5.監獄島の魔術師

[5-1]監獄島へ


 監獄島・バイファル。有史以前よりある結界隔離地域で、その地理的な特異性に目を付けた施政者たちがいつの頃からか、二度と戻れぬ流刑地として利用し始めたという。

 島の出入りは、王権を介さずには不可能だ。それゆえ、王家に産まれた者であれば必ず、その存在と扱い方を教え込まれる。

 それはまるで、何かの儀式のようだ。




 ギアの故国には、監獄島への直通『ゲート』が設置されていない。

 歴史を紐解けば利用した王はいたかもしれないが、父や兄が監獄島に流刑者を送ったことは記憶の限り一度もない。だから、存在を知っていても遠い話だった、今までは。


「いや、しかしまさか……生きてるうちにバイファルへ入島する機会があるなんてなぁ」


 ライヴァン王城の奥深く、地下に設置された転移魔法陣テレポーターを前に、ギアは感慨深い気分でため息をつく。

 エリオーネから託された旅渡りょと券は、精緻な魔法文字が四隅を縁取っているだけの、ただの紙切れだ。破ったり燃やしたりすれば途端に効力を失う脆い魔法具だったが、絶大な権威を秘めている。


 紙面の中央には精霊語による発動魔法語キーワードルーンと、国王の署名が書かれていた。不思議なもので、いくら筆跡を真似ようと他人が書いたものでは効力を発しないのだという。現時点の王権保持者による署名、これが唯一絶対の発券の条件なのだ。

 しみじみと旅渡りょと券を観察しているギアの隣、ロッシェが鼻で笑って呟く。


「死んだって行けないけどね」

「突っ込み所はそこかよ!? つか、やっぱ幽体でも通れねぇのか」

「精霊が通れないなら幽鬼ゴーストだって通れないだろうね」


 物質も魔法も通さないだけでなく、魂になっても脱出不可能とか。そんな強力な結界が太古から永久的に維持されているなんて、想像しただけでゾッとする。

 余計なことは考えず、『ゲート』に集中するのが賢明かもしれない。


「あ、ロッシェ。一応、確認しておく」


 考えてみれば、深夜に水鏡みかがみ湖の汀でこの男に殺されかけてから、まだ丸一日も経っていないのだ。自分はカミィのお陰で怪我も痛みも快復したとはいえ、ロッシェの心理がどういう状態なのかはわからないのだった。

 鋭い紺碧の双眸が怪訝そうにギアを見る。そこに殺気はないように思えるが――殺意がないとは言い切れない。


「おまえ、とりあえず今から行って戻るまで、俺や公爵を殺そうとはしないよな?」


 切れ長の目が無言のまま一度、瞬いた。首肯の代わりか、それとも否という意味なのか。

 彼の複雑な心境が垣間見えた気がしたので、ギアはもう一度畳み掛ける。


「殺そうとしない、よな?」

「…………ああ、邪魔はしないよ。誓う。これでいいのかな」

「よし。じゃ、行くぜ」


 思ったより素直なロッシェに、ギアは胸中で安堵の息を吐く。千載一遇のチャンスを邪魔されたのと、朝にカミィからいろいろ情報を得られたことで、少しは冷静になってくれたのかもしれない。

 旅渡りょと券を掲げ、文面を読み上げる。呼応するように『ゲート』が輝きだし、道が開いてゆく。その神秘的なさまは、稀有けうな体験と相まってギアの胸を昂揚こうようさせた。――だから、傍らでそれを見守るロッシェが何を考えているかなど、知る由もなかったのだ。




 監獄島へゆく道は大きく三つ。空翼便くうよくびんで行く空路の門、船で海を渡り上陸する海路の門、そして『ゲート』つまり転移魔法陣テレポーターを通って行く直通の門だ。そこから島へと進んだ場所に、『番人の門』と呼ばれる地点がある。

 学んだ知識で、番人の門には魔獣がおり、旅渡りょと券を持たず出入りする者がいないか監視している……と知ってはいたが、まさか本物のを目にする日が来ようなどと考えたこともなかった。

 少しの緊張と湧きあがる好奇心に駆られて石造りの門を出たギアは、そこにそびえる威容に絶句する。


「……ドラゴン?」


 すぐ後ろを来たロッシェの声も、驚愕きょうがく戦慄せんりつかで震えているように聞こえた。無理もない。生身の人族が物理的手段をもって立ち向かうことなど到底無理だ、と認めざるを得ない怪物が、眼前に立って自分たちを見下ろしているのだ。


 それは確かに竜種に似ているようであって、まったく別の何かだった。

 ドラゴンに似た長い首と細長い頭を、人の髪に似た黒く長い毛が覆っている。半開きの顎門あぎとから見える一対の長く鋭い牙、蛇のように先が二股に割れた長く赤い舌。

 耳は長く垂れていて、頭頂に鋭利で真っ直ぐ長い角が三本生えていた。


 直立した胴体を長い尾まで覆う灰混じりの白毛と、真っ黒な皮膜の翼。鋭い鉤爪の付いた短い前脚が、胸の前に突き出されている。

 長い尾の先には、サソリの尾に似た曲がり針が獣毛に埋もれていた。ルビーのように真紅で炎のようにぎらついた瞳は、確かに自分たちの動きを追っている。

 襲いかかってくる様子はなかった。それでも、二階建ての館をゆうに上回りそうなほどの大きさと、竜とも獣ともつかない不気味な混じり具合のせいで、もう恐怖しか感じない。


「これが、バイファル島の門番……」

「何とも凶悪なツラしてやがるが、俺らが通る分には問題ないみたいだな。……行くか、って、そういえば!」


 ロッシェの呟きに被せて自分を奮い立たせようとしたギアだったが、そこで大変なことを思い出して頭を抱えた。昨夜から息つく暇もなしに物事が進展して、じっくり熟考する余裕がなかったからだ……とはいえ、困ったことになってしまった。

 もしかしてロッシェならいい案を持ってないだろうか、とすがる気分で、冷めた視線を向けてくる彼に尋ねてみる。


「公爵を迎えにいくにも、……居場所はわかってんのかい?」

「精霊に聞けばいいだろう」

「え? ああ、……精霊に聞く?」


 言われた意味がすぐには理解できず、涼しい顔をしているロッシェをうかがい見てしまう。

 確かに、監獄島だろうと精霊の営みは変わらずあるのだから、今も周囲にはたくさんの下位精霊たちがいるのだろう。彼らに呼びかけ可視化させ、聞き出せば良いということだろうか。

 ふと、いつも精霊とつるんでいるフォクナーを思い出す。そういうところが、天才の天才たる所以なわけか。


「俺にできるのは、【火蜥蜴召喚コール・サラマンドラ】くらいだな」

「それでいいだろ」

「つーか、その口ぶりだとあんた手慣れてるだろ、ロッシェ。頼むぜ」


 不自然な沈黙が落ちた。彼も魔術師ウィザードではなく剣士フェンサー、というか暗殺者アサシンなのは承知の上で、それでも彼に任せようと思ったのは直感ゆえだ。島外の者にとっては危険極まりないこの島で、聞き込みやポスターといった正攻法は取れないのだし。

 しばらく黙って様子を見ていると、ロッシェは観念したのか右腕を上げててのひらを上向け、「召喚コール」と短く囁いた。それに呼応して、彼のてのひらに小型の火蜥蜴サラマンドラが現出する。


 魔法には詳しくないギアだが、それが普通の発動方法でないのはわかった。ロッシェが魔法語ルーンを唱えなかったからだ。

 召喚された火蜥蜴サラマンドラはルビーの瞳をパチリと瞬かせ、召喚主であるロッシェを見上げて、全身の炎を逆立てた。


『ぴ。――ぴギュぁぁぁァ』


 賑やかな悲鳴をあげててのひらから飛び降り、ものすごい勢いで二人の周りをぐるぐると駆け出す反応は、森で会った別個体とはまったく違う。

 ギアが目を丸くしていると、ロッシェがすっとギアを指差し言った。


「彼の名は、ギア=ザズクイート。君はギアに従え」

「え、何で俺だよ」


 任せるつもりが、任されてしまった。ぴたりと動きを止め見上げてきた火蜥蜴サラマンドラと目が合った途端、炎獣の鼻先から尾の先まで身震いが駆け抜けるように火花が散る。

 仕方ないので、森の会話を思い出しつつ火蜥蜴サラマンドラとの会話を試してみることにする。


「……なに怯えてンだ、おまえさん」

『ぴ。御用は何デ? ギズのダンナ』


 パニックの余りよく聞いていなかったのだろうか。名前が誤認されているようだ。


「ぴ。俺はギアだって。えーと、ルウィーニって魔術師の居場所を教えてくれねえか?」

『ぴ。真似すーナ! ダンナ、ますたーの知り合いデ?』

「ぴ。マスターなのか? まぁ、そんなとこだ」

『ぴぴぴぴ! ツイテケドロボー!!』


 相変わらず精霊の言葉はどこか言語崩壊していたが、意思疎通できるなら問題ない。召喚による使役は一分ほどしか続かないはずなのに、火蜥蜴サラマンドラは尾の先から火の粉を散らしつつ、先立って歩き始めた。ついて来い、ということだろうか。


「……案内してくれるみたいだね」

「やっぱりそうなのか? それにしても、あんた魔法が使えたんだな」


 それもこれ、フォクナーと同じ天才型ではないのか。と思ったギアだったが、ロッシェの答えは意外なものだった。


「僕は精霊に嫌われてるから、発動しない。かなり無理をすれば、使えないこともないけどね」

「嫌われてる?」


 たった今、目の前で無詠唱発動をやってのけたくせに、精霊に嫌われているなんてことがあるのだろうか。どうにも腑に落ちないものの、魔法についてはギアもそれほど詳しくないし、ロッシェの事情もよく知らない。

 確かに、ごく稀に精霊と交信できなくなり魔法が使えなくなる者がいる、という話は聞いたことがあるが。


「嫌われたらまったく使えなくなるんじゃないのか?」

「たぶんね」

「あんた、使ってたじゃねーか」

「炎魔法だけは、調子がいいと発動するんだ」


 そういうケースもあるのか、と思い、ギアは会話を終わらせた。道案内の火蜥蜴サラマンドラは小さくて、下草に埋もれて見失いそうになる。ちゃんと追いかけることに集中しないと、大変なことになりそうだ。

 いつのまにか、丘を登る道へと差し掛かったようだ。ダラダラと続く登り坂を進み、林のような木立を通り抜け、開けた場所に出る。


「うわー、ここって結構高いんだな」


 丘というより、山の中腹だろうか。眼下に見えるのは雑然とした、色のない街だった。こんな場所まで届くはずもないのに、埃と煙の匂いが漂ってくるようだ。

 火蜥蜴サラマンドラは二人が立ち止まろうと構わずどんどん先に進んでしまうので、ギアは慌てて後を追う。足元の質感が変化して、岩だらけの山道に入る。ずっと歩き通しで息が切れてきたが、休憩を挟む余裕もない。

 今にも崩れそうな崖端の道を少し登り、いい加減に水が欲しくなってきた頃。不意に、食欲をそそる香ばしい匂いが流れてきた。木を燃やす煙と魚の焼ける匂いだ、と気がつく。


『ぴ。メシ時に来るてなア、失礼なダンナだね』


 たいそう人族臭い台詞を吐いて、火蜥蜴サラマンドラがようやく歩みを止めた。ギアが上がった息を整えている間に、ひょいひょいと岩の間に入り込んでいく。


『ぴ。ますたーのスミカは洞窟サ。万民カンゲイでいいコトだ』

「何ィ、どこ行ったんだよおまえさん……」


 消えた火蜥蜴サラマンドラの行方を目で追えば、人一人がやっと通れそうな程度の割れ目があった。煙と匂いはどうやらそこから漂ってきているようだ。

 意を決し、振り向いてロッシェに促す。


「あそこだってさ」

「行こう」


 むしろロッシェのほうが迷いなく、ギアを追い越して洞窟の入り口へ向かっていく。割れ目を覗き込むように岩に手をつき、彼は躊躇ためらいなく中へと声をかけた。


「お邪魔するよ」


 ギアも急いで後を追い、ロッシェの隣に立って暗い洞窟内に目を凝らす。ここに来る前に誓わせたとはいえ、今のロッシェを全面的に信頼できるかといえば答えは否だ。

 いざとなれば、自分が彼を止めなければならない。

 火を使っているのなら、中に誰かがいるのは確実だ。しかし、相手も警戒しているのだろう――応答はすぐには返ってこなかった。

 ギアが何か言い添えようかと思った頃合いに、洞窟内で何かが動く気配がした。


「――誰だ?」


 返ってきたのは、低くて穏やかな男性の声。緊張感が一気に喉元までせり上がり、思わずこくりと息を飲む。隣のロッシェも固い表情のままで、口を開いた。


「ルウィーニ=レオン=ディニオード公爵……で間違いないか?」


 不躾ぶしつけな問いに、返るは沈黙。ややあって、ジュっと火を消すような音が響き、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。

 ゆらゆらと闇が揺れる。炎の明かりによるように、暗い洞窟内に影が踊った。


「誰だと聞いているのは俺じゃないか。名乗れないような客は、勘弁だなぁ」


 咎める言葉とは裏腹に、声は笑いを含んでいるようだった。ゆらりとひときわ大きく影が揺らめき、奥からランタンを提げた人物が姿を現す。

 魔法使いが好む丈の長い上衣をきっちり着込んだ、壮年の人間族フェルヴァー男性だ。白髪混じりの髪は、赤金。きちんと整えられた口髭と顎髭。笑いじわが刻まれた穏やかそうな目は、炎を照り返して赤く燃えていた。


 鮮やかな赤い宝玉をはめ込んだ大きな首飾りが、胸元で揺れている。

 公爵というより、宮廷魔術師か学院の教師という形容のほうが相応ふさわしく思える、そんな印象の男性だった。




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