[2-3]過去語り:サイドゥラの滅亡


 サイドゥラ王国は、その昔、ライヴァン帝国の方にあった魔族ジェマの小国だ。人間族フェルヴァーの国・ライヴァン帝国と魔族ジェマの国・ティスティル帝国が興った時期に林立した国家群の一つでもあり、元は穏やかな治世を敷いていた国だった。


 今は狂王として知られている吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマ――ジェルマが現れたのは、いつのことだっただろうか。120年以上は遡るだろう。彼は、不意に現れていつの間にか国の王になっていた人物だ。

 王宮内では何か予兆なり異変なりあったのかもしれないが、一般市民だった私は今も何が起きたかを知らない。

 彼が王になってから、サイドゥラは少しずつ狂っていった。


 変化ははじめ、傍目はためにわからなかった。いや、見えていたのに見えていなかった、というのだろうか。

 何せ、突如とつじょとして王位を簒奪さんだつした人物がはいされもせず統治を続けているわけだ。そんな異常事態を誰も糾弾きゅうだんしなかった……あるいはできなかったのだから。

 当時、私は首都に住んでいたが、その事態を不気味に思い、郊外へ弟とともに引っ越した。

 ニーサスと知り合ったのはその頃だっただろうか。別に親しく交流していたわけではないのだが、私は職が魔術師ウィザードで精霊に興味があったし、彼の側には中位精霊の氷狼ひょうろうがついていたのでね。気になる存在だったんだ。


 ニーサスは国の郊外……今でいうところのティスティル帝国とライヴァン帝国の境目に近い地区で、大きな館に氷狼とふたりきりで住んでいたよ。当時は彼もまだ幼くて、……ああいう性格でもあったから、精霊がふたりいるようだった。

 館には氷狼のまもりが掛かっていたが、彼の両親については私も詳しいことを知らない。ニーサスも、氷狼のリューンも、過去の話をすることはなかったし、私も彼の生い立ちについては興味がなかった。

 ただ、日に日に国全体へ異様な空気が満ちてゆく中、あの館だけは穏やかな日常が続いていて、その静穏に近く接していたお陰で私自身も狂わずに済んだのかもしれない、と今になれば思う。


 狂王は、血に飢えたという形容に相応ふさわしい人物だった。

 わずかな手勢で他種族が住む集落を襲い、滅してらい、さらってきてなぶり殺す。そうやって、二大帝国に属さぬ近隣の小国家や集落は、あっという間に喰い尽くされていった。

 語るに陰惨いんさんすぎるその所業と、王にまといつく血の匂いが、国に住む魔族ジェマたちをさらに狂わせていったのかもしれない。


 すべての住人が殺戮さつりくに加担しているわけではなかったのだけどね。

 闇の王がした呪いを恐れている者は多かったし、若い頃に他種族の者を喰ったことがあって、もう喰わないと決めた者たちもいた。

 けれど、他国の者に個々の考え方の違いなどわかるはずがない。


 創竜世紀1995、ついに事態を重く見た人間族フェルヴァー――ライヴァン帝国の王が行動を起こした。彼は軍を率いてサイドゥラ王国を攻め、短期間で攻略した。狂王は行方をくらませ、サイドゥラはライヴァンに領有されて戦いは終わったかに見えた。

 この最初の戦役で、ライヴァン帝国は非道を行ったわけではない。虐殺や略奪は固く禁止されており、騎士たちも兵士たちもよく統制されていた。王は降伏者に寛容だったため、双方ともに犠牲は少なく、私やニーサスの住んでいた郊外に戦火が及ぶこともなかった。


 だが、その後、不可解な事件が頻発するようになる。戦役の動揺も冷めやらぬその時期に、ライヴァン帝国内で猟奇的な殺人事件が繰り返し起こった。

 犠牲者はライヴァン国民である人間族フェルヴァーで、遺体にはどれも魔族ジェマの特殊能力の痕跡が見つかった。血を吸い尽くされ絶命した者、腹を食い破られ内臓を引きずり出された者、内側から精神を破壊され狂い死にした者、まったく無傷のままに事切れている者――。


 当然ながら軍が調査を開始し、犯人はすぐに特定された。すべて、元サイドゥラであった地に住む魔族ジェマたちの仕業だった。

 狂王とともに殺戮さつりくを行なっていた者たちは捕らえられ処刑されていたので、犯人はということになる。しかし、物証は残っているのに本人たちにはその時の記憶がない。

 ライヴァン政府がその件を処断しかね、手をこまねいている間に、事件はなおも続いてゆく。散発的で脈絡のない事件のため、阻止する手段も見つけられず、夜ごと繰り返される惨劇はライヴァン帝国に恐怖をばらいていった。


 他種族の者を喰らえば、魔族ジェマは強くなる。他者の生命を自身の力に変換するのは、闇に属する魔性の能力だからだ。

 いずれ取り返しのつかない脅威になるのでは――そんな予測に怯えたライヴァンの国民から上がるのは、当然、サイドゥラの魔族ジェマを処刑してくれという声だった。

 国王側とて、薄々気づいてはいただろう。

 魔族ジェマを狂わせた狂王は、まだ捕らえられておらず死んでもいなかった。彼が闇にまぎれ、同胞たちを動かしていたのは明白だった。


 事態に決着をつけるため、ライヴァンの王は剣を取って少数の仲間と狂王を滅ぼすために出立し、サイドゥラの地は結界によって隔離された。しかし、魔術に長けた民を人間族フェルヴァーの魔法で抑えることなどできるはずがない。

 国王不在のライヴァン帝国でも夜ごとの惨劇は繰り返され、その恐怖はライヴァンの人間族フェルヴァーたちをも狂わせていく。


 創竜世紀1977年、いまだ国王不在の最中にサイドゥラの地にて大虐殺が勃発ぼっぱつした。

 人間族フェルヴァーたちが剣を携えて魔族ジェマたちを襲撃し、魔族ジェマたちもそれに対抗したが最終的には敵わなかった。女も子供も等しく討たれ、サイドゥラは事実上、滅亡した。

 レシーラの家族や、私の弟も、その戦いで命を奪われた。


 戦禍せんかは、ニーサスの館には及ばなかった。私は只中ただなかにいたが、運良く……生き残った。

 人間族フェルヴァー側が剣を収めたわけではない。彼らはおそらく、サイドゥラの魔族ジェマたちを皆殺しにするつもりだっただろう。生き延びた者がいたのは、その場に介入した者がいたからだ。

 白い髪、紅い目の魔族ジェマだった。

 傍らに翼族ザナリールの若者を従えて、凄惨せいさんな戦場に突然と現れたのだ。


 私は魔術師ウィザードで、これでも結構年を重ねているのだが、あの魔法を実際に目にしたのはいまだにあの時きりだ。

 彼は杖も持たず、武器や鎧の類もいっさい身につけておらず、白い長衣を身にまとった学者のような姿で災禍さいか只中ただなかに立ち、悠然と太陽に手を伸べた。その瞬間に昼夜が逆転し、無数の流星が空を埋め尽くした。

 言葉にすると作り話めいているが、本当にそうだったとしか言いようがない。それと同時に、その場にいたすべての者の戦意が喪失した。


 直後に駆けつけたティスティル帝国の軍人たちによって争乱は収められ、サイドゥラの生き残りはティスティルへ引き取られた。白い魔族ジェマ星竜ティスティルの守護者と呼ばれ、白き賢者という通り名で知られていると聞いたのは、それからだいぶ後になってからだ。

 今だからこそわかる。あの魔法は、無属魔法の最高位である【星刻の奇跡スタークォーツ】だったのだろう。

 あの瞬間に、殺意に荒れていた人間族フェルヴァーだけでなく、狂王によって操心の呪いを植えつけられていた魔族ジェマたちも、その狂気から解放されたのだ。


 サイドゥラ王国は滅びたが、生き延びた者もいる。彼らの大半は今、ティスティル帝国に住んでおり、ニーサスもそれを機にティスティルへと引っ越したと聞いた。

 生き残った者はほとんどが戦えない弱い者か、幼い者たちだった。彼らの心に焼きついた虐殺の恐怖はひどく鮮烈で、それゆえにサイドゥラ出身の魔族ジェマたちは人間族フェルヴァーを激しく憎んでいる。

 どちらが先に手を下したかなど、こういう場合は意味のないことだ。


 私も長い間、心をむしばむ暗闇に悩まされた。唯一の家族だった弟をうしない、故国を失い、生きる意味すらわからなくなっていたのだろう。

 人を喰らう魔族ジェマの能力が争いを生み、そのせいで何の罪もない弟が殺された。そんな世界の不条理が憎かったし、魔族ジェマである自分の生もいとわしかった。


 ――ルイズに、会うまでは。





 狂王の封印に至る顛末てんまつを話そう。

 サイドゥラで起きた惨劇の後、ライヴァン王エイゼルは幾人かの精鋭とともに狂王と対峙たいじした。激しい戦いの末、彼らは狂王を追い詰め、確かに止めを刺した――はずだった。

 しかし死んだのは刺した仲間のほうで、狂王は死ななかったのだという。

 外傷もないままに一瞬で事切れた仲間を見て、ライヴァン王は再度その剣を振り下ろすことはできなかった。彼は王であり、その双肩には帝国全部の責任が掛かっている。冷静で賢明な判断だっただろう。


 しかし、寿命の長い魔族ジェマを殺さず捕らえておくというのは、人間族フェルヴァーには負担の大きいことだ。死なない要因を特定しようと彼らは多くの時間を費やしたようだったが、それも叶わなかった。

 それでエイゼル王は宮廷魔術師たちに指示を出し、元々この森の聖域にあった古代の魔法構造物を利用して塔を建て、そこに狂王を封じ込めたのだ。


 狂王はその通り名どおり、瞳を見た者に操心と狂気を植えつける能力を持っている。ゆえに、人の身で狂王の世話をすることはできない。

 塔の基盤になった魔法構造物は精霊の使役に関するものだったので、ライヴァンの宮廷魔術師たちはそれを利用したようだ。彼らと賢者たちが組みあげた鍵で塔を閉じ、精霊を使役して狂王の世話をさせることにしたらしい。

 使役の魔術式の中心に組み込まれたのが、この森に住んでいた光の精霊獣である一角獣ユニコーン……聖獣だ。


 そんな中途半端な結末から20数年が過ぎ、この森に引っ越して隠遁生活を送っていた私は偶然その事実を耳にした。故国の復興にも人間族フェルヴァーの復讐にも興味が持てなかった私が、なぜ塔を見にいこうと思い立ったのかは、今でもよくわからない。

 塔の仕掛けそのものは非常に単純だ。監獄島のゲートと似た仕組みで、『鍵』を示せば『扉』が従う。つまり、『鍵』さえ強奪あるいは複製してしまえば、解放は簡単なのだ。

 それを補うための精霊の使役で、精霊たちは許可なく塔に近づく者がいれば妨害するよう命令を受けている。


 私は『鍵』など持っておらず、狂王を解放する気もなかったくせに、当時は世界憎しが極まって精霊たちをも憎んでいた。だから、塔を見に訪れた私を妨害しようと精霊たちが現出した時に、この大鎌で――斬り捨てようとしたのさ。

 そんな私の一撃を杖で受け止めたのが彼女、……ルイズだった。


 ――貴方、魔術師ウィザードでしょう。精霊を殺すなんて、やめてください。


 泣きそうな表情で、だが毅然きぜんと私に立ち向かった彼女は、当時まだ少女と言ってもいい年頃だったように思う。惰性だせいで振るったとはいえ、魂さえも傷つけるといわれる死神の大鎌デスサイズだ。かなりの恐怖心と戦っていたに違いない。

 勇気ある彼女のそんな言葉は、心まで壊れ切った私にとって不思議な衝撃だった。

 精霊は人のような魂を持たず、魔法学問的に言えば『魔力の塊に自我が宿ったもの』に過ぎない。利用しても消滅させても、罪に問われることはない。そんな存在に対して『殺す』と表現すること……私にとって、新しい考え方だったのだ。


 ――面白い。

 ふと感じた興味が、そこからの私を変化させていくことになる。



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