9.分かたれる道行き
[9-1]父の行方
あれから、どれほどの時間が経ったのだろうか。全身が痺れるような
「気がついたかい? まったく、酷いことをする」
聞き覚えのある声に、瞳だけ動かしてラディンはそちらに視線を送る。細い視界に初老の男性の姿が見えた。
「……スレイ卿?」
きちんと発音したつもりだったが、実際に出た声はかすれていた。老騎士はゆるく笑んで側の椅子に腰を下ろし、その通りだというふうに頷いてみせる。
そこではっと経過を思い出し、ラディンは目を見開いた。
自分は、死ななかったのだ。
思わずロッシェを捜そうと視線をさまよわせる。その様子を察したのか、ジェスレイは少しだけ身体の位置をずらしソファのほうを示して言った。
「ロッシェなら、そこだよ」
言われた方向に視線を巡らせば、確かに部屋の一人掛けソファにロッシェは深く腰掛けており、長い足を無作法に投げ出したまま鋭い眼差しでこちらを見ていた。
いまだ消えぬ殺意にさらされ、手足が冷たく冷えていく気がする。そんなラディンの怯えを察したのか、ジェスレイの無骨な指がラディンの頭を優しく撫でた。
「大丈夫だ。彼には私から、よく言い聞かせておいたよ。……痛むかね?」
「……いいえ」
震えて安定しない声だが、今度はきちんと発声できたようだ。ジェスレイが安心したように再び頷く。
「まさか、君がルウィーニの息子だったとは。ロッシェの無礼は謝ろう、済まなかった」
「おれは、……ッ」
話そうとした途端、喉に違和感を感じ、ラディンは口を手で押さえてゴホゴホと咳き込む。ジェスレイが器に水を注いで差し出してくれたので、むせないよう慎重にそれを喉に流し込んだ。
圧迫感がまだ残っているようで、息苦しいし痛みもある。
ゆっくりとした呼吸を何度か繰り返し、息を整えると、ラディンは改めてジェスレイを見あげ答えて言った。
「……おれは、招かれて来たんです。殺されそうになる理由なんて……ないはずです」
「ルウィーニからは何も聞いていないのか? この王宮との関係については」
「ある程度……は。でも、父と別れたのは子供の頃ですし、おれ自身としても過去の身分なんて実感が薄いだけです。少なくとも、国王陛下への害意はありません」
父が連れ去られたのは十年前――つまりラディンが六歳になるかどうかという頃だ。政治に関わる話をする年齢ではなく、聞いたことがあったとしても覚えてはいない。ラディンが知りたいのは父の安否についてであって、現国王がフェトゥースであることにも不満があるわけではないのだ。
ジェスレイは考え込むように視線を落とし、後方でロッシェがソファから立ちあがる。
「本人の意志がどうだって関係ないんだよ、ジェスレイ。旧王統復古のために一部の貴族が動いていることは、あなただって知ってるだろう? 向こうにとって都合のいい旗印を渡すわけにはいかないからね」
「だが、ロッシェ。不穏分子より狂王のほうが事は重大だ。私は、この子の力を借りることも視野に入れるべきだと思うが」
「じゃあ、ジェスレイは彼についての真実を話すというのかい? その上で、協力を得られると本気で思っているのかな。はッ、その方がよほど残酷だと思うね」
二人は、何の話をしているのだろう。不安に心臓が押しつぶされそうな気分になりながら、ロッシェが手を伸ばして壁に掛けられた
「何をする気だ、やめなさい」
「いま殺さないと将来後悔するよ」
「いい加減にしなさい!」
空気が震えるかというほどの怒声で叱られて、ロッシェが手を止めた。さすが騎士団長と言うべきか、怒りをたたえた鋭い眼光は有無を言わせぬ迫力を持っている。
「こんなところは変わらない。そういうところは、父君によく似た――」
苦々しく呟いた言葉は、ガンと響いた鋭い音によってかき消された。ロッシェがレイピアの柄で力任せにテーブルの角を叩いたのだ。ジェスレイは口をつぐみ、視線をラディンの方へ引き戻す。
「ラディン君。君は狂王について、ルウィーニから何かを聞いてはいないかね?」
「……いえ。当時はおれも子供でしたので、覚えてません」
「本当に?」
隠そうともせず終始敵意を向けてくるロッシェに、ラディンは恐怖心を感じつつも、多少の苛つきも感じはじめていた。
ロッシェの危惧はわからなくもない。自分はまだ若く腕が立つわけでもなく、そういう企みに巻き込まれた時に自力で何とかするのは難しいだろう。でもだからといって、短絡的に排除しようというのは理不尽の押しつけだ。
「……話してください。父は、どうなったんですか」
怒りが
「ルウィーニは、おそらくもう生きてはおるまい」
「――――ッ!!」
「生きていないって、どういう――、」
「そういう場所に送られたのだ」
それでは答えになっていない。今度こそ怒りを隠しきれず、ラディンは無理やり起き上がってジェスレイにつかみかかった。
「どういうことだよッ!」
「政治的な理由だ」
「誤魔化すな――ッ、痛ッ!?」
風のように素早く動いたロッシェに腕をつかまれ捻り上げられ、引き剥がされる。至近に迫る殺意の込められた瞳に、ぞくりと心臓が
「ほら、……やっぱり殺そうよ。僕は素直な子は嫌いじゃないけど、この子は特別だから、騙せない。かといって、真実を知ってもこちらに味方してくれるとは、思えないな」
「だが……」
ロッシェの言い分は理に適っている。騎士長の心が揺らいでいるのがわかって、ラディンは痛みをこらえながら必死で思考を巡らせた。
殺されてたまるか。
父を死なせた彼らの思惑通りになるなんて絶対にごめんだ。
「方法なんて幾らでもあるさ。リーバ君は無属の者らしいから、国家で保護すると言う名目で協力してもらうこともできるだろうし、ね。わざわざ火種を囲い込む必要は……」
「そ、そういえばっ」
リーバの話題が出たことでシャーリーアを連想したラディンは、
「父さんの残していった物、日記とか……まだ手つかずな物があった、気がするっ」
「……日記?」
ジェスレイが食いついた。父は日記を書く人だっただろうか、と自分自身で
「うん、研究資料とかも……いまは叔父さんが持ってる」
「本当かな?」
ロッシェの吐息を耳元に感じ、恐怖に身震いしながらもラディンは頷いた。父の荷物は旧家にあり、後見人のフェールザン氏が管理している。血縁ではないが、一人きりになったラディンをこの年まで面倒見てくれた身内のような人物だ。
巻き込んでしまうのは心苦しいが、いまはこの場を切り抜けるのが先決だ。
「聞いて、みる」
震える声で返答すれば、ロッシェはフンと鼻から息を抜いてつかんでいた手を離した。支えを失った身体が床に崩れ、ジェスレイが慌てたように抱え起こしてベッドへと連れていってくれた。
この騎士長も、親切なのか、それともただ自分を利用しようとしているだけなのか判断できなくて、ラディンは内心で歯噛みする。
「協力すると受け取っていいのかな?」
優しげな声音に脅しを滲ませ、ロッシェが尋ねてくる。向けられる本気の殺意には恐怖しかないが、彼の中心はフェトゥース国王だ。国王を害さず協力を惜しまない姿勢でいれば、少なくとも狂王の件に目処が立つまでは殺されることはないだろう。
素直に頷くラディンを見て満足したのか、ロッシェの
「いい子だね。うん、いい子だ。……ジェスレイ、この子は僕に任せてくれるかな? フェトゥースに害がないよう、しっかり見張っておくよ」
「ロッシェ」
「ご心配なく。殺したりはしないよ。君が、変な言動をとらなければ――ね」
す、と距離を詰めて、長い指が伸ばされる。さっきの強烈な首締めを思い出し萎縮するラディンを、ロッシェは楽しげに見おろしていた。
「これから一緒に調査をするわけだからさ。宜しくね、仲良くやろう……ルウィーニの忘れ形見」
その言葉に含まれていた強烈な悪意が、ラディンの胸に突き刺さった。悔しさと、悲しさで、涙がこみ上げてくるのを必死でこらえる。
ロッシェはそれを見届け、上機嫌な様子で騎士長を振り返った。
「ジェスレイ卿、あなたは寝ていいよ。明日は『貴石の塔』へ旅立つんだし、留守を守るあなたには万全の状態でいてもらわないと困るからね」
「ああ、そうさせてもらおう。ロッシェ、くれぐれも自重するように」
「わかってるって。おやすみ」
複雑な顔で騎士長が退室し、ラディンはロッシェと二人、部屋に残される。ラディンとしては自室へ戻りたかったのだが、この場を去る選択はなさそうだった。
「おやすみ」
そう言い残し、明かりを落としてロッシェはソファに沈んだようだった。
ラディンは眠れなかった。
怒りと、悔しさと、悲しさだか痛みだか判別できない感情がごちゃまぜになって、声を殺したまま、夢の中まで泣き続けた。
それでも――目が覚めたときはいつも通りの朝になっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます