[4-2]手配書が暴く真実
最上質のワインなんて、いったい何年ぶりだろう。
食卓のそばに設けられた椅子に深く身を預け、天井できらめくシャンデリアを眺めながら、ギアはぼんやりと昔を思いだしていた。
気分が後ろ向きになる時には酒を飲むといい。父はよくそう言っていた。
今思えば、立地的にも情勢的にも危うい位置どりだった自国を治めるため、父はいつも様々なことを思い悩んでいたのだろう、と思う。
「……そういえばラディンにパティロ、あいつらどこ行ったんだ?」
気づけば、会場の中に二人の姿が見えない。
部屋で休息しているシャーリーアと付き添いのリーバを除けば、全員がこの場に招待されているはずなのだが。
――と、気配を感じて反射的に身構える。
「待てッ! 会場内を、は・し・る・な!」
「うわぁぁ!? なんだよー! 離せッ!」
すぐ脇を駆け抜けていこうとした小柄な影を、手を伸ばして捕まえた。ジタバタ暴れる暴走少年は言わずもがな、フォクナーだ。
椅子から立ち、逃げ出せないよう両手で抱えあげれば、フォクナーは空中で足をバタバタさせながら声をあげて抵抗する。
「オーボーだッ、このこのっ離せよー!」
「うるさい。俺が見てないと思って好き勝手してたな? 料理ひっくり返すわ、グラスや皿を落として割るわ、ふざけすぎだッ」
「あぅー」
背丈と力ではどうあっても敵わないだろう。だからといって、潤目でせつなげな上目遣いで懐柔しようとしても、今さら騙されるわけがない。
しかし、思わぬ伏兵がいた。
「やぁ。君たちは仲が良いねぇ、感心感心」
「わっ!?」
全くの不意打ちで背後から肩を叩かれ、ギアは驚いて手の力を緩めてしまった。フォクナーはその隙を見逃さず、野生動物ばりの身のこなしでギアから逃れ、床に着地する。
「ふふっ、やっぱりコーウンは日ごろの行ないだよなっ! じゃねー」
「何言ってやが……ッて、待て!」
Vサインをちらつかせつつあっという間に逃亡した暴走少年を、ギアはため息とともに見送る。あれはダメだ、手に負えない。
怪訝な思いを抱きつつ、原因となった背後の人物へと視線を移す。
仮にも傭兵稼業を長く続けてきた自分だ、宴の場だろうと警戒を怠っていたつもりはない。しかし、さっきのは、完全に気配に気づけなかった。
「何者だよ、アンタ」
自分よりも背が高く、歳もおそらく上だろう。切れ長の双眸は
ぞんざいな言い方にも気分を害した様子なく、彼は握手を求めるように右手を差し出し、口を開く。
「ようこそ、ライヴァン王城へ。君たちの来訪を国王はとても喜んでいたよ。無論、僕も大歓迎だ」
「……それは、恐縮です。私はギア=ザズクイートと申します。この度は、国王陛下と城の皆様に、大変お世話になりました」
今さらだが、タメ口は不味かったかと思い直し、愛想笑いとともに手を握り返して挨拶してみる。手袋ごしでわかりにくいが、随分と握力が強い、気がした。
「その件は気にしなくても大丈夫さ。僕は、ロッシェ=メルヴェ=レジオーラ。この子は……あれ、どこに行ったかな? ああ、あっちで遊んでるあの子が僕の娘のルヴェリエリウ、愛称はルベル。可愛いだろ?」
「……はぁ」
ディナーパーティーに子供連れ。目を向けてみれば、まだほんの四、五歳ほどの女の子が貴婦人方と話をしていた。視線に気づいたのかこちらに目を向け、はにかみ笑う。
大抵の子供はギアのスカーフェイスに恐れをなして怯えたり隠れたりするものなのだが、彼の娘はそういう様子がないようだ。思わず笑い返せば、嬉しそうに手を振ってきた。
確かに、可愛い。
元より子供は好きなのだ。
目を離すタイミングを失って手を振り返しているギアを、ロッシェは楽しげな表情で眺めながら話を続ける。
「僕は娘のために、より良い未来を願っているんだよね。でも、現実はなかなかに厳しくてさ。君の目に、この国の現状はどう映ってる? 家出王子、アークシィーズ殿」
空気を凍らせるに足る、一言だった。
咄嗟に向き直り、警戒を強めて一歩後ずさる。こんな場で害を加える意図はないだろうが、その事実を知っていること自体が普通ではありえない。
「何を、仰りたいので?」
警戒が声音に乗るのは抑えられなかった。故国とここは違う大陸だ。国交はなく、王族として訪れたことは一度もない。
国を出てもう十年、髪は日に焼け色あせて、肌も日に焼け色が濃くなって、顔面には斜めに傷痕までできて……肉親でもなければ判るまいと思っていたのに、だ。
なぜ、知っているのか。
ロッシェは問いに直接は答えず、一枚の紙をギアに手渡した。
促されるままに目を落とし、絶句する。
「すごい高値だね、君の身柄」
「あ、あ、あ……、あのクソ兄貴ィッ!」
最上質の紙に書かれていたのは、手配書だった。犯罪者や逃亡者に賞金をかけて情報を求める系のポスターだ。
そこには、こう書かれていた。
――――WANTED!
【アークシィーズ=エルフォン=ジークフォード】
(ジフォード国第二王子)
-行方不明当時18歳、現在27歳-
(当時の図)
-報奨金1,000,000クラウン-
見かけた方は最寄りの警備隊へ――――
さすがに声は抑えたものの、叫ばずにはいられなかった。不幸な事故だったが、顔の斜め傷に感謝せざるを得ない。これがなければ、今ここに自分の姿はなかっただろう。
ギアの反応が面白かったのか、ロッシェはクスクスと笑っている。
「家出した弟を気遣う、まさに美しき兄弟愛じゃないか。それにしても、君を捕まえて引き渡せば……四、五年は遊んで暮らせそうだね」
「忠告と受け取っておきます」
「勿論、僕も国王も話すつもりはないから、安心してくれたまえよ。さ、気を取り直して飲もうじゃないか。アークシィーズ殿」
「やめる気ありますかね? その呼び方」
殺気を瞳に込めて睨み返せば、冗談だよ、と言って彼は笑った。
「それにしてもよく判りましたね。俺が、この絵と同一人物だって」
「似顔絵っていうのは、特徴を強調して描くものだからね。変装すれば一般人の目は誤魔化せるだろうけど、判る相手に伝わればいいのさ」
意味深な言い方には何か含みがあるようだった。なるほど、と思いながら、改めて手配書をよく観察してみる。
確かに、自分の特徴がよく表現されている気がした。目鼻立ちとか、表情の癖とか。
「誰が描いたんだコレ。王宮関係者じゃなさそうだが……」
「この絵を描いた人物は
「
現状、何があっても国に帰るつもりのないギアは、気が抜けたような気分で椅子へ座り直し、ため息を吐き出した。
ロッシェの言った判る相手とは、
だとしたら、――つまり?
「僕はね」
沈みかけた思考を中断するように、ロッシェの声が耳に届く。
思わず目を上げ視線を向ければ、彼は向こうでフォクナーやモニカとはしゃいでいるルベルを、目を細めて眺めていた。
「フェトゥースが、好きなんだよ。だから、君たちにも好きになって欲しいんだ」
確か、国王陛下の名前だったはずだ。
国王を名前で呼び、夜会に子連れで同席する。実に奇妙な人物だと、ギアは思う。依頼の件にしても、彼がどんな人物かについても、判断するにはまだまだ情報が足りない。
細い紺碧の双眸に照明が差して、光が揺れていた。
憂いを帯びたような彼の横顔と相まって、どこか寂しげに見える気がした。
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