[4-3]未来を従えるために


 実際に経過した時間は短かかったのだろう。夢から覚めたばかりのあの、現実と夢が記憶の中で混じったような感覚だ。

 何度か目を瞬かせ、ここが現在であることを確認する。木造りのテーブルと椅子、質素ながらも綺麗に整えられたダイニングルーム、涙目のクロノスと、黙って佇む光の王と。


「……ひでぇ話だな」


 唸るようなステイの声が、その場に満ちていた不思議な静けさを破った。

 はっとしたようにシャーリーアが顔を上げ、辺りを見回している。インディアはまだぼんやりとしていて、モニカは何やらきょとんとしていた。


「これが、狂王にまつわる出来事のすべて、というのではありませんが」


 ラヴァトゥーンの穏やかな声が響く。


「あなた方はこの時代、彼を裁く役目を担う者たちです。ですから、知っておいてください」

「……裁く? おれたちが、ですか?」


 思いがけない言葉に、ラディンは思わず問い返していた。国王であるフェトゥースならともかく、自分にはそういう権威も、狂王と渡り合える技量もない。あのギアですら手に余ると明言していたというのに。

 しかし、ラヴァトゥーンははっきりと首肯して、続けた。


「ラディン君。彼もあなたも、精霊の子です。あなたは両親のえにしにより、光の精霊獣ユニコーンに選ばれた。あなたは、聖獣かれの願いを叶えるのでしょう。……それが何を意味するか、あなたは本当にわかっていますか?」


 ――聖獣の願い。それは、明け方に湖のほとりで彼に約束したことだ。

 戦禍せんかを起こさず父を取り戻し、狂王を封印する方法を探る。なぜなら、上手いやり方で狂王を封じることができるのは、父以外にいないからだ。

 それが、何を意味しているか。


「――ああ、そっか。それが……裁くということなんですね」


 狂王を封印する。今まで言葉として理解していただけのが、大地蛇ミッドガルドの夢を介して見た記憶とリンクする。

 瓶に蓋をする程度のことではなかった。それは、悲惨な過去と狂気に侵された現在を抱えるひとりの人物を、虚無の未来へ突き落とすことなのだ。

 その重さに言葉を失うラディンを、光の王の穏やかな双眸が射抜く。


「どうか覚えていてください。役割を決められ、この世に産まれくる者などいません。英雄も、凶悪者も、積み重ねた生の中で自ら選び、あるいは科せられたのです。自分の歩む先に幸せが待つのか、何かを成し遂げられるのか、数奇な運命が待ち受けるのか……、誰ひとり知らないままで、その時その時を生きているのです」


 ラディンは黙って、頷く。ラヴァトゥーンがこれを見せた意味、クロノスの涙、大地蛇ミッドガルドの哀しみ……その理由が、ようやくわかった気がした。

 自ら選び取った悪逆の人生なら、怒りだけを突きつければよかった。けれどこの世界には、そういうり方を望んだのではない加害者と、抗うすべを持たず搾取さくしゅされる被害者があふれている。


 わかっていても、手を伸ばせない――それはとても苦しいことだ。

 だから、王たちは民に託すのだろう。

 その哀しみを共有することが、より良い未来へつながると信じて。


猶予ゆうよはない、ということですね。狂王は今もどこかで殺戮さつりくを行なっており、さらに力を増しているのでしょうか」


 ずっと黙って何かを考えていたシャーリーアが、遠慮がちにそう口を挟む。光の王は瞳を巡らせ、妖精族セイエス二人を見て頷いた。


「彼にとっては、殺し、らうことこそが存在意義です。ですから、一刻も早く……と言いたいところではありますが。勝算もなしに向かう無謀は望みません。まずは手段と戦力を整えてくださいね」

「はい、心得ております。……その、を事前に知る方法はあるのでしょうか」


 シャーリーアも相手が光の王だけに、受け答えが素直だ。ステイが隣で変な顔をしているが、口には出さなかった。この場にフォクナーがいたらどんな反応をしたのだろう、と興味がわく。

 そして、早くも勝算を探り始めているシャーリーアは凄いな、と思った。


「私は知る手段を持ってはいませんが、クロノス様なら現在のみならず、これから現れる場所を予知することも可能でしょう」

「なるほど、わかりました。手段については、ギアたちの帰りを待ちます」


 二人の会話を聞きながら、ラディンは聖獣との会話を思い出していた。

 あの話の内容から具体的な手段をイメージすることはできないが、やはり狂王と対決するには父の存在が不可欠なのだ。そして、その父を迎えるためにギアとロッシェが向かっているという。


「父さんと、聖獣と……」


 無意識に声に出ていたようだ。ラディンの呟きを聞いて、ラヴァトゥーンが何かを思い出したように表情を硬くする。


「そうだ、伝え忘れるところでした……ラディン君。ジェルマの特殊能力は、月の中位精霊の魔力なんです。母親が自分の生命を魔力に換え彼に注ぎ込んだものなので、いかなる魔法によっても無効化はできないのですが、反属性つまり光の中位精霊か精霊獣なら、魔力そのものを相殺そうさいすることができるんですよ。ただ……」


 一瞬だけ躊躇ちゅうちょして、それでも光の王は言葉を続けた。


「人族と違い、精霊たちは純粋な魔法力の塊です。相殺するということは、かれらの身を削ることに他なりません。それを、覚えておいてください」

「はい……わかりました。教えてくださって、ありがとうございます」


 自分の予感を肯定された気分だった。聖獣は詳しく語らなかったが、消滅の可能性を悟っていた。それを避けるためには、父の帰還が必要だということも。

 ラディンが正しく理解したと判断したのだろう、光の王は頷き、穏やかに微笑む。


「私たちが直接的な手段で人族ひとの戦いに介入することは、許されていません。それでも、情報を提供し相談に乗ることくらいは、許されるでしょう。ですから、聞いておきたいことなどあれば今のうちに、どうぞ」

「あの、宜しいですか?」

「もちろんですよ。何でしょうか?」


 おずおずと挙手したシャーリーアに、光の王は視線を向けて発言を促した。彼が頷き、言葉を続ける。


「狂王の能力が生命奪取スティールライフと同様なのであれば、発動条件は『自分を殺す相手』に限定されるのではないでしょうか。つまり、能動的な殺害という手段以外なら、めっする手段はあるということかと」

「そうですね。要因がわかれば、対処法も見出せます。ですから、あなた方に渡したこの情報を正しく理解した上で、あなた方がどういう手段を選ぶのか。その判断は、あなた方にお任せします」


 シャーリーアが息を詰め、思いにふけるように黙り込んだ。肯定とともに託された様々な可能性。彼のことだから、幾つもの方法を思い浮かべて是非を黙考しているのだろう。

 得体が知れない能力だから、できることが限られていたのだ。仕組みさえわかれば、その知識に基づき手段を考え出すこともできるわけで。

 自分は、どうしたいのだろう。

 ラディンもまた黙したまま思考に沈み、自分自身に問いかける。


 ジェルマの母親、炎の王、過去のライヴァン王、カミィ、そして父ルウィーニ。

 各々が選んだ当座の判断が未来にどう影響するかなど、そのときにわかるはずもない。彼らはそれぞれ自分が思う最善を選び、より良い結末を願ってきたのだ。


 きっと父なら、正しい判断を下せるだろう。

 けれど。


「おれは、終わらせたい」


 なんだか強く、そう思った。

 そしてその思いは無意識に、声に出ていたようだ。

 ラディンの発した強い意味をはらむ言葉に、皆の視線が集中する。感情的になって言ったわけではないが、それでも緊張してしまう。

 光の王が目を瞬かせ、首を傾げて問いかけた。


「理由を聞いても、いいですか?」

「はい。封印なんて、先延ばしにするだけで意味ないと思ったんです。だって何十年後、何百年か後にまた、こんなふうに問題になるかもしれないですし。償いは必要だろうけど、封印――幽閉して監視するのは、違う気がして」


 自分の中に強い想いがあったとしても、それを言葉にして表現できるかは別問題だ。自分でも正しく伝えられているかわからなくなって、ラディンはうぅ、と唸る。

 頭を抱えたい気分になったが、光の王は笑わずに聞いてくれた。


「終わらせたい、……確かにな」


 同意してくれたのは黒い魔族ジェマ――カミィだ。

 父は何というのだろうか。聖獣は命を賭して狂王を封じるつもりだと言っていたけれど。


「なァ、シャリー」

「何ですか?」


 場の空気に呑まれたのか、ステイが小声でシャーリーアをつついた。思考に沈んでいたところを声掛けられて怪訝そうに眉を寄せる彼の耳元に、ステイがこそりと囁くのを聞く。


「オマエさー、利用されまくった挙句、世界なんて消えちまえ集団のアタマにまつりあげられたり、すんなよ?」

「――は!?」


 ひそひそ話の意味などなかった。余りに突飛な話の振りに、シャーリーアは思い切り裏返った声で聞き返し、それから真っ赤になって立ち上がった。


「君はちゃんと話を聞きましょうか、ステイ!? 狂王の話を脈絡もなく僕に結びつけないでくださいッ」

「だってさー、オマエそういう変人と縁あるじゃねぇか」

「それ物凄く失礼ですから! 僕の人脈すべてに今すぐ謝りなさい!」


 まさか本人も、憧れの光の王の前でこの流れになるなど思っていなかったに違いない。ステイに突きつけた細い指がわなわなと震えているのが果たして怒りなのか恥ずかしさなのか、他人であるラディンには判断つかないが、ちょっと気の毒に思ってしまう。

 光の王は唐突に勃発ぼっぱつした二人の喧嘩を目を丸くして見ていたが、やがてくすくすと笑い出した。それで我に返ったのだろう、シャーリーアの顔色が今度は真っ青になる。


「は!? すみません、ラヴァトゥーン様……お見苦しいところをお見せしてしまって!」

「いいえ、大丈夫ですよ。あなた方が真剣に今後について受け止めてくださったのだと、ちゃんとわかりましたから」

「ええと……それはその、……本当に申し訳ございません」


 隣のステイの頭をグイグイと押さえて下げさせ謝るシャーリーアを微笑みながら見ていた光の王が、不意に表情を取り直す。彼にしては珍しい強い双眸で、その場の全員を見渡し言った。


「未来をしたがえる方法を知っていますか?」

「……未来、ですか?」


 不意をつかれて思わず、といったふうに聞き返すシャーリーアに、光の王は首肯を返す。


「どんなふうに産まれ、生き、死んでゆくのか。自分の望み通りにいくことなど、両手の指で数えられるかどうかでしょう。であれば不屈の意志で、不運も幸運も味方につけるしかありません。清廉潔白に生きなさいなどと、私たちは言えません。だから、せめて……、後悔なきようを本気で生きなさい」


 ありきたりの言葉なのかも知れない。けれど、今の自分に必要な言葉だと、ラディンは思った。


 妥協せず、あきらめず、最善の方法を探りたい。

 そのために自分には何ができるのか、本気で考えよう――そう胸中に決意を固めて。





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