[6-2]狂気の吸血鬼vs出たとこ勝負な言葉の魔術師
シャーリーアとしては、勝算もなしに出てきたわけではない。初歩程度とは言え魔法も扱えるし、役立ちそうな薬や道具も幾らかは所持している。
大きな異変が起きればクロノスだって気づくだろうし、そもそも帝都王城という場所で騒ぎを起こせば多数の兵や護衛騎士たちを相手にしなくてはならないわけで、侵入者側の分が悪いのは自明の理という奴だ。
しかし、その侵入者に相対した途端、シャーリーアは自分の見積もりが甘かったことを思い知ってしまった。
肩ほどまである癖のない闇色の髪、無機質な鈍色の瞳の、背の高い
リーバの話から女性を想像していたせいもあり、思考が混乱をきたしている。――いや、この男こそが黒幕なのだろう。
冷静になれば事実は
彼の虚ろな瞳と視線が合った途端、全身が硬直するように感じた。これは、
しまった、と思う。
まして、相手は相当に強い
見た感じでは剣士だが、魔法職でないからといって能力が弱まるわけでもない。
「レシーラ、そいつを部屋に連れ戻せ」
「畏まりました」
虚ろな瞳のまま、男の唇が笑みの形につり上げられた。呼びかけに応じてどこからか現れた女性がシャーリーアの腕を取り、部屋の中へと引き戻す。
思うように動かぬ身体でぎこちなく従えば、ベッドまで連れていかれて押し倒された。
真上にある彼女の姿は、長い銀の髪、白い
「何のつもりですか」
「貴方はあの方の糧となるのよ。
「馬鹿馬鹿しい。致命に至る失血量というものをご存じですか? 僕を食い殺すより先に、城の者があなた方を捕らえに踏み込んでくるでしょうね」
「シャーリィ……うぐっ」
リーバの声に思わず視線を向けると、
ベッド際まできた男を無言で睨み上げれば、彼は口元だけで笑ってレシーラに目配せした。
「おまえは助けを期待しているようだが、残念だね。外からこの部屋に入ることはできないよ。おまえはここで死ぬのさ、おまえの友の目の前で」
レシーラが動き、男に場所を明け渡し、彼女自身はリーバの側に行って拘束を始めた。至近に迫った狂気の
少なくとも、彼らにリーバを殺す意図はなさそうだ。
外からは入れないというのは、人避けの結界装置だろうか、それとも【
「あなたに僕は殺せませんよ。僕には、精霊王との契約という、この世でもっとも強い後ろ盾がある。たかが
心がどれだけ焦ろうと、萎縮しようと、それを顔に出してはいけない。それは舞台に立つことが仕事だった自分にとって当然であり、日常的なことだ。
ましてこの観客は、自分が無様に取り乱す姿を見ようと悪意を向けている。その思惑通りになるなど、役者の
「ふ、いつまで強がっていられるだろうな」
「強がり? ただの強がりでこんなことが言えると、本気で考えているのですか?」
「ならば試させて貰おう。例えその弁舌で精霊王をも言いくるめようと、圧倒的な力の前に言葉など無意味だということを」
実のところ、
だから、時間を稼がねばならない。
この
「あなたとわかり合うことなど期待していませんから、無意味で結構だ。あなたこそ、力で何もかも思い通りにできるという考えの愚かさを、思い知るといいでしょう」
「黙れ!」
安い挑発だが、効果あったようだ。
狂気をはらんだ虚無の瞳に、一瞬、憎悪という名の暗い
「人などそんなに強いものか。これまで、数知れぬ者を様々な方法で殺してみたが、死にゆくさまは皆、
「生を侮辱し死者を
「おまえこそ、その強がり、いつまで持つものか見せてみろ」
甘い声が耳元でささやく。
「さて、死ぬまで切り刻んでやろうか。それとも、快感に溺れながらじわじわと食い殺されたいか。死に方くらいは選ばせてやるよ」
肌に吐息を感じるほどの至近で、意識を侵そうとする死への誘いにも、なぜか心は平静だった。
軽蔑という感情はこれほどに強いものだったのか、と思う。
男の指が喉を滑る。鋭い爪は刃物のようだ。全身が金縛りにあってるかのように、動かない。彼の顔が――ゆっくり近づいて、口付けられ、牙を立てられたのを知覚する。
刺すような痛みは最初だけだ。
狂った
不意に、胸の奥に
怒りを総動員してシャーリーアは指を這わせ、手に触れた物をつかんで引きちぎった。
ザッ、と鈍い
男が飛び退く。吸血に夢中になっていたのだろうに、さすが剣士と言うべきだろうか。彼の左目の下に、浅い傷ができていた。男は血が滲むそれをてのひらで拭い、暗い瞳でシャーリーアを睨む。
「おまえ、私の呪縛を破ったな」
「言ったでしょう? あなたの考えは、愚かだと」
魅了の金縛りが解けたことで噛み傷がひどい痛みを訴えているが、命に関わる傷ではない。右手につかんだ物は武器ではなく、飛ぶ鳥を模して造られた大きめのピンブローチだった。ラディンが忘れていった服に付いていた物で間違いなく高価な装飾品だが、この際もう仕方がない。
ピンの先は留め具が外れていて、部屋の照明を受け鋭くきらめいている。
これこそが、男の目を狙ってシャーリーアが繰り出した物の正体だ。
「やはり切り刻むか。その小さな針一つで何ができるというのだ」
「先ほども申し上げたと思うのですが。僕には、精霊王の後ろ盾があるのだと」
男が抜いたのは、国王が使っていたのとよく似た刺突剣――エストックだった。切り刻むというより滅多刺しにされそうな武器だ。いや、そんなことはどうでもいいのだが。
レシーラの反応がうかがえないことに疑念を感じつつも、シャーリーアに確かめる余裕はない。
そんな一触即発の状況に割り込んだのは。
シャーリーアの期待と予想に反した、見知らぬ誰かの声だった。
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