5.監獄島の魔術師
[5-1]監獄島へ
監獄島・バイファル。有史以前よりある結界隔離地域で、その地理的な特異性に目を付けた施政者たちがいつの頃からか、二度と戻れぬ流刑地として利用し始めたという。
島の出入りは、王権を介さずには不可能だ。それゆえ、王家に産まれた者であれば必ず、その存在と扱い方を教え込まれる。
それはまるで、何かの儀式のようだ。
ギアの故国には、監獄島への直通『
歴史を紐解けば利用した王はいたかもしれないが、父や兄が監獄島に流刑者を送ったことは記憶の限り一度もない。だから、存在を知っていても遠い話だった、今までは。
「いや、しかしまさか……生きてるうちにバイファルへ入島する機会があるなんてなぁ」
ライヴァン王城の奥深く、地下に設置された
エリオーネから託された
紙面の中央には精霊語による
しみじみと
「死んだって行けないけどね」
「突っ込み所はそこかよ!? つか、やっぱ幽体でも通れねぇのか」
「精霊が通れないなら
物質も魔法も通さないだけでなく、魂になっても脱出不可能とか。そんな強力な結界が太古から永久的に維持されているなんて、想像しただけでゾッとする。
余計なことは考えず、『
「あ、ロッシェ。一応、確認しておく」
考えてみれば、深夜に
鋭い紺碧の双眸が怪訝そうにギアを見る。そこに殺気はないように思えるが――殺意がないとは言い切れない。
「おまえ、とりあえず今から行って戻るまで、俺や公爵を殺そうとはしないよな?」
切れ長の目が無言のまま一度、瞬いた。首肯の代わりか、それとも否という意味なのか。
彼の複雑な心境が垣間見えた気がしたので、ギアはもう一度畳み掛ける。
「殺そうとしない、よな?」
「…………ああ、邪魔はしないよ。誓う。これでいいのかな」
「よし。じゃ、行くぜ」
思ったより素直なロッシェに、ギアは胸中で安堵の息を吐く。千載一遇のチャンスを邪魔されたのと、朝にカミィからいろいろ情報を得られたことで、少しは冷静になってくれたのかもしれない。
監獄島へゆく道は大きく三つ。
学んだ知識で、番人の門には魔獣がおり、
少しの緊張と湧きあがる好奇心に駆られて石造りの門を出たギアは、そこにそびえる威容に絶句する。
「……ドラゴン?」
すぐ後ろを来たロッシェの声も、
それは確かに竜種に似ているようであって、まったく別の何かだった。
ドラゴンに似た長い首と細長い頭を、人の髪に似た黒く長い毛が覆っている。半開きの
耳は長く垂れていて、頭頂に鋭利で真っ直ぐ長い角が三本生えていた。
直立した胴体を長い尾まで覆う灰混じりの白毛と、真っ黒な皮膜の翼。鋭い鉤爪の付いた短い前脚が、胸の前に突き出されている。
長い尾の先には、サソリの尾に似た曲がり針が獣毛に埋もれていた。ルビーのように真紅で炎のようにぎらついた瞳は、確かに自分たちの動きを追っている。
襲いかかってくる様子はなかった。それでも、二階建ての館をゆうに上回りそうなほどの大きさと、竜とも獣ともつかない不気味な混じり具合のせいで、もう恐怖しか感じない。
「これが、バイファル島の門番……」
「何とも凶悪な
ロッシェの呟きに被せて自分を奮い立たせようとしたギアだったが、そこで大変なことを思い出して頭を抱えた。昨夜から息つく暇もなしに物事が進展して、じっくり熟考する余裕がなかったからだ……とはいえ、困ったことになってしまった。
もしかしてロッシェならいい案を持ってないだろうか、とすがる気分で、冷めた視線を向けてくる彼に尋ねてみる。
「公爵を迎えにいくにも、……居場所はわかってんのかい?」
「精霊に聞けばいいだろう」
「え? ああ、……精霊に聞く?」
言われた意味がすぐには理解できず、涼しい顔をしているロッシェをうかがい見てしまう。
確かに、監獄島だろうと精霊の営みは変わらずあるのだから、今も周囲にはたくさんの下位精霊たちがいるのだろう。彼らに呼びかけ可視化させ、聞き出せば良いということだろうか。
ふと、いつも精霊とつるんでいるフォクナーを思い出す。そういうところが、天才の天才たる所以なわけか。
「俺にできるのは、【
「それでいいだろ」
「つーか、その口ぶりだとあんた手慣れてるだろ、ロッシェ。頼むぜ」
不自然な沈黙が落ちた。彼も
しばらく黙って様子を見ていると、ロッシェは観念したのか右腕を上げててのひらを上向け、「
魔法には詳しくないギアだが、それが普通の発動方法でないのはわかった。ロッシェが
召喚された
『ぴ。――ぴギュぁぁぁァ』
賑やかな悲鳴をあげててのひらから飛び降り、ものすごい勢いで二人の周りをぐるぐると駆け出す反応は、森で会った別個体とはまったく違う。
ギアが目を丸くしていると、ロッシェがすっとギアを指差し言った。
「彼の名は、ギア=ザズクイート。君はギアに従え」
「え、何で俺だよ」
任せるつもりが、任されてしまった。ぴたりと動きを止め見上げてきた
仕方ないので、森の会話を思い出しつつ
「……なに怯えてンだ、おまえさん」
『ぴ。御用は何デ? ギズのダンナ』
パニックの余りよく聞いていなかったのだろうか。名前が誤認されているようだ。
「ぴ。俺はギアだって。えーと、ルウィーニって魔術師の居場所を教えてくれねえか?」
『ぴ。真似すーナ! ダンナ、ますたーの知り合いデ?』
「ぴ。マスターなのか? まぁ、そんなとこだ」
『ぴぴぴぴ! ツイテケドロボー!!』
相変わらず精霊の言葉はどこか言語崩壊していたが、意思疎通できるなら問題ない。召喚による使役は一分ほどしか続かないはずなのに、
「……案内してくれるみたいだね」
「やっぱりそうなのか? それにしても、あんた魔法が使えたんだな」
それもこれ、フォクナーと同じ天才型ではないのか。と思ったギアだったが、ロッシェの答えは意外なものだった。
「僕は精霊に嫌われてるから、発動しない。かなり無理をすれば、使えないこともないけどね」
「嫌われてる?」
たった今、目の前で無詠唱発動をやってのけたくせに、精霊に嫌われているなんてことがあるのだろうか。どうにも腑に落ちないものの、魔法についてはギアもそれほど詳しくないし、ロッシェの事情もよく知らない。
確かに、ごく稀に精霊と交信できなくなり魔法が使えなくなる者がいる、という話は聞いたことがあるが。
「嫌われたらまったく使えなくなるんじゃないのか?」
「たぶんね」
「あんた、使ってたじゃねーか」
「炎魔法だけは、調子がいいと発動するんだ」
そういうケースもあるのか、と思い、ギアは会話を終わらせた。道案内の
いつのまにか、丘を登る道へと差し掛かったようだ。ダラダラと続く登り坂を進み、林のような木立を通り抜け、開けた場所に出る。
「うわー、ここって結構高いんだな」
丘というより、山の中腹だろうか。眼下に見えるのは雑然とした、色のない街だった。こんな場所まで届くはずもないのに、埃と煙の匂いが漂ってくるようだ。
今にも崩れそうな崖端の道を少し登り、いい加減に水が欲しくなってきた頃。不意に、食欲をそそる香ばしい匂いが流れてきた。木を燃やす煙と魚の焼ける匂いだ、と気がつく。
『ぴ。メシ時に来るてなア、失礼なダンナだね』
たいそう人族臭い台詞を吐いて、
『ぴ。ますたーのスミカは洞窟サ。万民カンゲイでいいコトだ』
「何ィ、どこ行ったんだよおまえさん……」
消えた
意を決し、振り向いてロッシェに促す。
「あそこだってさ」
「行こう」
むしろロッシェのほうが迷いなく、ギアを追い越して洞窟の入り口へ向かっていく。割れ目を覗き込むように岩に手をつき、彼は
「お邪魔するよ」
ギアも急いで後を追い、ロッシェの隣に立って暗い洞窟内に目を凝らす。ここに来る前に誓わせたとはいえ、今のロッシェを全面的に信頼できるかといえば答えは否だ。
いざとなれば、自分が彼を止めなければならない。
火を使っているのなら、中に誰かがいるのは確実だ。しかし、相手も警戒しているのだろう――応答はすぐには返ってこなかった。
ギアが何か言い添えようかと思った頃合いに、洞窟内で何かが動く気配がした。
「――誰だ?」
返ってきたのは、低くて穏やかな男性の声。緊張感が一気に喉元までせり上がり、思わずこくりと息を飲む。隣のロッシェも固い表情のままで、口を開いた。
「ルウィーニ=レオン=ディニオード公爵……で間違いないか?」
ゆらゆらと闇が揺れる。炎の明かりによるように、暗い洞窟内に影が踊った。
「誰だと聞いているのは俺じゃないか。名乗れないような客は、勘弁だなぁ」
咎める言葉とは裏腹に、声は笑いを含んでいるようだった。ゆらりとひときわ大きく影が揺らめき、奥からランタンを提げた人物が姿を現す。
魔法使いが好む丈の長い上衣をきっちり着込んだ、壮年の
鮮やかな赤い宝玉をはめ込んだ大きな首飾りが、胸元で揺れている。
公爵というより、宮廷魔術師か学院の教師という形容のほうが
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