[9-2]それぞれの朝
一睡もできないかに思えた長い夜も、気づけば朝になっていた。着の身着のままで寝たため怠さは残っていたが、痛みや苦しさはもうない。そろりと視線を巡らせてみると、ロッシェの姿はもう部屋にはなかった。
慎重に起きあがり、ゆっくりとベッドから降りる。
乱れたシャツを整えて手ぐしで髪を押さえ、ひと息深呼吸してから、ラディンは扉を開けて廊下を覗き見た。
「ラディンー!? 昨日はどうしたのぅ、どこにいたのー?」
「うわっ、パティ!?」
緊張のピークに達していたところを声掛けられてびっくりして思わず大声が出た。眠そうに腫れぼったい目をこすりながら、廊下にパティロが立っている。
いつもキラキラしているきんいろの目が少し濁っていることに気づき、ラディンは胸が痛くなった。あんな話を聞かされて、不安だっただろうし怖かっただろう。
「ご、ごめんね? ちょっと具合が悪くなったから、休ませてもらったんだよ」
「むう。寂しかったんだから……」
珍しく頬を膨らませて目をつり上げるパティロになんと答えたものか迷っていると、不意に後ろから肩に手を置かれた。なぜか感じたひやりとした冷気に、嫌な予感しかしない。
「おはよう、ラディン君。パティロ君」
「おはよです」
ロッシェの声と、ルベルの声。娘がいるなら大丈夫だろうと思いつつも、ラディンは振り返ることができなくて、小声で挨拶を返すのがやっとだった。
「お、おれ、着替えてきますので」
ルベルと挨拶を交わし合っているパティロを横目で見つつ、ラディンはロッシェの手から逃れてそそくさと場を後にする。早足で割り当てられた部屋へ向かう途中、ちょうど通り過ぎた扉が開いて、ギアが出てきた。
「よォ、おはようラディン。……どうした、何かあったか?」
「……ううん、何もないよ」
部屋へついて中に入ると、扉を閉め、ラディンは鏡台の前に立って自分の姿を確認した。
手ひどく絞められた首に跡がついているのではと心配だったが、寝ている間に治癒魔法でもかけられたのか、何の痕跡も残っていなくて少し安心した。アレコレ問い詰められて言い逃れできる自信はなかったし、うっかりすると泣いてしまいそうだ。
余計なことを言ったら殺される――それは予感でもあり、確信でもある。
ラディンは重く息をつき、クローゼットを開けた。何にしても、解決すべきものはわかっている。私情は別にして、そちらに意識を集中した方がいいだろう。
そのほうが気も紛れるだろうから。
湧かない食欲をなだめすかして無理やり朝食を胃袋に詰め、全員がいつも集まる客間へ向かう。ギアはもう部屋に来ており、ラディンを見て何か言いたげな表情で立ちあがった――ところで、扉がバンと勢いよく開いた。
「お、おう姉御、ルイン、おはよう」
出鼻をくじかれ引きつった笑みを向けるギアに、エリオーネは極上の笑顔を向ける。
「おはよ、ギア。うふふふ、ねぇ、オジサマ見なかったかしら?」
「オジ、サマ?」
不気味なものでも見るような顔でギアが聞き返したが、エリオーネは何かを見つけたのか「あっ」と声を上げて部屋を飛び出して行ってしまい、その流れで自然にギアの視線はルインへと向けられる。
どこか
「駄目。エリオーネさんには、ギアにだけは話すなって言われてるんだ。話すと、口止め料請求するって」
「何だよソレは」
理不尽にしか思えないが、エリオーネがそう言ったのならそうなるのだろう。ギアは扉の外に目を向け、それからもう一度ルインを見た。
「オジサマってジェスレイ卿のことかよ。おおかた、あの
素直なルインはお約束通りギクリと表情を固まらせた。おそらく報酬を減らされることを警戒しているのだろう。ギアも問い詰めるつもりはなさそうだ。
「そ、そういえば、シャーリィたち遅いねっ」
「おう、そうだな」
「フォクナーもまだ寝てるのかなっ」
「かもな。起こしてくるか」
うわずった声で話題そらしを狙うルインにギアも乗っかって、外に行こうとしたところで、パティロが入ってきた。白い狼耳をピコピコと動かし、ギアを見あげる。
「起こしたんだけど、起きてこないの」
「そうか。じゃ、ラディンはフォクナーを叩き起こして飯食わせてやってくれ。俺はシャーリィん
「了解」
昨夜派手に魔法を打っ放したとはいえ、これだけ寝れば十分だろう。そう思って廊下に出ようとしたラディンの背をギアが押すようにして一緒に出て、後ろ手に扉を閉めた。
思わず振り返ろうとした耳元に、囁かれる。
「二人きりン時でいい、話せよ。聴いてやるから」
それだけ言って足早に立ち去ったギアの後ろ姿を、泣きそうな気分でラディンは見送った。二人きりで、なんて、そんなチャンスがあるかもわからないけど。
「…………うん。ありがと、ギア」
ただひと言だったが、無性に心強く感じる。頑張ろう、そう自分に言い聞かせ、ラディンはフォクナーの部屋へと足を速めたのだった。
「おっはよーっス! やあラディン、今日もイイ朝だぜッ!」
ちょっと揺り起こした途端、この勢いだ。つられてつい笑いがこぼれる。
「おはよ、フォクナー。もうみんな朝ご飯食べちゃったよ。急いで着替えて食べて来なよ」
「何ィ! ボクのぶんまだ残ってるかなぁ」
「王族の人たちとかとは別卓だから大丈夫じゃないかな?」
「じゃ、着がえて食べてくるぜっ」
フォクナーは元気よく返事してぽんとベッドから飛び降りると、パジャマを脱ぎ捨て、ベッドの端に放ってあった普段着のローブに着替えだした。
客間に戻ろうとラディンが廊下へ出ると、向こうからドタドタと騒がしい足音が駆けてくる。見ればギアが大股でこちらへ向かってきていた。
「ラディン! 何だか大変なことになってやがるぜ。ちょっと来てくれ」
「え、なに?」
怖いほど真剣な表情のギアを見て、訳のわからない恐怖感が湧きだし胸を埋めてゆく。シャーリィとリーバには精霊王のクロノスがついているはずなのだが――。
「シャーリィに、何かあったの!?」
「とにかく、来てみろって」
切羽つまった様子で呼ばれ、慌ててラディンは従う。そこに、着替え終わったフォクナーがひょいと顔を出した。
「どーしたの? アニキ」
「おうフォクナーおはよう、ちょうどいい。部屋にいる姉御たちも呼んでくれ。シャーリィの部屋にだ」
キョトンとフォクナーは目を丸くしたが、すぐに、チャッと手を額の辺りにかざし、
「ラジャー!」
答えてパタパタと廊下を駆けて行った。
「ラディン、最後にシャーリィに会ったの、いつ頃だ?」
早足で歩くギアの速度に小走りで合わせながら、ラディンはごちゃまぜの昨日の記憶を整理しようと必死で頭を働かせる。
「会場でロッシェさんと話して、パティを部屋に連れて行った途中だよ。リーバさんがまだ部屋にいて居眠りしてて、起こしちゃうと悪いからあんまり長居はしなかったんだ。でも、どうして……?」
「実はな」
ギアは服の胸ポケットから、折り畳まれた紙の束を取りだした。
「こんな置き手紙を残して、シャーリィもリーバもモニカもクロもいなくなってるんだ」
「……えぇ?」
思わず足を止めたラディンに合わせてか、ギアも立ち止まる。
「シャーリィまだ本調子じゃないじゃん!」
「とにかく……まず歩こう」
促すようにラディンの腕を引いて再び歩きだすと、ギアは手紙をラディンに渡した。
「まだ全部は目を通しちゃいねえが、なんか……凄いことが書いてあるんだ」
部屋の中はまさに、
シャーリーアが寝ていたはずのベッドは綺麗に整えられ、彼が借りていた部屋着も丁寧に畳まれベッドの上に置かれている。
その横には、昨晩ラディンが着ていたジャケットがやはり丁寧に畳まれ置いてあった。
ギアが無言で身を屈め、ジャケットの上でキラリと光る金属製の物を取りあげる。
「……ブローチ?」
飛ぶ鳥を模した形のピンブローチだった。
止め金が強い力をかけられたのか吹っ飛んでいて、鋭く光る針の先端には黒っぽいものがわずかにこびり付いていた。
「これ、……血じゃねえか?」
どきりとする言葉に、ラディンは驚いてギアの手元を覗き込む。
それは見覚えのある装飾品で、ラディンは慌ててジャケットを広げ、胸元の部分を広げて見た。
「これ、この服に付いてた……」
胸ポケットのブローチが付いていた位置は、生地がひきつれるように破けていて、そこに止め金が引っかかっていた。
まるでブローチを無理矢理にむしり取ったように見える。
「とにかく、手紙読んでみようぜ」
ギアが真剣な目でラディンに言った。頷いてラディンは、几帳面に折り畳まれた手紙を丁寧に広げた。
そこに、エリオーネとルイン、フォクナー、パティロも到着する。
「何? どうしたのよ、いったい」
エリオーネがラディンの手元の手紙を覗き込む。ラディンは、その場の皆の顔をひととおり見渡してから、手紙を読みあげ始めた。
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