9.愛おしいと想うなら
[9-1]月下の決闘
村人たちによる歓迎の宴は深夜まで続き、心地よい満足感と酔いに浸りながら借りたベッドで
どんな場所でも必ず枕元に忍ばせている小剣をつかんで、鞘ごと振り抜く。カンと硬質な音が響き、重いため息とともにギアは眼前に立つ長身の男に話しかけた。
「……何のつもりだ、ロッシェ」
「さすが腕利きの傭兵。眠ったまま殺されてくれるわけもない、か」
彼の意図をつかめぬまま、ギアは声を低めて聞き返す。
「俺を試した……のかよ」
「どうしてそう思う」
「あんたの
「傭兵と殺し屋では、戦場が違う。比較のしようがないさ」
肝心の意図が見えてこなくて、つい無意識にギアは眉を寄せる。会話として成り立っているようで、微妙に食い違っているという不快感が、警鐘となって内側で鳴り響いているようだった。
誰もが寝静まった深夜、気配も殺さず人の寝所に入ってきて、殺意のかけらもない剣を振り下ろす。
ロッシェは何がしたいのだろう。
「あんた、まさかラディンに――」
「まだ何もしてないよ。彼には、聖獣に……森の
「容赦しねぇって、言ったよな?」
本気なのか、挑発なのか。
カーテンの隙間からわずかに差し込む月明かりだけでは、ロッシェの表情を見ることができない。それでも、彼がラディンの命を脅かす意図を匂わせるのであれば、看過などできるはずがなかった。
眼前の長身が身動ぎし、カチリという音で武器が仕舞われたのを察する。どこか満足げな声でロッシェが言った。
「君が、たった今、言っただろう。僕の技量は君に勝る。であれば、君に僕を止める手立てはない」
「それぞ、あんたが言ったんだろ? 傭兵と殺し屋では、戦場が違うってな」
「……そうだったね。だから、決闘しようかアークシィーズ王子。君が勝って僕を殺せば、ラディン君の安全は保証されるというわけだ」
思いもかけない、というよりは話の飛躍についていけず、ギアは黙って目を
――意味が、わからない。
そうまでしてロッシェがラディンを憎む理由を、ギアはいまだ理解できずにいる。
「やめろよ、そんな無意味な」
「意味ならあるさ。アークシィーズ王子、……君は、悪を滅ぼし世界を救う英雄の器だ。君が剣を取って立ちあがり、彼らと力を合わせて狂王を討ち、世界が壊されるのを阻止すればいい。そのために、第一の障害となる僕を排除するのは理にかなっているだろう?」
「ふざけるな。これは現実であって、英雄譚じゃねぇんだぜ」
苦々しく言い放ち、無視しようとした――そのギアの耳に、ロッシェの淡白な語りが聞こえてくる。
「狂王を捕らえ、封印したのは、当時のライヴァン王エイゼルだった。封印を施したのちエイゼル王は早逝したが、その方法は息子であるルウィーニとラスリードに受け継がれた。王位の譲渡に際し、ルウィーニはその方法を炎帝に伝えた。その後、ルウィーニは監獄島へ送られ、ラスリードは行方不明になり、炎帝は、僕が、殺した」
突然の過去語りが何を意味するのかわからず、ギアはロッシェへと視線を向ける。半ば予想がついていたとはいえ、これは炎帝急死の真相に関する自白証言だ。それを自分に聞かせて、どうしろというのだろうか。
細められた双眸に感情の動きは見えず、わずかな夜光の中でガラス細工のように無機質に見えた。憎しみも怒りもなく、殺意すら映っていない。
「はじめから結末は見えていた。狂王を封じる手立てはもう、ラスリードしか知らない。狂王が世界を壊すのを阻止するには、前王統を連れ戻さなくてはいけない。それで、僕は、それを邪魔したいのさ」
「……だから、何でそうなるんだよ」
「君が納得できるかなんて関係ない。僕を止めて、ラディン君を守るんだろう? だったら、僕と戦って勝ってみたまえよ」
これ以上の説得は無理だとあきらめ、ギアは重い腰を上げて立ちあがる。騒がしくならないよう気を遣いながら靴を履き、愛用の
ロッシェに促されるまま外に出て、森のほうへと歩きだした彼のあとに
空には満ちた月が輝き、人族による手入れのはいった森は、夜とはいえ淡い光が満ちていて美しい。低く余韻をひく鳥の声や、どこかで遠吠える狼の声が、冷えた夜風に流され聞こえてくる。
無言で前をゆく背の高い姿を追いながら、ギアは彼が話したことをぼんやりと
世界、と、ロッシェは表現したが、狂王をこのまま野放しにしていれば間違いなくライヴァン帝国は壊されてしまうだろう。フェトゥースは狂王の逃亡を自分の失態だと考え、その捕縛と再封印のために手段を探っていたはずだ。ロッシェもそれに協力し、調査の過程でさっき話していたような内容を知ったのだろう、と思う。
前王統でなければ方法を知らぬというのなら、連れ戻して手立てを聞き実行する、というのが普通の思考ではないのか。
それが協力か、強制か、形はともかくとしても。
ロッシェがこうも頑なにラディンを――あるいは前王統を憎むのはなぜなのだろう。
「……なぁ」
前をゆく長身に声を掛ける。ロッシェは立ち止まることはしなかったが、声だけが返ってきた。
「なんだい」
「あんたは何が怖いんだ」
「愚問だね。恐怖というのは未知の事象に対して抱く感情だ。だけど、確実に訪れる未来……それを恐怖とは、言わない」
淡々と返ってくる答え。この会話は噛み合っているのだろうか、それともはぐらかされているのだろうか。
自分が理解できていないだけで、ロッシェはもしかして、本音を語っているのだろうか……?
どうとも判断できないまま、ギアは問いを重ねる。
「その……確実に訪れる未来とやらは、何なんだよ。ラディンを殺せば、その未来が変わるっていうのか」
「どうだろうね。でも、世界の滅びは確定するんじゃないかな」
「それなら殺さなきゃいいだろ」
しばしの沈黙が流れ、不意に前をゆくロッシェが立ち止まる。わずかにこちらを振り向いた彼の目が、強い感情を映して光った、ように見えた。
「王であり続けても苦しむだけ、だけど追い落とされれば待つのは牢獄か死。そんな世界なら、滅びてしまえばいい。人の命を刈り取るのが
「……ちょっと、待て。ロッシェおまえ、誰の話をしてるんだ?」
何か、重要な何かの片鱗が見えた気がした。けれど、聞き返しても返るのは沈黙のみ。足を早めるロッシェを引き止めようと自分も急ぎ足になったギアの視界が、突然と開けた。
ずっと続いてきた木立が切れ、大きな湖が目の前に広がっている。細波ひとつない鏡のような湖面には、大きな丸い月が映っていた。砂浜のように白く広がる
「僕の感傷こそ、気に留める意味もない。言葉を並べるより、その剣で示してみたまえよ。仲間を守り、世界を救ってみせろ……アークシィーズ。君には、簡単なことだろ?」
「その名で呼ぶな、俺はギアだ。……簡単なことだって? ふざけてんじゃねぇぜ」
「僕は本気だ」
引き抜かれた
「ロッシェ、ルベルを、どうするつもりだ」
おそらく親一人、子一人なのだろうというのはわかってきていた。彼の語る世界の中で、ルベルの位置づけがわからない。ギアには、ロッシェがあえて考えるのを避けているように見えたのだ。
それでも、問われることは想定内だったのだろう。ロッシェは作り笑いを顔に張りつけ、目を伏せる。
「あの子は、誰よりも大切だ。幸せになってもらわないと、母親の分までも。そのために――」
答えであって答えではなかったのかもしれない。
囁くように言って、閉ざした言葉の先。声にされなかったそれを直感的に察してしまい、ギアの中で何かが弾けた。
胸に、言葉にできない強い感情が湧き起こる。怒りとも悔しさともつかないそれに突き動かされ、ギアは
荒ぶる思いのままに、怒鳴りつける。
「何考えてんだ、ロッシェ! おまえ、俺に――――自分を殺して欲しいんだろう!?」
憎悪ではなかった。
怒りや恨みでもなかった。
道理で、からっぽなわけだ。回りくどく語っているようで、実のところ彼はとうに自分の未来をあきらめていたのだから。
――恐怖とは、言わない。
それを人は、絶望と呼ぶ。
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