[3-3]黒き予兆
ラディンが去った室内には静けさが戻り、一度は目を覚ましたリーバもすぐに夢の中へと逆戻りしてしまったようだ。足もとの辺りに顔を埋めたまま熟睡している彼に、シャーリーアもいい加減心配になってくる。
「リーバ、部屋に戻って寝たほうがいいですよ。顔色が良くないですし、だいぶ疲れているのでしょう?」
熟睡、とは言っても、その眠りの質は良くない。激しくうなされているというわけではないが、時々漏れ聞こえる寝言からして悪い夢に違いなかった。
死にかけていた時からずっと自分につきっきりの彼は、そもそも十分な睡眠を取っていないのだろう。でも、
「リーバ、リーバ」
声量を抑えて声を掛けつつ、ゆっくり揺さぶってやると、びくりと肩を震わせてリーバが顔を上げた。
「……っあ、シャーリィ?」
「驚かせてすみません。でも、眠るならちゃんとベッドに寝た方が疲れも取れるし、体のためにも良いと思って」
自分が言っていることは間違いなく正しい。けれど、コレジャナイ感が拭えず、シャーリーアは自身に戸惑いつつ眉を寄せる。
リーバはそんなシャーリーアの様子を誤解したようだった。
「ごめんね、迷惑だったろ」
「いいえ、そういうわけではないですが」
確かに動かせなかったために足は痺れていたが、この程度を迷惑と言うなら世の中に迷惑なんてものは存在しないに等しい。
自分を助けたのは闇の王であり、そうなるよう頼んでくれたのはクロノスだ。
でもだからといって、リーバへの感謝の思いが薄れるはずもない。
「リーバこそ、僕はもう大丈夫ですから自分の心配をしてください。よく言われる事ですが、睡眠不足による疲れは他では埋め合わせられないんですよ。ほら、目の下なんかクマができて……」
――違う。
口ではそう言いつつ、自分自身の面倒臭さに頭を抱えたくなった。
こんなことを、言いたいんじゃない。
「私は大丈夫だよ。それに、」
――どうしてこんな言い方しか……!
痛みは一瞬で、意識が戻ったときには全快していた。恐怖心はどこかに残っていて、今後何かのきっかけで再現されるのかもしれないが、少なくとも今、自分を身体的あるいは精神的に苛んでいるものはない。
だから今、自分は、リーバのような辛い思いはしていない。
「そうじゃないんです! 僕は、貴方が倒れそうな程に無理をしてるのが辛くて……どうか、僕は大丈夫だから休んでください!」
言葉とは、これほど不自由なものだっただろうか。
僕はもう大丈夫だから、今度は貴方の力になりたいと。
一人で抱え込んだりせず、辛いなら泣いて、頼って欲しいのだと。
そう素直に言葉にすることは、そういう交流と縁遠かったシャーリーアにとって途方もなく難しいことだ。
けれど、困惑したように自分を見つめるリーバの視線を受けて、不意にシャーリーアは理解した。自分はまだ彼に、大事なことを言っていなかった、と。
それに気づいた途端、言葉が自然に口をつく。
「リーバ、心配してくれてありがとう。貴方が待っていてくれて、僕は本当に、嬉しかったんです」
そしてその言葉は、凍っていたリーバの涙をその時ようやく、解かしたのだった。
***
片や、港町で地味に暮らす一般人。片や、深い森で自然派生活を営む
今いるのは、パティロとフォクナーに貸し与えられた部屋だ。
お着替えの前に着ていた服は女官が(おそらく洗濯のため)持ち去ってしまったらしく、積み上げられている衣装はどれも窮屈で着たくないとパティロが言うので、クローゼットから適当な衣服を見繕っている。
「ってか、ここはお城なんだから、窮屈そうなのしかないよ」
『そっかぁー。じゃあ、重ねて着なくていいやつなら、いいやぁ』
置いてあるのが子供用で、伸縮性の生地なだけマシかもしれない。パティロはラディンが出した服をくわえてベッドの中に潜り込み、ゴソゴソと着替えを始めた。
それを頬杖をついて眺めながら、ラディンは呟く。
「
「そお?」
布の間から、ヒョコとパティロが顔を出す。シャツのボタンを留めながら、ラディンに答える。
「村では気にしないよー。寝るときはみんなオオカミになるもん」
「え、そうなの? てか、パティ、早く家に帰らないと。村の人たちとかご両親とか、心配してるよね」
今さらといえばそうなのだが、パティロは迷子なのだ。国王からの依頼を受けるにしろ何にしろ、彼だけは村へ送り届けねばならない。
レジオーラ氏の個人依頼などなおのこと、論外だ。
「うんー、それがねー。フォクナーに手紙届けてもらおうと思ったんだけど、うまくいかなくて。今ねぇ、連絡とれないみたいなの」
「……え?」
さすが
「魔法、発動しなかった?」
「うーん、よくわかんないけどぉ……精霊が届けられないって言ったみたいだよ。だから、ぼく王様に調べてもらおうと思って」
まさかの逆依頼。のんびり屋だけど、案外しっかりしているんだな、とラディンは密かにパティロを見直した。
服を着直したパティロは、仕上がりを確認するように腕を伸ばして、にぱぁと笑う。
「だから、すぐには帰れないし、大丈夫だよー。それと、クロちゃんにも、ニーサスさんを助けてくれるようお願いしようと思うの」
「――……え?」
子供の発想には時々、驚かされる。パティロなりに、リーバの話を聞いて色々考えていたのだろう。
クロノスとしては精霊なりの制約もあるだろうから、そういう種類を叶えられるのかはともかくとしても、奇跡のカケラは常に身近な場所にあるのかもしれない。
「だって、流れ星はたった独りの願いごとでも叶えてくれるもん。みんなでお願いすれば、ぜったい大丈夫だよお」
「……そうだね」
純真な笑顔に心の中が温かくなるように思いながら、ラディンが頷いた――その時。
ふいに、窓の外で闇が翻った。
「――!?」
思わず窓に駆け寄って外を見るも、すでに視界内にその姿はない。
「どしたのラディン」
不思議そうなパティロの声を背中に聞きながら、ラディンは祈るような気持ちで夜の闇を見つめていた。
自分の直感が、間違っていなければ。
あれは人に見える姿の、人ならざる者だ。
魔法が関わる事象を正す役割を持つかれが自ら出向く事態といえば、あの件以外にないだろう。
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