[2-3]真実と絶望と


 昔から、人が隠そうとしている虚偽を見抜くことができた。幼少時は知らずにその能力を使ってトラブルになったこともあるのだろうけど、ラディン自身は憶えていない。

 

 ――真実の瞳トゥリアル・アイズ

 

 魔法と精霊に関し学院教師並みの知識を持つ父は、その能力をそう呼んだ。特別な生まれを示す異相であり、他人には言わぬようにと言い聞かせられて育った。


 用意された部屋のベッドに腰掛け、荷物をあさって古びた手鏡を取り出す。普段は長く伸ばしている前髪を指で分けて押さえ、自分の顔を映してみる。

 ラディンの瞳は、右と左で色が違う。

 左は、別段変わった所のない地味なとび色だ。しかし右の瞳は、ガラス細工のように透きとおった光色をしている。


 陽光を集めて閉じ込めたようなそれは、母の髪色と同じだ。

 人族ではなかった母から受け継いだ、虚偽と真実を見分ける慧眼けいがんだ。


 けれど、真贋しんがんを見分けられるから真実が見えるというものでもない。精霊とは違い、ラディンはごく普通の人族であって、心を読むことはできない。

 隠された真実を知りたければ、相応の努力が必要なのだ。


 それに、偽りは偽りのままにしておいた方が良いこともある。

 真実というものは時に残酷で、知ってしまったために後悔したことだって数知れなかった。


 本当に知りたいことはいつでも最後なんだ。


 父は、十年ほど前に城から来た大人たちに連れ去られた。それから時を置かず、母が行方をくらませた。二人がどこにいるのかをラディンは知らない。

 幼少の自分を面倒見てくれた後見人も、近所の人たちも、両親の行方どころか生死すら知らないようだった。

 だから、真実は王城に隠されていると思ったのだ。


 シャーリーアの奇跡的な生還。

 リーバが遭遇した白い魔族ジェマの女性と、告げられた氷狼のことば。

 そして、本心を隠して笑う国王陛下と謎の依頼事。


 目まぐるしく巡る状況の中で、自分はどう向き合い、行動するべきだろう。

 そんな出口のない思考に囚われながら、ラディンはいつまでも、鏡に映る光色の瞳から目を離せないでいた。




 ***




 ルインの故郷は、年の半分以上を雪景色に覆われている寒い島国だ。

 ここライヴァン帝国にたどり着いたとき、街にあふれる緑の豊かさに驚いた。空はどこまでも深く青く、海は鮮やかな碧色に輝いている。

 そういう色鮮やかさは、ルインの故郷グラスリード王国にはなかった。


 ――おまえの目は、未来に広がる可能性の色だよ。


 愛情と憧れを滲ませて、父王が自分の将来を夢見て語ってくれたことがある。雪を降らせる重いねずみ色の空を見あげ、どこか遠くの異国を思い見ながら。

 じわりと視界が歪む。

 優しく大きな手が優しく頭を撫でてくれたことを、切なく思いだしたのだ。


 第一王子であったけれど、ルインは目立たぬ存在だった。実母はすでに亡く、父は第二妃の言いなりで、第二妃は実子ではないルインをひどく嫌っていた。

 父が国を出るようルインに告げたのには、彼女の圧力があったからだというのも気づいてはいる。悲しい決断だったが、自分にも父にもどうしようもなかった。


 理不尽だ、という気持ちはある。

 しかしそれを形にして突きつける言葉も、剣に乗せ排除する力も、今のルインは持っていないのだ。

 だから、父は自分に「強くなりなさい」と言ったんだろう。


 単に剣や魔法の腕を上げることではないのは、ルインだってわかっている。

 父が望んだに適うため何をすればいいのか、手探り過ぎてつかめていなかった。

 ここは人間族フェルヴァーの大帝国で、国王は自分より外見年齢は上だとしてもまだ若い。立ち回りが器用そうな彼からなら、具体的な何かを得られるだろうか。


 一人部屋のソファに腰掛けて悶々と思考に沈んでいたルインの耳に、コンコンと扉を叩く音が届く。我に返って涙を拭うと、入り口へ向けて声を返した。


「……どうぞ」

「失礼するわ」


 入って来たのはよりによってエリオーネだった。誰か確認してから返事をすれば良かったと、ざわついた心で思う。

 昼にも情けない姿を見せてしまったのに、また泣いているなんて。


「泣いてたの? ルイン」

「え、あ、ううん!? 大丈夫だよ!」


 目鼻周りが赤くなっていたのか、すぐにバレてしまい、慌てたルインは的外れな返事をしてしまったが、彼女がからかってくる様子はなかった。それどころか真面目な表情でルインの向かいに座ると、腕と足を組んでじっと見あげてくる。

 いろいろな意味で目のやり場に困りつつ、早まる鼓動に戸惑いつつ、ルインは恐る恐る尋ねた。


「どうしたんですか? エリオーネさん」

「ルイン、昼は意地悪いこと言っちゃってごめんなさいね。改めて確認なんだけど、アンタが王子様って言うのは本当のことよね?」


 否定も肯定も、彼女は待たなかった。

 思わず息をのんだルインの反応を確認し、紫色の双眸をわずかだけ細めて言葉をつなぐ。


「あなただったわ。あのが狙ってたターゲット」

「――……え?」


 かなりの間があった。ルインが、その台詞の意味する恐ろしい事実を理解するまでに。

 エリオーネの目が険しくなる。


「アンタ、今回がはじめてじゃないはずよ? 今まで命を狙われたこと、なかったの?」

「そういえば……、――頭上から矢が降ってきたりとか、目の前の茂みから急に魔獣が襲ってきたりとか、何もしてないのに近くの樹が倒れたりとか……」

「遭ってんじゃない。ソレ、アンタを殺そうとしてたでしょ」


 半眼で言い切られ、ルインは頭の中が真っ白になった気がした。


「そんな! ボク、誰かに命を狙われるほど恨まれるようなことしてないし! 今までのだって、きっと偶然で――、」

「何もしてなくたって、命を狙われることくらいあるでしょ」


 エリオーネの追究は容赦ない。ルインが今まで気づかない振りをしてきた現実が、白日の下にさらされてゆく。


「ルインだって解ってるんでしょ? 特に第一王子なんて、ただ生きてるってだけでも憎まれる理由になるのよ。信じたくないでしょうけど」

「そんな……」


 第二妃に疎まれている自覚はあったし、嫌われているのもわかっていた。けれどまさか、死を願うほどの憎しみを向けられていたなんて。

 それだけでも悲しいのに、父は――止めてくれなかったのだろうか。

 もう、誰を信じたらいいのかわからない。


 エリオーネは、言葉を失ったルインを憐れむような目で見ていたが、しばらくしてまた口を開いた。


「……正直、最初はシャーリィが狙われたんだと思ったわ。でも、そうじゃなかった。誰が依頼したかまでは調べられてないけど、あのブルッグって名前の暗殺者アサシン。アイツ、裏世界でも厄介者扱いされてる賞金首なの。腕利きだけど、殺人狂。そんなの雇うなんて、依頼主もよほど必死なんでしょうね」


 淡々と語られる言葉がルインに、あの日の惨劇と死神のわらいを想起させた。剣も魔法もまだまだ未熟な自分に、あの鎌から逃れるすべがあるだろうか。

 

「ボク、殺されちゃうんですか……?」


 絶望感に震えながら吐きだした恐怖を、エリオーネの瞳が受けとめる。彼女はソファから立ちあがり、間のローテーブルに左手をついて、右手を伸ばした。


「そんな顔するんじゃない。そんなこと許すはずがないでしょ? このあたしが、アンタの護衛をしてあげるわ。アンタはあたしの、大事な雇い主カネヅルですもの」


 実に彼女らしい台詞を吐きながら、けれどエリオーネは細い指先でルインの涙を拭い、本当に優しく微笑んだ。

 こんな状況だというのにルインはそれを心臓が震えるほど綺麗だと思った。

 知っているつもりでいた普段の彼女とは、また違う一面だった。


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