[4-3]非常識な怪鳥vs暴走天才魔法少年


「良かったわ! ドレス、ぴったりね。すごく可愛いわよ!」


 弾む声で話かけられ、モニカはびっくりして飛び上がった。振り返れば、猫のようなとび色の目の姿勢良い女性が立っている。

 暗緑色アイヴィグリーンの髪を高く結い上げ、若草色の地に翡翠の房飾りが付いた、落ち着いたデザインのドレスを身にまとっていた。耳元に光るイヤリングも、胸元を飾るペンダントも、エメラルド細工の慎ましやかな物だ。


「あっ! ……もしかしてこのドレス、おねえさんの?」

「ええ、そう。あたしが少し前に着ていたものよ。良かったわ、サイズぴったりで」


 にっこり笑う表情は、会場の貴婦人たちとは違っているように見える。作りものめいた印象がない、活動的な雰囲気を持つお姉さんだ。

 エリオーネともまた違う魅力に、モニカは同性ながらもドキドキしてしまう。


「あたしは、インディア。モニカちゃんだっけ? よろしくね」

「は、はい!」


 差し出された手が心底嬉しくて、モニカはそれを握り返し、破顔した。




 ***



 

「ねぇルイン……、この王宮、どっかおかしくなぁい?」


 ワインのハシゴをしていたエリオーネが、さりげない風を装いルインの所にやってきて、こそりと耳元に囁く。場慣れた雰囲気と甘いカクテルに懐かしさを呼び起こされて、ぼぅっとしていたルインは、耳朶じだをくすぐるぬるい吐息にびくりと肩を震わせた。

 傍目からはいい雰囲気に見えるのじゃないだろうか。――いや、そうじゃなくて。

 混乱しかけた思考を軌道修正し、エリオーネの台詞の意味を考える。


「おかしい、って?」

「んんー、うまく言えないんだけどぉ……職業おしごと上の勘ってヤツかしら」


 紅く塗った唇に指先を添え、エリオーネは可愛らしく小首を傾げてルインを見あげる。艶っぽい仕草ながら瞳に酔いの揺らぎはなく、浮ついていた気分が引き締まる気がした。


「仕事上ってことは……また、暗殺者アサシンが?」

「そうねぇ。ま、こういう場に溶け込んでるくらいだから、死神ブルッグではないでしょうケド」


 反射的に、あの狂気的な笑顔を思い出したルインの不安を、エリオーネは察したようだった。


「狙いはアンタじゃなく、ここの関係者だと思うわ。何にしても、あたしがついてるんだから心配ないわよ」


 紅い唇が弧を描く。

 彼女の自信に満ちた表情が、ルインの内にこごる恐怖心を溶かしていく。




 ***




 異変が起きたのは突然だった。

 視線、もしくは怖気おぞけだろうか。何かに背中を撫でられるような感覚に、ギアは勢い良く窓の方を振り返る。

 そして、固まった。


 ガラスを嵌め込まれた窓に、巨大な触手が貼り付いていた。くっきり見える裏側には、軟体生物のような吸盤が二列になって付いている。ギョロリと動く巨大な目玉が、触手の陰からこちらを窺っているようだ。

 会場にいた人々が悲鳴をあげ、騎士たちが駆け込んできて客人たちの誘導を始める。

 予測でもしていたのか、と思われるほど、冷静な対応だ。


 ギアのすぐそばにいたロッシェが立ち上がり、手にしていたワイングラスを、窓へと投げつけた。硬質な音を立ててグラスが砕け、窓にヒビが入る。

 目玉がこちらにピントを合わせたと同時に、ロッシェは小振りの剣を抜き放った。

 帯剣したまま宴に出席しているということは、こいつ、思った以上に国王と近い人物なのか――そう、再認識する。


「……違うな」

「え?」


 心の声が漏れたのかと思ったが、ロッシェの目は窓に向けられていた。手にした三日月刀シミター(貴族が持つには珍しい小振りの片刃剣)を掲げ、口元に笑みを刷いている。


「君、あれに剣は効くと思うかい?」

「えっ? いや、ちょっと斬るにはデカ過ぎるだろ」


 貼り付いた触手は窓を半分覆い隠し、巨大な目玉はそれのみでも人の頭より大きい。全貌は見えないが、どれほど巨大かは想像がつくというものだ。

 ロッシェは機嫌良さげに、口角を上げて応じる。


「その通りだと、僕も同意見だ!」


 言うと同時に、彼は三日月刀シミターを窓に向けて投げつけた。派手な音とともにひび割れたガラスが砕け、胸の悪くなるような絶叫が辺りに響き渡る。

 ギャアアともギョエエとも聞こえる声で叫びながら、その『鳥のような怪物』は斜めに傾き、それからユサユサと浮かび上がった。

 その頃には会場の一般人はほぼ避難を終えており、今は、騎士数名と国王とエリオーネやルインが、その奇怪な生物を困惑したように見つめている。


「ギアァァ、ギャウギャウ」


 怒りのこもった叫びを上げながら、右目に剣を生やした怪鳥は再び窓に突っ込んでこようとしていた。その姿は、奇怪ではあるが既視感がある。

 ぱっと見、それはトカゲの胴体にニワトリの頭と翼を生やしたように見えた。茶と緑の混じる不格好な翼、鱗に覆われたトカゲの尾。裏側はヌメヌメと濡れたように光っていて、吸盤がある。足は短くて貧弱だったが、蹴爪があった。

 ギョロリと大きな目。妙に鮮やかな黄色い嘴。頭頂には赤黒い鶏冠が付いているので、ベースはニワトリだと思われる。


「面妖な生き物だねぇ。都会に住むべきじゃないよ」

「何言ってンだ! っつか、どこかで見たことあるんだよなァ、アレ」


 鳥の身体は窓より大きく押し入ることは不可能だったが、放置するわけにもいかない。騎士たちがジェスレイ卿の指示で庭へと移動するのを横目で見ながら、ギアは頭の中にあるモンスター図鑑を検索した。

 その間にもロッシェは手近なグラスや皿を、怪鳥の傷ついた目を狙って投げつけている。


「あ!」

「うん? 何」

「あいつ、コカじゃねえか! 何でコカトリスが空飛んでやがる!?」


 検索ヒットした事項と眼前の現物との相違に、ギアは思わず叫んでいた。

 コカトリスは「生物群・魔獣」に類別される、雄鶏と蛇のあいの子みたいなモンスターだ。猛毒と石化能力を持つ厄介な魔獣だが、普通は飛行能力を持たず、大きさもニワトリより少し大きい程度のはず。


「非常識な鳥だよね」

「アンタ、こんな場面で呑気だよな」

「まぁ、ね。アレは見た目のインパクトが凄いだけで、それほど脅威ではないからね」


 マジか。

 胸中でギアは舌打ちする。つまり、アレは生身の魔獣ではなく、何らかの魔法生物であり――本当の敵はそれを操っている術者ということか。


「そういうことだ。そして、あの怪鳥を造り出した者の討伐……それが、私から君たちへの依頼だよ」


 客人たちを避難させ終えたのだろう、いつのまにか国王が近くに来ていた。今回は怪鳥に気を取られていて気付くのが遅れただけだが、あの奇態を見ても動じないところ、彼もそれなりに戦える技量があると言うことだろうか。


「造り出したって、魔族ジェマですか?」

「ああ。聞いたことがあるかもしれないけど、数十年前に世界を震撼させた、『狂王』と呼ばれる魔族ジェマの王だよ」

「狂王……?」


 ギアの記憶にはない名称だ。詳しく聞きたいところではあるが、今はまず、あの怪鳥を退治せねばならない。

 幸い、魔法生物であれば見た目より脆いはずなので、剣さえあればどうにでもできるだろう。部屋から自分の剣を取って庭に向かおうとギアが動きかけたその時、パシィッと弾けるような音がして怪鳥が苦悶の絶叫を上げた。


「ひゃーっひゃっひゃっ、このボクがいる時にオソってくるなんて、マノ悪いバケモノめ! これを喰らってチンボツするがよい!」


 ギアと国王は、同時に黙って振り返る。いつの間に取ってきたのか、愛用の長杖を振りかざして得意げに椅子の上へ仁王立ちしている、妖精族セイエスの子供。天才魔法少年、フォクナー=アディスその人だ。


「あいつ……避難してなかったのかよ!?」

「まぁまぁ、効果あったみたいだし」


 首根っこつかんで連れていくため駆け寄ろうとしたところをロッシェに押さえられる。抗議しようとして、ギアは異常事態に気がついた。


「そうさ、ボクの魔法の前にたえられるモノなどいないのだッ! 見るがいい、これぞキューキョクノオウギ……」


 突き出した杖の先端に、尋常ならざる魔力が集まってゆく。

 何度も目にして心底思い知っていることだが、フォクナーは魔法に関しては間違いなく天才だ。その天才が、技量レベルの限界を無視して魔力を暴走させればどうなるか――ギアは知識では知っていたが、実際に目にするのははじめてだ。


 唄うように紡がれる精霊の言葉が膨大な魔力を編みあげ、方向づけてゆく。

 青い両眼を見開き、フォクナーは実に楽しげな表情かおで勢いよく杖を振り上げた。


「きのう仲良くなった火トカゲくんと、おととい仲良くなったライジュウのにーちゃん! 一緒に力を貸してよ! 見ろよコレこそキューキョク合成魔法だッ、名づけてミラクルスパークリングファイアーッ!!」


 炎の下位精霊であるサラマンダーと、雷の下位精霊であるライレット。それなのに、召喚される魔力は初歩魔法の域をはるかに超えていた。

 長杖の先に鮮やかな虹色が渦を巻く。それは翼を開くように広がりあふれ、輝くグリフォンの形を取って窓に取り付く怪鳥へと突っ込んだ。閃光と破裂音、耳触りな絶叫が響き、羽毛の燃える異臭が辺りに広がる。

 光によって眩んだ視界が回復した時には、怪鳥は浮力を失って落下したのか、窓の外には見えなくなっていた。


 急いで窓に駆け寄り、見下ろせば、怪鳥の翼はそのほとんどが焼けて使い物にならなくなっていた。それでも巨体を引きずりながら正門のほうへ移動しようとしている様子を見て、国王は無言で廊下へ飛び出した。ロッシェと騎士たちもその後に続く。

 追おうとして一瞬ためらい、フォクナーを見る。

 天才少年は得意げな顔でギアに向けてVサインを突き出すと、


「どーだ、見たかぁ……」


 そう言い残して、糸が切れたように仰向けに倒れた。

 近くにいたルインが受け止めたから事なきを得たものの、椅子の上で気絶とか危なすぎる。急いで駆け寄り、抱き上げて長ソファに運んでやれば、幸せそうな顔で何か寝言を口走っている。


「……たいした天才だぜ、コイツは」

「本当だよ。でも、たぶん魔法力空っぽだから、朝まで起きないよね」

「だな。あとは俺たちで、あのヤキトリを解体するか!」

「あっ、ギア、ボクはどうしたらいい?」


 庭に向かおうとしたギアを、ルインが呼び止めた。光が揺れる瞳の奥に、不安と勇気が混じり合っているのを見る。

 人間族フェルヴァーは傾向として、魔法があまり得意ではない。得体の知れない魔法生物相手に、ルインの魔法は大きな戦力になるかもしれない。

 一緒に来るか、そう言おうとして、だがなぜかギアは躊躇ちゅうちょした。


「いや、こっちはいいからシャーリィたちの様子見に行ってやってくれ」

「わかった!」


 素直に頷き、ルインはバタバタと走り去っていく。それを見送り、ギアもまた会場を出る。

 自分でもなぜかわからなかったが、そうした方が良い気がしたのだ。




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