3.宴の夜に
[3-1]レジオーラ父娘
「ちょっ……何これッ! これ、着るのっ!?」
部屋を訪ねてきた女官がテーブルに積みあげていく窮屈そうな衣装に、思わずラディンは抗議の声を上げてしまった。
「ええ。勿論ですわ」
有無を言わせぬ返答にゾワっと全身が総毛立つのを感じて、ラディンは逃げだそうと後退る。冗談じゃない。
……が。
「どこへ行かれるのですか? サイズ調整も必要ですから、先に合わせてくださいませ。それに、そんな格好で城内をうろついていたら、不審人物として引っ立てられますわよ」
ぴしゃりと引き留め、女官はその細い腕からとは思えない馬鹿力で、ラディンをひきずり戻した。
「観念してくださいませ」
言われた声は笑みを含んでいて、絶望的な気分になりながらラディンは天井を仰ぎ見る。
見上げた天井は恐ろしいほど高く、
居心地悪いことこの上ない。
もうどうにでもなれ的気分でなすがままになっていたら、散々着せ変えられた挙げ句、物凄く派手なのを勧められて、慌ててラディンはそれを断った。
素人相手の着せ替えがそんなに楽しいものなのか、女官はたいそう上機嫌だ。嘆息しつつあきらめ気分で、ラディンはその中で一番地味そうな物を選ばせてもらった。
「――あ」
ふと思い出して、ラディンは髪を整えてはじめた女官に声をかける。
「あの。前髪だけは、下ろしたままにしておいてください」
妙な注文に聞こえたのだろう。彼女は不思議そうに眉を寄せたが、職業柄か深く訳を知りたがることはなかった。
暖色の照明に彩られた広いホールに、豪華なディナーが盛りつけられた食卓。
ゆったりとした異国風のメロディーが流れていて、大勢の着飾った男女が音楽に合わせて踊ったり、杯を交わしつつ談笑したりしている。
――場違いじゃん。
口には出さないものの踏み込む勇気も持てなくて、ラディンは入り口付近で足を止めたまま落ち着きない気分で視線をさまよわせた。
きちんと整えられた髪に、糊の効いたオフベージュのベストスーツ。正装というほど堅くなく、上品ながら目立たない加減は心得ている。
けれど、慣れない雰囲気に背筋がぞわつくのはどうにもならない。
せめて知った顔を見つけられれば、と思いながらラディンは辺りを見回し、ちょっとショックを受けてしまった。
一見すれば人相の悪い斜め傷すら全く気にならないほど、ギアは借り物の礼服を見事に着こなして周囲に溶け込んでいた。
醸し出す雰囲気はまさに貴人のソレだし、持ち前の気さくさと明るさも手伝って楽しげに談笑している。割り込む隙などなさそうだ。
仕方なしに他へ目を移すと、黄色い声で騒ぐ若い女性たちの輪に気がついた。輪の真ん中に、見知った姿があるような気がする。
「……ルイン?」
思わず上げた声が妙に目立った気がしてしまい、思わず口を押さえて辺りを見回す。もちろん誰も気にするわけないのだが……ほんと、落ち着かない。
そういえば、グラスリード王国の王子だという話だった。それならばこういう場には慣れているだろうし、珍しい
どうしたものかと動きあぐねているところへ、声がかけられる。
「あらぁラディン。服に着られてるんじゃないかと心配してたケド、どこから見ても立派な貴公子じゃない」
聞き覚えのある声にびくりと肩を震わせ、恐る恐る振り返るとそこには、思った通りエリオーネとモニカが――、
「うっわぁ」
見た途端、思わず感嘆の声が口をついた。
光の加減で紫に光るシックなデザインの黒いドレスに身を包んだエリオーネは、いつもの彼女であってそうでない、大人びた妖艶さにあふれている。大きく開いた肩と深いスリットから覗く白い足が、漆黒のドレスとの対比で妙に艶っぽい。
彼女の隣にはモニカがいて、こちらは、パステルグリーンのふんわりしたドレスと、ふんわり巻いたタンポポ色のオーガンジー、明るいオレンジの目がアクセントになっていて、初々しいお姫様のようにとても可愛らしい。
女の子が綺麗な服に憧れる理由がちょっとだけ解った気がした。うまく言葉が出てこないラディンに、モニカがすごく嬉しそうに、言う。
「ねえラディン! ステキなドレスでしょお? ねえ、似合ってるかなぁ……あたし」
「うん、すっごく可愛いよ。似合ってるよ」
月並みな言葉しか思いつかず、ラディンはドギマギしながら答えた。
モニカは「ホントに?」と目を輝かせている。
「ラディン? ア・タ・シ・は?」
「エリオーネもすっごく綺麗だよっ」
色っぽい流し目なのに迫力があって、意味もなく緊張しながら答えれば、エリオーネは意味深な微笑みを浮かべて言った。
「だめねぇラディン。やっぱり子供よねぇ。オトナの女の魅力ってものを解ってないわぁ」
「はあ」
ラディンの答えでは不満足だったようだ。まだ子供なのは間違いなくそうなので、仕方ないと聞き流すことにする。もしかしたら少し酔っているのかもしれない。
「あ! あたし、ケーキもらってこよっ!」
モニカの興味はすぐに移ってしまい、同時にエリオーネも向こうの高価なワインを狙って行ってしまったので、再びラディンは一人になってしまった。
(うーん、寂しい)
手近な場所にソファを見つけたので、ラディンは目立たないようそこに腰を下ろす。こういう場面にすぐ溶け込める皆をかなり羨ましいと思いつつ。
フォクナーも、さっきからそこかしこに出没しては消えている。
子供の
ちなみに、シャーリーアはこの場には出席していない。体調がまだ良くないからと辞退したらしく、きっとリーバも付き添っているのだろう。
それはそれで羨ましい。
そういえば、パティはどこ行ったんだろう。
白毛の少年の姿を見ないことに気づき、突然心配が過って、捜しに行こうかなとラディンは腰を上げた。途端、いきなり後ろから声がかけられた。
「折角の祝宴なのに君は飲まないのかい? それとも飲めないのかな?」
「……?」
全く覚えのない声に驚いて振り返れば、三十代くらいの背の高い男性が立っていた。
切れ長の目は紺碧で、すっきりとした目鼻立ちをしており顔の造形は悪くない。きっちり束ねられた藍白の髪の長さが印象的だった。
「ラディン君……だっけ? よろしく、僕はロッシェ=メルヴェ=レジオーラという。話は聞いたよ。あの厄介な海賊たちを見事、逮捕してくれたんだってね。君みたいに勇気のある少年は大好きだよ。ね、ルベル」
途中に口を挟む隙も与えず一気にそう語ると、強引にラディンの手を取って握手する。
言葉の最後に応えてだろう、彼の後ろから小さな女の子が顔を出し、ラディンに向かってニコニコと笑いかけた。
「……ありがとうございます。でも、おれ……僕だけじゃないので、頑張ったのは」
ガチガチに固まってラディンは答える。彼はそれを聞いて、鋭い目をいっそう細めてくすりと笑った。
「いいねえ、謙遜な若者というのは。ね、ルベルもそう思うだろう? ところで、あの白いふわふわくんも、君たちの仲間かい?」
「し、白いふわふわって?」
なんだか嫌な予感がして、ラディンは聞きたくないと思いいつつ尋ねた。
彼はラディンの反応を面白がるように口角をあげ、視線を流す。
「ほら、彼――」
「ぱっ……パティっ!」
いつのまに来ていたのか、白い毛皮に包まれた仔オオカミが少し離れた場所に立っている。きんいろの大きな目は考えるまでもなく見知ったもので。
道理で、見かけなかったわけだ。
「どうやら女官に窮屈な衣装に着替えさせられるのがイヤで、逃げ出してきたらしいよ。でも、戻るに戻れなくなったんだよねえ。君の服、貸してあげたら?」
「ずるいじゃんかー、パティ」
『えへへ』
トコトコと近づいてきたパティロは、オオカミの姿のままラディンを見あげて悪びれる様子なく笑って(?)いる。この際だから彼を理由に退出させて貰おうと思いつき、ラディンはロッシェに軽く頭を下げた。
「それじゃ、僕たちここで」
「あ、言い忘れてたけど」
遮るようにロッシェが口を開く。剣呑な紺碧の双眸に悪い予感を覚えつつ、ラディンは恐る恐る背の高い彼を見あげた。
「パティロ君、僕の
「…………」
無言のままラディンの視線が落ちる。咎めるように見られても全く動じず、パティロは首を傾げていた。
先日まで家に帰る話だったはずなのに、何だこれ。
何か悪い契約にでも引っ掛かったんじゃないんだろうか。
「……何の仕事ですか?」
「ルベルの遊び相手だよ。良かったら、君も」
「そういうの、口約束とかリーダー通さずにとか無理ですからッ」
国王陛下といいい、このロッシェと名乗った貴族といい、何なんだろうか。
うっかり安請け合いした日には、何かとんでもないことに巻き込まれてしまいそうだ。ラディンはパティロを急かし、慌てて宴会の会場をあとにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます