[8-4]なし崩しの分岐


 精神統一するように、シャーリーアはイメージの中で深呼吸をした。ウラヌスに聞き入れてもらいたいことは二点ある。

 まずは、一点目。


「最初の論点に戻りますが、ウラヌス様。改めてお願い申し上げます。無属の者であるリーバを守るためにも、クロノス様を連れ帰らないで頂きたいのです。敵は吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマ、しかも強力。私たちだけでは力及びません」


 ウラヌスは黙って目を瞬かせ、室内を見渡してからクロノスを見た。ビクッと肩を震わせる彼の様子にため息をつきつつも、ゆるりと頷く。


『確かに、それは契約だ。クロノス自身に自覚がないのは問題だが、理屈としては間違っていないな』

「同意くださり、ありがとうございます。勿論、私は責任を持ってクロノス様をも見守り、何かあればウラヌス様へ連絡を送ることを誓いますので」

『解った。いいだろう』

「感謝いたします」


 ほう、と感心したようにフェンリルが声を漏らし、シャーリーアは胸を撫で下ろす。本題はここからだが、勝ち筋は見えた……気がする。

 続いては二点目だ。


「加えて、ウラヌス様。、彼女の解呪をもお願いしたいのです。まだ短い交流とはいえ、リーバの性格を私はよく存じております。このままでは、彼は自ら危険に飛び込んでゆくでしょう」

『……どういう意味だ?』


 解呪、と言われてあからさまに不快を表したウラヌスだったが、即拒絶するわけでもなかった。その態度に確かな手応えを感じつつ、シャーリーアは慎重に言葉を続ける。


「光と闇を統べ、ことわりと魔法の原理に通じた統括者様に私から申し上げるのも烏滸おこがましいのですが、解呪には幾つかの手段が存在します。術者自身が解くこと、解呪の魔法によるもの、そして、元凶を取り除く――つまり術者の生命を絶つことです」

『……成る程、つまり』

「はい。私は、リーバであれば養い親の苦悩を見過ごすことができず、危険に飛び込んでいくだろうと予想したのですが。……ウラヌス様は、どう思われますか?」


 傍目はためからは、堂々と言い切り挑むように見返していると見えるだろう、と自覚しつつも、シャーリーアの内心は緊張と不安でひどく動揺していた。巨竜を前に立ち尽くす子猫の気分だ。沈黙の時間が引き伸ばされているかのように、長く感じる。


『解った。根拠を示されてしまえば、私とて無視することはできない。貴様たちの願い、叶えてやろう』


 一瞬の沈黙の後、喜色を滲ませて顔をあげたニーサスを牽制けんせいするように、ウラヌスは『ただし』と言葉を続ける。


『無条件とはいかぬ。それに、狂気の元凶がある以上、今その呪いを解いたところで事態は変わらないだろう。だからお前たちは今から、私が課すを果たしてきなさい。その後に改めて願いを聞き入れてやろう』


 フェンリルがクスリと笑みを零し、クロノスが大きな両目をパチクリさせてウラヌスを見あげる。

 二点とも要望が通ったことに安堵しつつ、シャーリーアはウラヌスを見あげ、ベッドの上ではあるが深く頭を垂れた。


「感謝します、ウラヌス様」

『契約であれば仕方ない。感謝には及ばぬが、安心するのはまだ早いぞ? が難題だからといって断ることは許さんからな』

「……はい。心得ています」


 無条件は期待していなかったが、その仕事が果たして自分の力が及ぶものなのか、新たな不安が頭をもたげる。この流れであれば狂王関連の案件だろうし、いずれ関わらざるを得ない相手なら統括者の後ろ盾を得られることは喜ばしいことではある、のだが。

 この先もこういうなし崩しが待ち受けていることを予感して、なんとも言えない気分に陥るシャーリーアなのだった。




 ***




 落胆するフェトゥースを見ていたロッシェの目に、一瞬鋭い光がよぎる。誰よりも素早く立ちあがって扉の方へいくと、抑えた声で返答した。


「誰だい?」

「インディアです。ちょっと宜しいかしら?」

「宜しくないよ、イディ。今、重大な話し合いの真っ最中――って、あ」


 ロッシェが全部を言い終わらないうちに扉が開き、見てわかるほどに長身の後ろ姿が動揺する。

 入ってきたのはインディアだけでなく、パティロと、眠そうな表情のルベルだった。


「ルベル! どうして連れてきたのかな、イディ」

「パパ、ルベルねむいです」

「ごめんねルベル、もう少し掛かりそうなんだ。……イディ、ちょっと」


 焦りつつも非難がましい目を向けるロッシェに、インディアは申し訳なさそうな上目遣いでポソポソと囁いた。

 

「ごめんなさい。でもロッシェ、パティロ君の故郷、白月はくげつの森だって言うから」

「――何だって!」


 聞き咎めて声を上げたのはロッシェではなくフェトゥースで、その国王の様子にギアが青ざめたので、ラディンもそれが意味するところを察してしまった。

 ギアが苦い表情で、不機嫌そうなロッシェに問いかける。

 

「ロッシェ、その、塔のある場所って」

「お察しの通りだよ。地大陸の辺境、白月の森。あの森には聖域があって、封印の塔はその地理性を利用して建てられたんだって書かれてた」

「パパ……ルベルここでねてもいいですか」

「いや、ちょっと、イディ! 悪いけどルベルを寝かせてあげてくれないかな」

「……ええ、わかったわ」


 インディアに連れられていったルベルを見送ったあと、ロッシェは改めてパティロを部屋へ招き入れた。ラディンの隣に座ったパティロは、不安そうに狼耳が下がっていて表情にも元気がない。

 重い空気を混ぜ返す意図なのだろう、ギアがひと息吐いて、パティロを覗き込み言った。


「そういや、パティロは森に霧が出て迷子になったって……話だったよな」

「うん。水鏡みかがみ湖のあたりに変な霧がでて、匂いを感じられなくなって……知ってる道のはずなのに、どこまで行っても村につかなかったの」


 麻薬か、幻薬の一種だろうか。

 森を迷宮化する魔法もあるがそれに霧はともなわない。単純な精霊魔法だけでなく別の術法が関係しているのであれば、打ち破るのは難しいかもしれない。


「情報が少なすぎて、まだ何とも判断はつかないけど。僕としては、現地に赴いて現地の調査をするのが第一だと思う」

「……そうだな。狂王捕縛が現実的かどうかは置いておくにしても、どんな風に封印されていてどうやって逃げ出したのか、それが解れば、打開策だって見つかるかもしれねえ」


 ギアとロッシェ、意見は同じようだ。ラディン自身も異議はないし、パティロの家族や同胞が無事なのかどうかも気に掛かるので、頷いて同意を返す。


「そういうわけだから、僕から改めて依頼をするよ。僕と一緒に白月の森に赴いて、狂王が封じられていたという『貴石の塔』を調査してもらいたい。いいかな?」

「ロッシェが必要と判断するなら、僕はロッシェに任せるよ」


 国王の同意を確認したロッシェが言葉を続ける。


「それとエリオーネ嬢だっけ……彼女には城に残ってもらって、ジェスレイ卿の指示のもとフェトゥースの護衛をして欲しいんだ。謀反を企てている者と狂王の件は、別だからね」

「何ィ!? 道理でチグハグだと思ったぜ」


 ギアが素っ頓狂な声を上げ、ロッシェはキョトンと首を傾げた。


「あれ? 君ならもう気づいてると思ってたんだけど」

「察してるのと把握してるのは別だっての。……とにかく解った、今夜はもう遅いしみな寝てるだろうから、明日改めて姉御と話し合うさ」

了解ラジャー。宜しく頼んだよ。頼りにしているからね」


 ギアの言葉を結論として、解散の流れとなる。国王が退室し、ギアがパティロと一緒に部屋を出て、部屋には座ったままのロッシェとラディンが残っていた。


「……それじゃ」

「待て」


 さっきから寒気が止まらない。この部屋はこんなに温度が低かっただろうか。

 背後から刺すような殺気を感じつつ部屋を出ようとしたラディンの前に、席を立ったロッシェが近づいてきて立ちふさがった。

 不意に、手を伸ばしたロッシェがラディンの腕をつかむ。ギリ、と食い込む指の力に恐怖を感じ見あげた弾みに、ラディンの前髪が重力に従って流れた。


「貴様は」


 真っ正面から睨み据える、紺碧こんぺき双眸そうぼう

 その奥にたぎるような憎悪を映し、ロッシェが低く囁く。


「やはり、ルウィーニの息子か。……〝真実の目トゥリアル・アイズ〟を持つ者か」

「そうだと、言ったら?」


 挑発の意図はなかった。彼の問いは確認であり、自分の出自が知られているというのは疑いようもなかったからだ。

 しかし、次の瞬間。

 ロッシェの空いている左手が伸び、ラディンの喉をつかんで壁に押しつけた。衝撃と驚きに息が止まりかけ、逃れようとするも、全く歯が立たない。

 

 目が霞み涙が滲んで視界が歪む。抵抗を試みる手が虚しく空を引っかく。

 ロッシェが、腕をつかんでいた手を自分の首へ移動させるのだけ、かろうじて認識した。


 途端、頸椎が折れそうなほどの力がかけられ、酸欠で力を失っていた手がびくりと痙攣した。

 薄れゆく意識の中。


 殺される……?

 そんな思考が、ラディンの脳裏を過った。



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