[5-2]無謀な暗殺者vs小悪魔的な彼女


 こんなはずじゃなかったのに……!

 耳に届く戦いの音に動揺しながら、彼は舌打ちする。見たこともない怪物の襲撃と、それにともなう混乱。城の内外を騎士や兵士たちが駆け回っており、警戒レベルはマックスだ。


「何だよ、何が起きたってんだよ」

「あら意外。あのトリはあんたたちが差し向けたものじゃない……ってこと?」


 不意に放たれた冷たい声に、彼は戦慄せんりつした。振り返り見た視界に立つのは、コウモリの翼を背に広げた黒ずくめの女性。

 こんな翼を持つ種族があっただろうか。

 さっきの奇怪な魔物モンスターを思い出し、恐怖が心臓をつかんで、思わず後ずさる。


「てめえ、何で」

「馬鹿ねぇ。『ワスレナグサ』なんて盗業スカウト持ちなら誰でも知ってるわ。当然、相殺するための『キヨツユソウ』も常備してるでしょ」


 指摘されて、彼は慌てて自分の身体を見回した。姿消しの幻薬の効果が打ち消されていることに、今さらながら気づく。

 思わず視線を転じれば、彼女は口元に爪の先を添えて微笑んだ。紅く塗られた唇があでやかな弧を描く。


「さて、いい子だから話して頂戴、坊や。あんたたちを雇ったのは誰で、何が目的なのか。正直に話せたら……そうね、命は容赦してあげてもいいわ」

「ば、馬鹿にするなッ」


 綺麗に化粧した妙齢の女性の顔に、小さいけれど獣毛に覆われた耳。部族はすぐには思い浮かばないものの、彼女は魔物モンスターではなく獣人族ナーウェアだ。

 それを確認して少し安堵し、彼は腰ベルトから短剣ダガーを引き抜いて構える。

 女性の方も応じて、ドレスのスリットに手を差し入れて武器を引き抜いた。形状が少し特殊なカタールと呼ばれる短剣だ。

 

「大体ねぇ、宴の席で闇討ちしようなんて無粋なのよ。パーティーは飲んで踊って楽しむ場じゃない? 酔ってる奴を暗殺したって界隈の笑いものになるだけよぉ。……さ、お姉さまの言うことを素直に聞きなさい?」

「聞けるわけないだろ!」


 甘ったるく誘いかける声音は酔っているかのようなのに、瞳に宿る光は剣呑で隙がない。明確な実力差を感じて気圧されつつも、暗殺者アサシンの少年は退くこともできなくて、がむしゃらに彼女へ斬りかかった。

 彼女の紫色の双眸が鋭くなる。

 一撃目をあっさりかわされ、二撃目を受け止められて、痺れた手をしたたかに打ち据えられた。短剣ダガーが手から抜け落ち、彼は痛みで呻きながらその場にうずくまる。


「呆れた。あんた、先日の死神ブルッグとは技量が雲泥の差じゃない」

「……は?」


 半眼で見おろす彼女の口から予想外の名前が飛び出したので、彼は痛みも忘れて立ちあがった。


「な、何よ」

「バカ言うんじゃねぇ! ウチの親方があんな変態雇うわけないだろ!?」

「変態って」


 実力は確かだが殺人狂という、狂気に犯された人食いの魔族ジェマ。下っ端の彼でもその名は知っていたが、雇い入れるという選択肢など端からない。

 バカにしてんのか、という思いがモヤモヤと広がり、つい口調も荒くなる。


「あんた、ブルッグの仲間じゃないのね?」

「当たり前だろ! あんな奴、人間フェルヴァー共通の敵じゃねえかッ」

「じゃ、あんた雇ったの誰よ」

「雇われじゃねえぞ! ウチの組織ギルドに国王れって正式な指令が……あッ」


 すぐに気づいた失言は、もう取り返せない情報を彼女に与えてしまっていた。黒翼の女性は満足げに微笑み、彼は全身の血が引いていくのを感じる。


「ふふっ、大変素直でよろしくてよ。それで、あんたはどこに仕えてるの?」

「そんなの、死んでも言えるかよ!」


 彼女が何か勘違いをしていたのか、それとも誘導尋問だったのか、自分としては知りようもない。でもこれは間違いなく、彼女の妙な気安さと自分自身の動揺が最悪の形でかみ合ってしまった、失態だ。

 彼女の紫色の両目がすっと細められる。


「じゃ、死になさい?」


 ドレス姿の妖艶な美女から、殺気をはらんだ暗殺者アサシン表情かおへ。

 もう逃げ場がないことを悟って、絶望が胸を満たした。


 自分のような下っ端が知っている情報など、たかが知れている。それでも、捕らえられて拷問に掛けられたとして、口を割らずに耐えられる自信はない。

 まして国王暗殺ともなれば、処刑は確定だろう。運良く免れたとしても、いずれは組織ギルドから口封じのため殺されるだけだ。


「畜生ッ」


 こんなはずじゃなかったのに。あの襲撃騒ぎさえ起きなければ。

 無事、、きっと認めてもらえたのに。

 

 絶望とあきらめが条件反射のように身体を突き動かした。うずくまり、短剣ダガーを拾う。彼女が警戒するように身構えたが、もうどうでも良かった。


「え、――ちょッ!? やめなさい!!」


 彼女の悲鳴を煩く思いながら、握り込んだ短剣の刃を思い切って自分の喉に走らせる。熱さと痛みが、意識を深紅に塗りつぶしていく。

 これでいいんだ、と。

 独りよがりに呟いた声は、形になるはずもなかった。




 ***




 どこかから、濃い血の臭いが流れてくる。

 パティロは思わず顔を上げ、眉を寄せた。人間族フェルヴァーでは気づかない微かな臭いの変化を、彼ら獣人族ナーウェアなら嗅ぎ分けることができるのだ。


「どしたですか? おにいちゃん」


 怯えた表情でパティロにしがみついていたルベルが、震える声で尋ねてくる。

 

「何でもないよ」


 気味の悪い絶叫と、戦いの喧噪けんそう。五歳の女の子には恐ろしいばかりだろうに、この子は泣くことも騒ぐこともせず、ただじっと時間が過ぎるのを待っている。

 本当なら、今すぐ父親のところへ走って行って助けを求めたいだろうに。

 パティロはそんなことを思いながら、できるだけ優しく声を掛け、小さな頭を撫でてあげた。


 聡い子だから。

 そう言って、目を細めて笑ったロッシェの顔を思い出す。


 たまにはワガママ聞いてあげてもいいなって思うのに、聡い子だから言ってくれないんだよ。

 僕が忙しくて、大切にしてあげられなくて。


 そう呟いて遠くを見た目は優しいけれど、寂しそうだと思った。

 お役に立てるなら喜んで、そう答えた気持ちに偽りはない。


 森に住む獣人族ナーウェアは、あまり貨幣に頼らない。自給自足と分け合いが、村での習慣だった。だから金銭は本当はいらなかったのだけど、貰ってくれないと困ると言われたから、一応いただくことにした。

 お金は欲しい人にあげたらいい。

 彼が自分を頼ったのは、ルベルを守って欲しかったからだ。自分なら、無力ではないが戦力から外れても困らない、そういう判断なのだろう。


 守らなきゃ、そう思う。

 自分だってまだ子供だけど、この子はそれよりもっと弱くて小さくて、それなのに涙もみせずがんばっているのだから。

 

 絶対に、手放さない。

 ルベルの父がここに迎えに来るまで、何があっても守ってみせる。


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