゥースはどこまで知っているのかな?」

「フェトゥースは、父の死は病だと信じているよ。簒奪したのは炎帝なのだから、フェトゥースにとがはない」

「そうか、それで三年。加えて塔の開放、と。……つらい思いをしただろうね」


 ため息のように吐きだされた低い声を聞いて、ロッシェの表情が歪む。肩が震え、てのひらが拳の形に握られたのを、隣のギアはなんとなく見る。

 殴りかかる気か、と思わず身構えたものの、そういうわけではないらしい。


「寄り添う者より、あざける者のほうが多かったさ。彼の努力を知ろうともせず、中傷を囁き命を狙うやからばかりで――……、彼は何一つ悪くないのに、助けようとする者が少ないのはどうしてなのかな」


 こいつ、自分がラディンにしたこと忘れてやがるのか、とギアは思う。

 どんな形であれ王位を継承したのであれば、在位中に起きた失策は国王に責任がある。何一つ悪くない、なんて理屈が通るはずもないのだが……その裏に貼りついたロッシェの本音がようやく見えてきて、ギアは湖での違和感が腑に落ちた気がした。


 暗殺に至るまでに何があったのか、ギアは知る由もない。それでも、ロッシェはフェトゥースを王に据えたかったのだろう、となら推測できる。

 主導権を握っていたのがロッシェとジェスレイどちらであったにしても、彼らの望んだ国の形は当のフェトゥースにとって過酷であり。ロッシェの選択は結果的に国王を追い詰めたのだ。ロッシェはこの現状に対し、強い罪悪感を抱いていたのだろう。


 もっとも、どれだけ大変だろうと苦悩の日々だろうと、憤りを向けるべきは別にいるわけで、ここで吐き散らかすのはただの八つ当たりだ。

 当人にその自覚があるのかどうかまでは、わからないが。


 そういうわけでギアとしては呆れ半分というところなのだが、ルウィーニの受け取りかたは違っていたらしい。壮年の魔術師はロッシェが話し終えたと判断するまで口を挟むことなく黙って聞き、それから穏やかに答えた。


「確かに理不尽だけどね、みな案外と自分のことしか見えていないのさ。それで、今も助けは足りていないのかい?」

「……足りる、足りない、の範囲を超えたよ。ほかに方法がないと言われたから、あんたを迎えにきたんだ」

「なるほど。ところで」


 ルウィーニの目元にしわが刻まれる。口角をあげ、まるで世間話でもするかのように。


「うちの息子は、元気にやってるのかな」


 ロッシェが一瞬、息を詰める。威嚇する獣のように両眼を険しく細め、唸るように答えた。


「元気じゃないかな。僕は――……彼を殺そうとしたけど、止められたし」

「オイっ」


 とんでもないことを口走る彼に驚いてギアは思わず袖を引いたが、黙れと言いたげに睨まれた。さっきから、わざわざ事を荒立てるような言動を取るのはなぜなのか。ため息とともに文句が口から出かかったものの、我慢する。

 ラディンが無事なのは確かだし、ルウィーニは安い挑発に乗るタイプではなさそうだ。もうしばらく様子を見ても大丈夫だろう。

 思った通りルウィーニは、衝撃的な発言にも動じた様子は見せず、ふぅんと相槌をうって腕を組んだ。


「さすがに、十年も経てば目眩しも限界か。今は城に捕まってる、ってことかな?」

「違う。あいつが……自分から城に乗り込んできたんだよ」

「おぉ、そうなのかい。そうか、あの子はちゃんと約束を守ってくれたんだなぁ」


 乗り込んだんじゃなく国王が呼びつけたんだろ、と突っ込みたかったが、空気を読んでやめておく。確かに、今思い返せば、海賊退治のあと王城に招聘しょうへいされたとき、ラディンは乗り気だったように思う。狂王についての事情を聞くときだって、自分から同席したいと申し出たのだ。

 不機嫌そうなロッシェとは裏腹に、ルウィーニはその話を聞いて嬉しそうだ。約束とは何だろうか。この流れからして、父を捜すとか連れ戻すとか、そういったところだろうか。

 ロッシェが苛々したふうに話を促す。


「それで、どうなんだ。これを聞いて、協力する気が失せたっていうなら――」

「そんなことは言わないさ。呼び戻されればいつだって協力するつもりだったよ。今までも、これからもね」


 ぶつけられた刺々しい怒りを穏やかに受け流し、ルウィーニはにこりと笑う。


「もっとも俺は、十年間放蕩ほうとう生活を送った中古品だからなぁ。即戦力にはなれないだろうけどね」

「――ッ!」


 隣でロッシェが息を飲んだのを感じ、ギアは心中で同意しながらルウィーニを観察する。

 この男、間違いなく変わり者だ。当人ではないとはいえ、一方的に約定を破って家族から引き離し監獄島という過酷な場所へ放り込んだ相手に、怒りも恨みも返さないとは。

 心底からのお人好し、善性の極み――というわけでもない。彼が今、口元にいている笑みは、何かの思惑を宿した曲者くせものの表情だからだ。

 が、ロッシェが発した言葉はギアが予想もしないものだった。


「それなら、なぜ、炎帝に笏を預けたんだ……!」


 込められていたのは、本気の怒気。え、と思わず漏らしたギアと同じく、ルウィーニもこれは予想外だったのだろう。表情を真面目なものに取り直し、問い返す。


「当時、きみはどこに? 王位譲渡と約定の話を、どこまで知ってるんだい」

真実の精霊トゥリアを妻に持ちながら、破綻は見えていなかったのかルウィーニ……! どうして、あんな野獣に国を預けたんだ!」

「すまなかった。きみは、ルードの圧政で苦しんだ者か」


 会話が噛み合っているようには思えなかったが、ルウィーニには何かがわかったのだろうか。ロッシェは無言で、握った拳を、ガン、と岩に叩きつけた。勢いで皮膚が傷つき、血が滲むほどに強く。

 ルウィーニは困ったように眉を寄せ、話を続ける。


「父の……エイゼル王の死は、大きな衝撃でね。叛乱はんらんに際しては、若輩の国王ラスの擁護派と、騎士団ジェスレイを抱き込んだ将軍ルードの支持派とで、国が真っ二つに割れたんだよ。全面対決になれば、内乱で多くの命が失われていただろう」

「そういう話を、してるわけじゃない……ッ」


 ぜい、ぜいと息を荒げ、ロッシェは言い募る。勢いとは裏腹に、息は乱れ、声は続かなかった。怒りと興奮の余り、というには度を越している気がして、ギアはとうとう口を挟んでしまった。


「ロッシェ、おまえ大丈夫か?」


 当人から返事はなかったが、ルウィーニの紅玉ルビーの目がギアを見た。ひとつ頷き、早足で近づくと、彼は手を伸ばしロッシェの腕をつかんで強く引き寄せる。


「――ぅあッ」

「大丈夫だ、ルードはよ」


 払い退けて逃げようとするのを強引に引き留め、強く言い含める。紺碧の双眸を大きく見開いてルウィーニを見るロッシェは、ここではないどこかを見ているようにも思えた。

 空気が張り詰める中、硬直した時間が流れてゆく。

 ややあって、ルウィーニが不意に、何かに思い当たったようにつぶやきを落とした。


「ああ、そうか。きみは、俺が気づくのを待っていたのか」

「……っ、ちが、う」


 何を、というのは想像もつかないが、二人の様子を見てギアは自分の心配が杞憂きゆうだったことを悟る。

 ルウィーニは魔術師ウィザードだと聞いていたが、戦闘系の技能も身につけているようだ。それが剣術か、ほかの系統かはわからないが、あのロッシェが腕をがっちり掴まれたまま身動きできないのだから、相当の手練れだというのがうかがえる。

 考えてみれば当然だ、ルウィーニの父は剣帝とも呼ばれたエイゼル王なのだ。

 

 ――なぜ、彼は王位を弟に譲ったのだろうか。

 ギアの胸中に不意に湧いた疑問を、彼らが知るはずもない。しかし、ルウィーニが続けた言葉は期せずして、その過去に関わるものだった。

 紅玉ルビーの目に複雑な感情を写し、彼は苦いものを吐き出すように呟く。


「すまなかった。きみが言っているのは、もっと過去……ルードが反逆に至った理由か。それなら、俺はきみに責められても仕方がない。俺はきみに償いをしなくてはいけないな」




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