4.宴を乱すもの
[4-1]君に捧げる物語
確かに、嫌な予感はしていたのだ。
クロと名乗った自称精霊の正体が『
『貴様がシャーリーアか』
それにしたって、一介の未熟な
闇を纏い、漆黒のまっすぐな長髪を背に流した、長身の人物。額に描かれた不思議な模様を除けば、その姿は人族の
「精霊王の統括者……?」
茫然と呟いたのは部屋へ戻ろうとしていたリーバだ。彼は驚きのあまり腰が抜けたのか、床にへたり込んでしまっている。
魔法職でなくとも見える圧倒的な存在感の人外が、光を呑み込む真黒の瞳を不機嫌そうに細めて自分を威圧しているのだから、無理もない……と思う。
あらゆる精霊を統べる精霊王の統括者が、なぜ自分のような未熟者の名前を知っているのだろうか。
と、脳内で疑問化してみたものの、答えが予想できるのは悲しい現実だった。
『貴様、クロノスを知っているな?』
答えを待たず、黒き精霊王は怒りのこもった瞳でシャーリーアに詰め寄ってきた。
光と闇の精霊王でもあり、他のすべての精霊王たちの統括者でもある。その名を『ウラヌス』という。世界の中心にある『無限螺旋の館』にて、『時の精霊王クロノス』とともに世界の在り方を見守っているのだとか。
知識として憶えていた事と、実際に目の前に起きている現実との剥離に、シャーリーアは目眩を覚えた。
究極の板挟みに、なんと答えたら良いのか思いつかない。
一言も口をきけないシャーリーアに業を煮やしたのか、ウラヌスはさらに距離を詰め、人族と変わらぬ形態の手でシャーリーアの胸倉をつかみ上げた。
『貴様は人に標準的に備わっているはずの耳という器官が機能していないのか? クロノスを知っているかと聞いているだろう!』
ガクガクと揺さぶられ、息が止まって意識が遠くなる。ここへ至るまでのかれの苦労が相当だったことは察しがつくし、同情を禁じ得ないが、このままでは答える前にあちら側へと逆戻りしそうな――、
「やめてください! 療養中の人に何てことをするんですか!」
いきなり喉が解放されたと思ったら、目の前にリーバがいた。チカチカする視界の中、怒りに眉をつり上げたリーバが統括者の長い黒髪をつかんで引っ張っている。
世界の管理者相手に一歩も退かず、むしろ相手を圧しているさまは、さっき腰を抜かしていた人物と同じには見えない……。
「そもそも、癒しと安らぎを司るのが光と闇でしょう!? それなのに、その精霊王でもある貴方が、療養中の怪我人を脅したり暴行したりするなど言語道断では!?」
『わ、わかった……! 急いていたのは謝ろう、乱暴な言動も私が悪かった。だから、その手を離しなさい」
シャーリーアが咳き込みながら呼吸を整えている間に、ウラヌスは我を取り戻したようだ。リーバは警戒を緩めないまま、それでも言われた通りにかれの髪から手を離す。
統括者は乱れた髪をさり気なく整えて、表情を取り直しこちらへ向き直った。
『全く
「はい、……私が、シャーリーアです。彼はリーバ、仰る通り無属性の
それがどうしたとでも言いたげなリーバを横目で確認し、何かを考え込むようなふうのウラヌスを見――、不意にシャーリーアの脳裏に物凄い名案が閃いた。
そうだ、無属の者は悪しき者に利用されたりしないよう、権力を持つ者が庇護するべきという理があるのだ。
「実は、ウラヌス様。クロノス様がここに留まっているのには事情があるのです。どうか、聞いていただけませんか」
怪訝そうな統括者の射抜くような眼光の前に、この演技は通じるだろうか。
「リーバは無属性であるゆえに、幼い頃から多くの危険に晒されてきました。そんな彼を可哀想に思った人物が、彼を引き取り、自分の養子として匿い、多くの魔の手から今までずっと彼を護り続けてきたのです」
淀みなく紡がれる彼自身の物語を、リーバはどんな思いで聞いているだろう。
これが彼の傷を広げる可能性も理解しつつ、それでもシャーリーアは言葉を止めずに続きを語ってゆく。
「しかし、彼をつけ狙う者に居場所を突き止められてしまった育ての親は、愛してやまぬ彼を護る最期の手立てとして、精霊の縁を頼り、この世で最も強い魔力を持つ者へと彼を託すことに決めました。……その者が誰か、言うまでもないでしょう」
沈黙を肯定に代えて、ウラヌスは瞳で続きを促す。
シャーリーアは少し言葉を止め、息を整えた。表情こそ涼しげに話しているが、実は背中は冷たい汗でひどく湿っている。統括者は、気づいているだろうか。
「クロノス様はもちろん、彼の養い親の願いを聞き入れてくださいました。私たちも彼の友人として、クロノス様を支援する心積もりです。詳細は明らかではありませんが、リーバをつけ狙う者は今もいます。他人の命を喰らうことに躊躇いを持たぬ者が、彼を手に入れてしまったら――この世はまさに暗黒へ閉ざされることでしょう」
息を継ぐ。
緊張で、吐きそうだ。それでも、演者はそれを観客に気取られてはいけない。
ともすれば震えそうな声を意志力で抑え、シャーリーアはまっすぐウラヌスを見据えて言い切った。
「闇が恐怖をもたらすなど、間違っているのではないでしょうか、ウラヌス様。包み込む闇の帳は、人に安らぎを与えるべきではないでしょうか?」
ふ、と統括者が笑った。その様子はやはり人族と変わらない。
呆れていたのかもしれないが、少なくとも、かれの目から怒りや不信といった感情は消えていた。
『良い答えだ、降参だ。真偽はともかく――事実ここに、無属の者がいるのであればな。であれば、貴様こそおのれの言葉を違えるでないぞ。精霊が自ら
「ええ、もちろんです。聞き入れてくださり感謝します、ウラヌス様」
統括者が思った以上に物わかり良かったので、シャーリーアの全身からどっと緊張が抜けた。そのままベッドに沈みそうになるのを我慢し、涼しい顔で大きく頷いてみせる。
『くれぐれも、私利私欲のため利用しようなどと考えることのないように。そして、その者から離れることもないようにな。いずれまた様子を見にこよう』
「はい。決して離れたりしません……とも」
来た時と同じく瞬く間に姿を消した統括者を見送り、シャーリーアは会心の笑みでリーバに視線を流した。その意図に気付いてか、彼が小さく声を上げる。
「シャーリィ、もしかして」
「何でしょう? でもこれで、僕らは貴方と一緒にいる理由ができてしまいましたね。ギアたちには事後承諾になりますが……誰も駄目とは言わないでしょう。それに、」
ひと呼吸おいて、シャーリーアはリーバから視線を外し、窓の外に目を向けた。
囁くように、祈るように。
「僕は、今のがきっと真実だと思います」
細い声が「ありがとう」と呟いた。
安堵と涙が混じるリーバの声を聞いて、シャーリーアはようやく安心して全身をベッドへ沈ませたのだった。
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