[1-2]ブドウとの遭遇


 そもそもなぜ、こんな道なき樹海を進む羽目に陥っているかと言えば。


 昨晩、問答の末に無事ウラヌスを説得したシャーリーアは、条件として統括者から『仕事』を言い渡された。その内容は理に適ったもの――レシーラに呪いをかけたジェルマという名の魔族ジェマを調査することだった。

 彼がかつてサイドゥラという小国の王であったこと、人間たちの手により捕らえられ塔に幽閉されたこと、その管理をしていたライヴァン帝国の王からレシーラが塔の鍵を奪い、彼を解放したこと、まではリューンとニーサスの話によって判明している。

 しかし、幽閉されていた場所やその方法、そもそもなぜについては、唯一の情報源がレシーラであるため聞き出せない。


 ウラヌスは全部の事情を知っているらしいのだが、教えてはくれなかった。しかし、現地への移送――彼が幽閉されていた塔があるという森へ一行を連れてきてくれた。

 精霊王の統括者自らの手による転移魔法テレポートを経験できた者が果たしてこの世に何人いるだろうか。闇の衣に包まれるような心地良いテレポートは、ギアの強引なそれとは比べるべくもなかった。おそらく一生……いや死んでも忘れないだろう。

 だが試練はその先に、シャーリーアを無情な現実へと引き戻すに足る衝撃を伴って待ち受けていたのだった。


「あー、もうっ、ウラヌスってばどーしてこんなトコロに置いていくかなぁっ」

「クロちゃんだって精霊王なんでしょ? 塔の場所知らないの?」

「そーいうの、ボクの管轄じゃないんだもん……」


 今のところ、先頭を歩いているのはモニカだ。一番適応しているというか、場慣れしているというか。それに必死でついていっているのは、人型になっているクロノスである。

 妖精族セイエスは一般的に森の民と呼ばれるが、それは精霊と親しく森に通じているというだけで、一部の獣人族ナーウェアのような適性があるわけではない。こういう、まるきり人手の入っていない森が相手では、できることは少ないのだ。


「統括者の感覚で言う『付近』って、どれほどの距離なんでしょうね……」

「こんなに鬱蒼うっそうとしていては、すぐそばに目的地があっても視認は難しそうだよね……」


 リーバと現状を確認し合って、どちらが先ともなく深いため息が出る。一応、獣道っぽいものを見つけてそれに沿って歩き出したものの、目的地の方向が特定できなくては手持ちのコンパスだって役立たずだ。

 地図すらない現状、闇雲に歩いても体力を消耗するだけだし、最悪遭難するか危険な生物に出くわすかで先がない。

 ありがたいのか、ありがた迷惑だったのか。いやむしろ、転移先について明確な要望を出さなかったのが敗因なのか。リーバはもうすでに悩むことを放棄しているようだが、シャーリーアの冴えた脳回路はそれすらも許してくれず、次から次へと無駄な想像ばかりを叩き出している。


「そもそもこの道、本当に塔に続いているのかな」


 ついにニーサスが口にしてしまった禁句に、シャーリーアは本気の目眩を感じて立ち止まり、手近な木の幹に手をついた。

 どうすればいいのか本気でわからないし、それ以前に肉体労働は苦手なのだ。昨晩は統括者の館というこれ以上ない安全な場所で休息を取ることができたが、今日このまま夜を迎えることになったら――……。


「どうしろっていうんですか……」


 その先を想像するのは脳が拒否したようだ。

 せめて獣人族ナーウェアの仲間がいれば、彼ら独自の魔法で樹上シェルターを作ってもらえたのだが。この準備不足をなんとかできないのであれば、一旦リーバの転移魔法テレポートで街に戻り、準備を整えて出直すのもアリかもしれない。


 ……と、思い悩むシャーリーアの耳に、何かが聞こえた気がした。ついつられて樹上を見上げ、ハッとして飛び退る。

 自分たちは事故のような経緯でここをさまよっているが、普通であればこんな場所に人族がたどりつくのは困難極まりないのだ。つまり、耳もとで囁かれた呼び声の主が


「どうしたの、シャーリィ」


 ついて来ない自分たちを心配してか、先行していたクロノスとモニカが戻ってきた。警戒心剥き出しに周囲を見回しているシャーリーアをクロノスが不思議そうに眺め、つられるように樹上へと目を向ける。

 大きなブルーグレイの瞳が何かを見つけて輝いた。


「うっわぁ、美味しそう!」

「……え?」


 何が、と思ってもう一度樹上に目を凝らしたシャーリーアは、何となく拍子抜けする。木の枝に緑の蔓を絡みつかせ、そこから大粒のブドウが垂れ下がっていた。野生種……にしては粒が大きく、みずみずしく、色も鮮やかな。

 人手の入らぬ樹海の奥地で見つけたにしては、不自然すぎる。

 食べちゃ駄目ですよ、という警告がシャーリーアの口から出る直前、クロノスの指が伸びて房からブドウの実を一粒もぎ取った。


「わぁ、これやっぱりすごく美味しいよ!」

「何食べてるんですか!?」

「えぇ? 大丈夫だよぅ、ちゃんと美味しいし」

「あーっ、クロちゃんズルい!」


 鬼の剣幕で声を上げたシャーリーアに、呑気な笑顔でブドウの実を差し出すクロノス。駆け寄ってきたモニカがそれを受け取って、口の中に放り込む。

 止める隙もなかった。

 元より、体力馬鹿の友人に鈍臭いとからかわれるほどには瞬発力に乏しいシャーリーアなのだ。


「モニカ、大丈夫……ですか?」

「モニカ、どうしたの!?」


 彼女はオレンジ色の両眼を見開き、硬直したまま立ち尽くしている。さすがのクロノスも動揺し、モニカの前に回り込んで手をひらひらさせている。

 目眩がひどくなるのを気力で抑えつけ、シャーリーアは先に行ったらしいニーサスとリーバを探そうとした、が。


「うわ!?」


 いきなりモニカが抱きついてきて、受け止める筋力のないシャーリーアは大きくよろめいた。辛うじて踏みとどまるも、彼女の柔らかくひんやりした身体が思考を邪魔して考えがまとまらない。何だこれ、酔っているのか混乱しているのか、どちらにしても危なすぎる。


「ちょ、あの、モニカ!? クロノス様、早くリーバたちを呼んできてくださいッ、って、わわわ」


 グイグイと体をすり寄せながら上目遣いで見上げてきた少女が、ニタリと薄笑いを浮かべた。


「ククク、自分だけいいカッコしようったって、そうはいかねぇぜぃ」

「……は?」


 凶悪な笑顔に口汚い台詞。これは、もしかしなくても。


「何だ、操られていただけか。……君! グッチャグチャのブドウジュースにされたくなければ、今すぐ彼女を戻したまえ! そうすれば、見逃してやってもいいですよ?」


 いつまでも腕にすがられているのは都合が悪いので、ワザとらしく鎌をかけてやる。自分より年下の少女にホールドされて抜け出せない自分の身体ってなんだろう、と思わなくもないが、今は後回しだ。

 はたして、相手は非常にわかりやすく動揺して二、三歩よろめき、シャーリーアから離れた。


「き、貴様! オレさまの正体がブドウだとなぜ気づいたっ!?」

「これで気づかなければ馬鹿だね」


 小洒落た嫌味を言う気力さえなくなって、シャーリーアは嘆息する。

 名称や弱点がすぐに思い浮かばないのは悔しいが、これはおそらく融合同化型の植物モンスターだ。何らかの手段で取り込み、同化させ、思いのままに操る。といっても所詮はブドウなので、複雑な思考があるわけではない。


「オレ様の正体を暴露したことは褒めてやるが、勝負はこれからだ! 貴様もこのかぐわしいブドウの粒を食べて、オレ様の一部となるがいい!」


 やっぱり、食べると同化させられてしまうようだ。わかり易すぎる上に自ら手の内を明かしてくるとは、やはり知能は高くないらしい。

 とはいえ、不敵な笑みでこちらを見ているブドウ入りモニカの身体は本人のものだ。殺すわけにも、逃げるわけにもいかない。元に戻すにはどうしたらいいのだろう。

 その時。


「モニカさん! シャーリィも無事かい!?」


 大声をあげて戻ってきたのはリーバだった。ブドウモニカがまたもわかり易く動揺する。


「な、仲間がきてしまったかー!?」

「ブルーブ・ブドウだね」

「モニカぁ、元に戻ってよぅ」


 ニーサスの声がブドウの正体を言い当てた。その背に隠れるようにして顔を出したのは、クロノスだ。


「元はと言えばクロノス様が食べるから! でもどうして、クロノス様は無事なんだい?」

「私もそうだけど、身体の造りが違うからだよ。精霊は食事に依存する生身の存在とは違うからね」

「なるほどな! オレ様の味が鈍ったわけではなかったんだな!」


 チャッカリと会話に混ざり込んだブドウモニカが、四人分の白い目を向けられて気まずそうに咳払いをした。変に人っぽくなっているのは、モニカの身体をのっとっているせいだろうか。仰々しく手を振り上げ、高笑いとともに宣言する。


「馬鹿にするな、本番はこれからだ! さあ行けえ、我が子分ども!」


 思わず身構えた瞬間、紫の弾丸のような物が耳許を掠めシャーリーアは思わず身を退く。


「うわぁ……」


 眼前に広がる光景に、思わず声が漏れていた。


 さっきまで樹にぶら下がっていたブドウの房が消え、代わりに、無数の大きな紫粒が宙に浮かんでいる。みな揃って目と口のようなものがついており、やはり揃ってこちらを見ながら笑っているようだった。


 ――絶景、である。



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