8.脱獄の先に

[8-1]地下から地上へ


 エリオーネが地下で運命的な出会いを果たしていた頃。少年二人は、彼女が行動を起こしたことをまだ知らずにいた。

 二人とも、彼女に危険を冒して欲しくない気持ちと、彼女に物申すのは怖いという気持ちが共通している。それで何か良い代替案を考えようと互いに意見を出し合ったのだが、有効打になりそうな案は思い浮かばなかった。


 ルインはエリオーネの雇い主でもあり、仲間でもある。

 もう泣き落としちゃえばいいじゃん、とケルフに強要され、断りきれずに彼女の部屋へと出向いたところだ。


 時刻はもう夕食の頃合い。泣き落とすかどうかはともかく、食事の誘いをするくらいならいいだろう。

 外はすっかり陽が落ちていたが、王城内外には明かりが灯されており、暗さは感じなかった。城側より借りている各自の部屋に表札のような物はないが、ルインがエリオーネの部屋を間違えるはずがない。

 それなのに、何度ノックしてみても返事がないのだ。


 ――まさか。


 自分の顔色がなくなっていくのがわかる。

 彼女は蝙蝠の獣人ウェアバットなのだから、昼より夜の方が動き易いだろうことは明白だ。そう思いつつも、寝いているだけかもしれないと考え直し、ルインは思い切って部屋の扉を押し開けた。

 怒声が飛んでくることもなく、綺麗に片づけられた部屋の中には誰もいない。

 夜陰を狙って潜入を決行したのだ、という事実に気づき、ルインは頭が真っ白になってケルフの元へと駆け戻った。


「大変だよケルフ! エリオーネもういないよ!?」

「うげっ、マジか」


 一瞬で顔色を失くしベッドから飛び降りたケルフは、立ちくらみに襲われたのか、苦しげな声で呻いてその場に座り込んでしまった。慌てて助け起こし、ベッドに戻してやる。


「ケルフは寝ててよ。ボク、捜してくるから!」

「捜すって……ルイン、場所わかってんのかよ」

「わかんないけど、でも、エリオーネ一人でなんて行かせられないよ!」


 こうしている間にも、事態は取り返しがつかなくなっているかもしれない。ケルフはよろよろと身を起こし、書く物を探してテーブルの引き出しを開けたり閉めたりしている。


「……今、支部の場所を地図に描いてやるから」

「え、大丈夫なのソレ」

「危ない橋は渡るものじゃないわ。それに、場所がわかったところでルインに潜入なんてできるわけないじゃない」

「それは、そうかもだけど……って、えぇぇエリオーネ!?」


 いつの間に来ていたのだろう。驚愕のあまりひっくり返った声をあげて振り向いたルインの目に、にっこり微笑んで手をひらひらさせているエリオーネが飛び込んできた。怪我している様子も、焦げたり凍ったりしている様子もなくて、安堵がどっと胸を満たす。


あねさん! まだ行ってなかったんスね、良かった」

「何言ってんの。もうとっくに潜入終えてきたところよ。ちょっと手が借りたくて、ルインを呼びに……ね」

「終えたって早ッ、――え、ボク?」


 たった今『潜入なんてできるわけない』と切り捨てられたばかりのルインは、なぜ自分が、と思いながら目を瞬かせた。ケルフが聞きとがめて不満げな声をあげる。


あねさぁん、オレはお呼びじゃないんですねえぇぇ」

「立っただけで目を回すようなヤツ、連れて行けるわけないでしょ」


 涙目で訴えかける暗殺者アサシン少年をバッサリ切り捨て、エリオーネはルインの手をつかんで同行を促した。一瞬ためらいつつも、ルインは素直に従うことにする。置いていかれたケルフは泣いてしまうかもしれないが、絶対安静な現状では仕方ない。


「……エリオーネ、何かあったの?」

「あったのよ。でも、ちょっとココじゃ……とにかく来てくれる?」


 早足で廊下を進みながら尋ねれば、エリオーネは周囲を警戒しつつ小声で応じた。さすがにルインにも、何か尋常ならざる事態だということはわかったので、それ以上聞くことはせずに頷きだけ返して同意を示す。

 折しも時刻は夕食時。王族と一緒に食事をとるわけにもいかないので、使用人たちが使う食堂を借りることになっていたのだが――それどころではなさそうだ。今、城に残っているのは自分とエリオーネ、そしてケルフだけなので、出向かなくても怪しまれることはないだろうけれど。

 ……とか色々と考えているうちに、使用人食堂近くの通用口まで来ていたらしい。

 ここに来た意味を悟って、ルインは思わずエリオーネを凝視した。


「まさか、城外に出るの?」

「当然でしょ。ま、あたしならともかくルインじゃ衛兵に見つからず出るのは無理でしょうから……帝都市街の、あんたがわかる場所にテレポートして欲しいの」

「う、うん。わかった」


 ケルフの見張りはいいのだろうか、と一瞬思ったが、抜け出して逃げるほどの元気はないし、ここ数日のアレコレで警備も強化されているから大丈夫だろう。彼の夕飯がどうなるかは少し気にかかるが、考えても仕方ない。

 触れあったままの彼女の手を、ルインはぐっと握り直す。

 彼女が抱えている仕事を自分が幾らかでも手伝えるなら。それは、ずっと望んできたことなのだから。





 日暮れからだいぶ時間が経った今、大通りを照らすのは外灯と民家の明かりのみだ。帝都市街へ転移するとすぐ、エリオーネはルインを連れて地下道へと入り込んだ。

 古井戸から降りる時うっかり先に入ってしまい、後から来るエリオーネに「上を見たら殺すわ」とどやされて、動揺のあまり梯子から落ちかける……という事故寸前なハプニングもあったが。おおむね順調に事は運んで、二人は今、光の差さない地下道を早足で進んでいる。

 地下独特のじっとり冷えた空気感と不気味な静けさに恐怖を煽られはするが、前をゆくエリオーネの足取りが揺るぎないのは心強かった。


「ボクこれでも夜目が利くほうなんだけどなぁ」

「暗さのレベルが違うのよ。それに魔族ジェマ獣人族ナーウェアと違って、本性オオカミ特性の恩恵あまりないでしょ」

「そっか……獣人族ナーウェアってすごいんだね」


 小声でそんなやり取りを交わしつつ、ひたすら奥へと進むこと十数分だろうか。見えないながらも少しずつ目が慣れてきたため、進行方向で何かがうごめくのに気づいてルインは思わず足を止める。

 隣を歩いていたエリオーネが、ほっと安堵の息をついたのがわかった。


「良かった、無事ね」

「ようやく戻ってくれたか。さあ、早くここから連れ出してくれ」

「ええ、もちろん……どうやら脱獄にも気づかれちゃったみたいだし。急いで、ルイン」


 ルインには誰かわからない相手とエリオーネが言葉を交わし、背中をぐいと押された。えぇ、と思わず声をあげれば、正面から謎の人物に肩をにがっしりとつかまれる。

 暗すぎて姿も顔も見えないが、人族らしい……というのだけ辛うじて認識した。


「おまえがテレポートを使える魔族ジェマとやらだな? 頼んだぞ」

「え、っと……でも、どこへ行けば」


 動揺を抑えることはできないが、緊急事態なのは理解できた。自分がここに連れてこられた理由も。

 震えている手をぐっとつかまれる。細い指、滑らかなてのひら――エリオーネだ。


「帝都以外であればいいわ――そうねシルヴァン、港町シルヴァンの裏通りのどこかに、早く!」

「うん、わかった!」


 規則的に石畳を叩く踵の音と通路を照らすカンテラらしき明かりが、少しずつ近づいてくる。はやる気持ちを抑えながら、ルインは一語一語間違いのないよう魔法語ルーンを唱えた。だいぶ慣れてきた感覚は、酔いを催す空間転移の副作用。

 ぐるりと、世界が回った。


 地下の暗闇から月明かりの照らす裏路地へ。一瞬で移動した先は、ルインたちとエリオーネがはじめて出会ったシルヴァンの裏通りだった。

 移動の終了を察したエリオーネが瞑っていた目を開け、周囲を見回し、声をあげる。


「お馬鹿ッ! いくら何でも道のど真ん中はナイわ!? せめてオルファの店の陰とか……とにかく移動するわよ」

「ごめんなさーい」


 心の準備も整わぬうちに、エリオーネによって物陰へと蹴り込まれる。両手を合わせて謝り倒しつつも、ルインは傍らに身を潜めている男性をチラチラとうかがった。伸び放題の黒髪、無精髭に、異臭が染みついたボロボロの衣服。それでも卑屈そうな様子はなく、眼光鋭い紫水晶アメジストの双眸はまっすぐ前を見ている。

 この人は、誰なのだろう。

 エリオーネは事情を知っているのだろうけれど、匿う場所を考えているのか聞ける雰囲気ではない。


「んー……、いきなり押し掛けて迷惑かけるのも……。でも、とにかく身なりくらいはちゃんとしないと怪しさこの上ないわ」


 アレコレ一人で思い悩んでいた彼女は、方針を決めたらしい。ルインと黒髪男性を手招いて、言った。


「『海歌鳥セイレーンの竪琴』亭に行きましょ。ここからなら、たぶん遠くないと思うの」

「うん」

「よろしく頼む」


 二人同時の返事を確認し、エリオーネは影を伝って歩き出す。

 宵闇がゆるやかに街を覆いはじめるこの時間、道行く人は多くはなく、それぞれが自分たちの生活に忙しく、振り返る者は多くない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る