[3-3]迷いの森の結界探し


 貴石の塔に近づけば近づくほど、何かの香りが鼻につく。


「これ、この匂い……。イヤな感じで、鼻が利かなくなるのぅ」


 後ろを歩いていたパティロが不快げに呟いた。嗅覚ではそれほど優れていない人間族フェルヴァーのラディンでも感じる、えがらいような刺激臭。狼の獣人ウェアウルフならなおさらだろう。


「これ、顔に当てておくといいわ」

「ん」

「ボクも、ボクもー」


 会話につられて振り返り見れば、インディアが大きめのハンカチを子供たちに手渡していた。ロッシェが辺りを見回しながら口を開く。


「感覚を鈍らせる薬だね。毒性は低いけど、獣人族ナーウェアは五感が鈍るのを嫌うから、人避けのために焚いているのかもしれないよ」

「香みたいなモノか? つまり、それを焚いてる辺りが結界の起点か……」


 ギアが立ち止まってロッシェと話しはじめたので、ラディンも足を止める。

 森を迷宮化する魔法はあるものの、かなり高位の魔法であり効果も一日程度しか続かない。であれば、魔術式なり魔法道具なりを設置して結界を維持しているのでは、というのが二人の考えらしい。

 そうだとしても、この広大な森の中から設置場所を探し出す方法などあるのだろうか。


「たぶん【迷宮化ラビリンス】に似た結界だと思うんだけど、そんな高度な魔術式なんて組めるかしら」

「禁術か、精霊の使役か、何にしても起点を見極めないとね。君は――どこだと思う? ラディン君」


 インディアと話していたロッシェが不意に、こちらを見た。心臓が冷える感覚とともに、軽い苛立ちもわき起こって、ラディンは思わず語気を強めて言い返す。


魔術師ウィザードじゃないおれに判るわけないですよ」

「そうよ。真面目に考えてよね、ロッシェ」


 ふざけていると思ったのだろう、インディアが唇を尖らせてロッシェを睨んだが、彼は薄い笑みを顔に貼りつけたまま言葉を続けた。


「魔術の技能スキルと、魔法の才能は、別物だからねぇ。だから……、どこだと思う?」


 ロッシェはラディンが持つ〝真実の目トゥリアル・アイズ〟について知っている。であればこれは、挑発なのかもしれない。

 ラディンは黙って顔を上げ、まっすぐロッシェを睨み返した。何を考えているかわからない紺碧の双眸に呑まれないよう、無意識に眉を寄せる。


「そういうのが勘で判るとしても、空から見下ろすとかしないと特定なんてできないですよ。おれに絡んでないで、現実的な方法を考えたらどうですか」

「……何を怒っているのかな」


 神経を逆立てるような物言いはわざとなのだろうか。空々しい笑顔で肩をすくめるロッシェを無視し、ラディンは前方へ戻ろうと踵を返す。インディアは魔術師ウィザードだし、ギアとおそらくロッシェも魔術技能スキルを持っている。自分が出る幕はないだろう。

 と思ったところをギアに肩をつかまれ、止められた。

 思わず見れば、名案を思いついたとでも言わんばかりにギアが目を輝かせている。


「アニキ?」

「いいな、それ、それで行こうぜ! お嬢、あんた【飛行フライ】の魔法は使えるか?」

「あたしは土属性だから、風魔法は無理よ」

「あ、そうか」


 何を今さらと言いたげな半眼で見られ、ギアは苦笑しながらフォクナーへと視線を転じた。三角折りしたハンカチで顔を覆っている妖精族セイエス少年は、さっきから妙に大人しい。


「フォクナー、おまえ、飛べなかったっけ?」

「ボク? 飛べるようになりましたー! ほめてくれたまえッ」

「おー、偉い凄い」


 得意そうに踏ん反り返る天才少年をひっくり返らないよう押さえつつ、ギアは自分のバッグから大きめのメモ帳とペンを取り出した。


「じゃ、おまえさん。上から見て魔力が溜まってる部分をスケッチして来てくれねぇか?」

「えぇえ、ムリムリぃ!」

「何でだよ。妖精族セイエスって魔力感知能力センス・オーラ持ってるんだろ?」


 精霊と親和しやすい妖精族セイエスは、生まれながらに魔力や精霊の動きを見ることができる。加えて魔法の天才でもあるフォクナーなら、上空から結界の起点や設置ポイントを目視できるはずなのだ。

 が、当人は身震いしてギアから距離を取りインディアの陰に隠れると、顔だけそっと出してブンブンと首を振った。


「やだよぅ、だって空にはシツェゲドリがいるんだぜっ」

「何だよそれ、シツェギドリ?」

「シツゥゲディリッ!」

告死鳥シツゲドリでしょ」


 盾にされたインディアが、クスクス笑いながら突っ込む。ギアはハァと大きくため息をつき、片手で自分の髪をかき回した。


「何だその変な発音」

「ハリガネヤロウのマネさー! だってなんかカッコヨサっぽいじゃん?」

「どこがだよ。それよりマッピングだよ。空には何もいねぇよ」

「イヤだっ、ボクだって命はおしいんだからなーっ」


 言い聞かせようとするギアを遮ってフォクナーがキッパリと言い切った。ギアは無言で空を振り仰ぐ。

 ロッシェの御伽噺おとぎばなしは効果覿面てきめんすぎて、過剰な効果を醸してしまったようだ。


「仕方ねぇ、俺が行くか。まぁ、一人くらいなら運べるしな。一緒に来てくれ、ラディン」

「え、おれ? うん、いいけど」

「ちょっと、待ちたまえよ」


 ギアの意図がわからないまま頷いたラディンだったが、そこへロッシェが焦ったように待ったを掛ける。


「何だよロッシェ」

「何だよじゃないよ。この子たちとインディアを僕一人に押し付けていくつもりなのかな」

「自分で撒いた種じゃねぇか」


 冷たく言い返され、ロッシェが眉を下げる。まぁまぁ、となだめるようにインディアが割って入って言った。


「大丈夫よ、あたしもいるんだし。偵察するほうだって、二人一組が安心でしょ」

「よろしく頼むぜ、お嬢、パティ」

「ボクはー? ボクにはっ!?」

「おまえがヤダ言うからだろうがっ」


 名前を挙げてもらえなかったフォクナーが自己主張するのを適当に流し、ギアは持っていたメモ帳とペンをラディンに手渡した。


「俺は魔法に集中するから、それはおまえが持っててくれよ。さ、行こうか」

「うん、わかった」


 ギアがラディンの正面に立ち、二人で呼吸を合わせ、魔法を発動させる。そよりと発生した青い風が二人を包み込み、空へと持ち上げた。

 元より魔法に疎く、土属性でもあるラディンは風魔法に詳しくない。それで、ギアの行動に現れていた違和感に気づかなかった。だから、二人を見送るロッシェが険しい視線をギアへと向けていたことにも、気づくことはなかった。




 ***




「ねぇ、イディ。初期段階の飛行魔法フライは確か、自分にしか使えないよねぇ」


 低められた声で問われ、インディアは目を丸くする。土の反属性である風魔法は彼女にとって縁遠いもので、疑問にも思わなかったが――言われてみれば確かに、【他者浮遊レビテーション】は高位魔法の一つでギアが使えるはずもない。


「そういえばそうよね。ギア、魔術はそこまで技量レベル高くなさそうだけど」

「……これは、してやられたな」


 苦く笑うロッシェは、普段の飄々ひょうひょうとした雰囲気が影を潜めている。鬱蒼うっそうとした森にいるからというだけではない寒気を感じ、彼女は思わず杖を握り直す。

 インディアの隣で一部始終を見守っていたパティロがそのとき不意に、ロッシェに声をかけた。


「ロッシェさんって、ラディンのことキライなの……?」


 一瞬、空間に亀裂が入ったのかと思った。

 そんなはずはないのに氷膜が割れる音を聞いた気がして、インディアは思わずロッシェの表情を凝視する。殺気のこもった視線がパティロを見、次の瞬間には霧散したのを見てしまったからだ。


「……なぜだい」

「うーん、シッポがピリピリするから……かなぁ。血の匂いと、似てるの」


 なぜも何も、あれだけむき出しならわかっちゃうでしょ、と、インディアは胸中で嘆息した。純粋なゆえに鋭いパティロの問いに言葉を失うロッシェを見て、彼が隠し切れていると本気で思っていることにも、ため息をつく。

 聡い狼少年はそれ以上は聞かなかった。

 インディアも口出しはせず、そっとパティロの手を握る。


 彼がその身の内側に暗い闇を飼っていることくらい、知っている。それでも、隠し続けたいと思っているのなら、気づかない風を装うだけだ。

 だってどうせ自分にできることなど、ほとんどないのだから。



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