6.狂王と呼ばれた魔族

[6-1]銀酒


 少しばかり時間を遡る。


 怪鳥が襲撃してきて窓が割れたとき、モニカは宮廷魔術師のインディアと一緒にいた。

 彼女は怯えてざわめく客たちを別室に案内する役をしていたが、廊下の向こうから若い書務官が走ってきたのを見るなり、目を輝かせてその人物に駆け寄って叫んだ。


「オールス! いい所に来てくれてありがとう! あとは任せたわ、よろしくね!」

「え、ちょっと待ってください!? インディア様、待ってくださいって!」


 身を翻し会場の方へ駆け戻っていくインディアの後ろ姿を見送りながら、オールスという名の書務官は頭を抱えている。客人への説明と安全確保、押しつけられた仕事は大変そうだ。

 そう思ったところで、モニカに手伝えることもなかったが。

 ――と、インディアが開け放していった扉から少女が飛び込んできた。


「モニカ大変だよぅ!」


 小柄で、癖のある長い銀青色の髪をレースのリボンで一つに束ね、薄紫のワンピースドレスを着たローティーンの少女。印象的なブルーグレイの両目に既視感を覚える。

 

「……って、クロちゃん! 何やってんの……っぶは」

「あのね! ボク……じゃなくてあたしっ、大変なもの見ちゃったんだよぅっ!」


 可愛らしい少女姿のクロノスは、びっくりして声を上げたモニカの手で口をふさいで黙らせ、彼女の腕をつかんでぐいいと引っ張った。

 そして、ぼう然と見ているオールス他大人たちににっこり微笑みかける。


「わたくしたちのことはどうぞお構いなく! 失礼いたしまぁす」


 迫力ある笑顔ではないが、詮索するなと言う無言の圧を発しながらモニカを部屋の外に連れ出したクロノスは、部屋の扉を閉めると恐る恐るといった風にモニカを見あげた。

 その恥じらう表情がツボに入ってしまい、モニカは絶えきれず吹き出した。


「……ぶッ、あはははははは……くくくっ……」

「うわぁぁ、笑わないでよ恥ずかしいよぉ」

「あははっ、やだーもう、クロちゃん似合いすぎ!」


 そういえば、精霊に性別ってあるんだろうか。魔法も精霊学もさっぱりのモニカに答えはわからないが、今のクロノスはどこからどう見たって女の子だ。

 いい加減笑いやまねばと思いつつも、止まらない。


「そうだモニカ、大変なことが起きたんだよぅ……って、聞いてよー!」

「うくく……、き、聞いてるよぅ……うぷぷ、うはははっ」


 クロノスに涙目で抗議されつつも、モニカの笑いはしばらく続いたのだった。




 ***




 窓が割れたとき、リーバは自分に貸された部屋へ戻っていて、一人だった。

 精霊王の統括者と相対した驚きと興奮はまだ身体の中に残っていたが、さすがにこれ以上、養生中のシャーリーアに迷惑をかけるわけにはいかない。

 きちんとベッドで眠ろう、そう思って、髪を解き服を着替えようとしていたところだった。


 会場から離れたこの部屋にまで人の声は届かない。それでも、気味の悪い絶叫と窓が割れる音は聞こえた。反射的に部屋を出、廊下に踏み出して、異変を感じた。

 くらりと意識を襲う強い目眩。

 どこかから、酸味の強い薬草の匂いが流れてくる。

 眠り草より効果の強い、神経毒。

 名前は思い出せなかった。思考力と全身の力がなくなって、扉の縁にすがりながら座り込んだ。目が霞んで視界が回る。


 ぐい、と。誰かに髪をつかまれた。

 痛みを感じたが、声は出なかった。体温は感じるのに嫌に冷たく感じる手が、自分を抱え上げるのを知覚した。

 霞む視界にぼんやり映った姿はあの女ではなく。


 虚無の穴へと続くような無機の瞳。闇の色の髪。

 ……知らない。


 助けて、リューン――、


 無意識に心の中で呟いてリーバは、精神力で繋ぎ留めていた意識を手放した。




 ***




 リーバを見送ったあと、一人ベッドで本を読んでいたシャーリーアが異変に気づいたのも、窓が割れたときだった。

 少し前の賑やかな空気とうって変わって静まりかえった部屋の中に、怪物の絶叫と硬質な破壊音はひどく大きく響いた。その突然さに驚きすぎて、思わず本を取り落としたほどだ。


 幸いにしてその慌てぶりを見ていた者はなく、シャーリーアは一人で表情を取り繕いながら逡巡しゅんじゅんする。

 今のは、何かはわからないが襲撃の類いだろう。

 行くべきか、留まるべきか。

 戦力という意味では、今の自分が出て行ってできることはない。城内には知識職の専門家も宮廷魔術師も騎士も兵士もおり、ギアやエリオーネも人並み以上に戦える者たちだ。


 しかし、胸騒ぎも感じていた。

 リーバを狙ってニーサスを襲った者の動向はいまだ、つかめていない。正確には、調べるための情報が圧倒的に足りていない。

 統括者ウラヌスとの約束を思い巡らす。どの道、自分にできることは多くない。ここはクロノスと合流しリーバの所へ行くのが最善手だろう。


 身を起こし、ふらつく足に靴を履く。リーバが畳んでベッドの横に置いてくれたガウンを羽織り、立ちあがる。城側が貸してくれたものだが、良質な厚地の布が肌触り良く着やすかった。

 ベッドの横に、ベストのジャケットが掛けてあるのに気がついた。つい手に取って丁寧に畳む。

 ラディンが脱いで忘れていった物だと気づいたが、今持っていってもそれどころじゃないだろうと思い、そのままベッドの上に置いておく。


 鍵を開け、扉を開けようと取っ手に手を掛け、何か鼻につく匂いに気がついた。

 眠り草のように甘ったるい香りではなく、もっときつい、焼けるような匂いの――。


銀酒シルヴァリキュール……?」


 眉を寄せ、シャーリーアは呟く。

 銀羽花草ぎんうかそうの花を漬け込んで発酵させた、強い神経毒。少量を薄めて揮発させただけで絶大な麻痺効果を得られる、恐ろしい毒だ。

 原料となる花が非常に限られた地域にしか咲いていないため、稀少価値が高く、なかなか入手できるものではない。つまり、解毒剤もそれほど出回っているわけではない。

 そんな迷惑な毒を誰に使おうとしたのか。


 嫌な予感にシャーリーアは眉を寄せる。状況的に、考えられるターゲットは一人しか思い浮かばなかった。


 止めなくては。

 この様子では、クロノスに知らせに行っているうちに手遅れになるかもしれない。……だからといって、自分一人で一体何ができるだろう。


 ――どうすればいい?


「時間稼ぎくらいなら」


 思わず口をついた言葉に自分で驚いた。


 ……馬鹿みたいだな。


 卑屈ではない自嘲の笑みが口許に上る。これを無謀と呼ばずしてなんと言う?

 どのみち考えている時間などないのだが。


 それでも。

 そんなに悪くないなという気も、今はしている。



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