4.桜の巨木の下で
[4-1]ランチタイムは危険の香り
森の中をステイの案内で進んでいくうちに、不意に視界が開けた。彼のすぐ後ろをついて来ていたモニカが、思わずといった風に感嘆の声を上げる。
「すごぉい! 素敵!」
人手など入らぬはずの森の奥、丸く拓かれた広場の中央にそびえ立つのは桜の巨木だった。二人掛かりでなければ抱えられないような太い幹の上に張り広げられた枝には、ピンク色の愛らしい形をした花弁が咲き誇っている。
さっき見た悪夢のブドウ散開などとは違う、本物の絶景だ。とはいえ学者を志すシャーリーアとしては、これがどれほど美しい風景だろうと騙されるわけにはいかなかった。
「なぜこんな所に、桜など……」
「すっげぇなあ。こないだより満開度上がったんじゃねー?」
警戒全開で発した台詞に被せられたのは、幼馴染みの能天気な一言。聞き捨てならぬことを聞いてしまい驚いたシャーリーアは、勢いよく後ろを振り返ってステイに詰め寄った。
「この間、……ってステイ、いつからここに居るんですか!?」
「んー。探し回って迷子になってさ……もう一週間か、リト」
「…………五日、かな」
リティウスが言うなら間違いないのだろう。この幼馴染み、村にいた頃よりも野性味が上昇してやいないだろうか。
驚きも呆れも通り越して、シャーリーアは深い深いため息を吐き出した。
「それ、もはや遭難ですよね? いったい何のために、森へ立ち入ったんですか」
「それがさー、最初の予定では空翼便で越えようって話だったんだよ。なのにエフィが途中でペンダント落としやがって……」
「それだって、ステイが見せろって言ったからですわよね!?」
エアフィーラが聞きとがめて抗議の声を上げ、黙って聞いていたリティウスが額を押さえて、ポツリと呟いた。
「……そうして、見せろ嫌だで喧嘩した挙げ句、落としたんだろう」
「はあ。ステイ、最低じゃないですか」
飛行船の甲板から私物を落とすなんて聞いたことがない。相当の高さがあるし、ここは樹海だ。探そうという心意気は元凶であるなら当然見せるべきだとしても、闇雲に探し回るなんて狂気の沙汰だ。
と思いつつも、涙目のエアフィーラにそれを言えるはずもなかった。
で、桜か。
ステイ
リーバが隣にやって来て同じように桜を見あげ、首を傾げた。
「桜って今の時期だっけ。狂い咲きかな?」
「だいぶ前に終わった気がしましたが、大陸も違いますし、どうなんでしょうね」
二人で何となく言い交わしていると、リティウスが白豹の耳を震わせこちらに視線を向けて言った。
「……一応、気をつけたほうがいい。……ああ見えても、
「え。まさか魔物の下でお弁当ですか」
「……敵性も、毒性もないから、大丈夫だろう」
大丈夫と言っている本人が一番不安そうな表情をしている。物憂げなアイスブルーの瞳にやはり無視できない
辺りは開けているものの、巨木の根本は満開の花弁が重なり合って日陰になっている。お互いが敷物を出し合って地面に広げ、持っていた食料を広げて、いざランチタイムだ。
五日間も樹海を彷徨っていたというステイ
「これは、シマシママイタケの簡単サラダですわ。この辛めのソースがポイントですぅ! あ、ちゃんとステイが毒抜いてくれたから安心ですわ」
肉類がないのはこの際、仕方ない。五日間の内に
「……いや、俺は遠慮することを勧める」
蒼ざめた顔で首を振るリティウスの様子から、彼がさぞやおぞましい事態に見舞われたのだろうと察することができる。それも当然だろう、このサラダどれも見た目は非常に美しいが、素材が普通ではない。
「シマシママイタケ……って何?」
「知らないのかいリーバ。食べると全身にカツオの様な縞模様が浮き上がって呼吸が苦しくなり、最後には死に至る……」
「それはシマシロタケですよニーサス。シマシママイタケはワライダケの一種、手足が勝手に踊り出すという特殊な症状が――って僕の分まで取りわけないでください」
キノコ類に毒のあるものが多いというのは世間の常識だと思うのだが、わざわざ毒キノコのみをチョイスしているのはどういうことなのか。
頼んでもいないのに、大盛りに取ったキノコサラダを押し付けてくるステイの手を押し戻しながら、シャーリーアはジリジリと後退する。自分の身は自分で守らねばならない。
「大丈夫だって。オレ様が毒抜きを――」
「だから心配なんです」
キノコにだって毒抜きできる種類とそうでない種類がある。確かにシマシママイタケは毒抜きが可能だが、それは正しい手順で適切な処理をした場合だ。少なくとも、道具も何もない樹海で料理などしたこともないステイができるものではない、のだ。
コクコクと頷いて同意を表しているリティウスを見るに、自分の判断は間違っていないだろうと確信する。
「ええー、美味しいのにぃ」
「……何を食べているんですか、あなたは」
彼女が目の前で食べているのは、マヨイイチゴという毒イチゴのミルク掛けだ。致死性ではないが、バランス感覚を狂わせられてしばらくの間まっすぐ歩けなくなるという。
こちらも、ジャムなどに加工すれば食用可能(しかも絶品)なのだが、生で食べてはいけないものだ。
「エフィは、……体質だ。……
「まさか。
ブドウの一件で証明済の通り、精霊や半精霊に毒は効かない。しかし、彼女は人だ。確かに一般的な
「……何者ですか?」
「……知らん」
「何ごちゃごちゃ話してンだよ! オレの毒抜きがオッケーだからに決まってるだろ? おまえたちも食えって。ちゃんと食わねーから、どっちも虚弱なんだろが」
食事の輪から少しずつ取っていた距離を一気に詰めて、ステイが二人ににじり寄る。この幼馴染みが脳まで筋肉だというのは知っていたが、まさか内臓が鋼鉄だったとは。
イラッとした様子でリティウスが唸った。
「……いらん。……余計な世話だ」
「僕もいりませんので! 精霊や精霊獣ならともかく――……あ!」
「ん?」
ステイに言い返したところで不意に思い至り、思わず声が出た。
人族離れした雰囲気と言動、普通ではありえない特異体質、彼女はもしかして『精霊の子』というものではないだろうか。
「いえ、何でもありません。とにかく、僕は自分の
「ちぇ」
不満そうな表情ながらも、幼馴染みなだけにシャーリーアの虚弱体質についてはよく知っているステイだ。それ以上無理に勧めてくることはせず、言いかけたことについて問い詰めたりすることもなかった。
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