[5-3]思いがけぬ再会


 最悪の事態まで想像を巡らせ扉の外に出てきたシャーリーアだったが、思いのほか通路は閑散としていた。

 意識を研ぎ澄ませてみれば上の方から喧噪じみた物音が聞こえてくるので、総出で討伐軍への対応に向かったのかもしれない。


 これ幸いと思いつつ、それでも極力足音を立てぬようにして通路を進んでいた、その時。

 突然、どこからか飛び出した白い影に突き飛ばされ、何がなんだか解らないまま気づけば床に転倒していた。


「……!?」


 見覚えのある狼が自分の胸の辺りを前足で押さえ、覗き込んでいる。

 馬ほどもある体高。青みがかった毛並みは異様な冷気を帯びていた。サファイアのような瞳に映る感情は……読み取れない。

 背から生えた長い触手のようなものが眼前で揺れている。


 ――氷狼ひょうろう


 中位の氷精霊であるこの狼と、そうそう何度も遭遇するはずがない。

 ……ということは。リーバの育ての親とかいう魔族ジェマが、ここに?


『その通りだ』


 かれが、シャーリーアが問いを発するより早く応えた。

 心を読まれたようだ。中位精霊は表層の思考を読めると聞いた覚えがある。


『どうやって入った? 何をしに来た? 答えによっては、もう二度と光を見られなくなると思え』


 精霊のくせに恐ろしいことを言う。冗談じゃないとは思うが、彼が怒っている理由がが定かでない以上、迂闊に答えることもできない。

 それに答えをはぐらかしたところで無駄だろう。心を読まれるのでは誤魔化しようがないからだ。


 一瞬であれこれ想定を巡らし、シャーリーアは言うべき答えを決めた。

 じっと答えを待つ氷狼ひょうろうを強気を装って見返し、それから口許に笑みを浮かべて言い放つ。


「まさか、あなたが海賊の仲間だったとは」

『なにっ!?』


 効果は覿面てきめんで、氷狼ひょうろうは怒ったように背中の毛を逆立てた。刃物を突きつけるかのように、青い触手が自分の額に狙いを定めたのがわかる。

 彼が憤ったという事実は読みが当たっているという証拠だ。シャーリーアは恐怖で震えてしまいそうになる声を精神力で抑え、笑みを崩さず畳み掛けた。


「誇り高い氷精であるはずの貴方がこんな卑劣な集団に加担しているなんて、幻滅もいいところです。それとも貴方には何か深い理由ががあるのですか? 例えば、彼らを征伐するためとか」

『黙れ! その良く滑る舌、二度と動かぬようにするぞ!』


 氷狼ひょうろうが前足に力を込める。

 食い込んだ爪の先から痛みを招くほどの冷気を感じたが、シャーリーアは黙らず言葉を続けた。

 今感じている恐怖をかれに悟られるわけにはいかない。


「僕を殺すんですか? 貴方と比べてはるかに弱い、この僕を、精霊である貴方が。こんな無抵抗の者を殺害するなど、卑劣さ極まれりというところですね」


 傍目はためには相当強い挑発文句に聞こえるだろうが、氷狼ひょうろうの目に揺れる感情はシャーリーアの思った通りだった。それで確信する。この氷狼ひょうろうは、本意からここにいるのではない。

 何か理由わけがあるのだ。

 それを聞き出せれば打開策を見いだせるに違いない。


 はたして氷狼ひょうろうは、シャーリーアの言葉に少し考え込んだようだった。

 サファイアブルーの瞳が、値踏みするようにすうと細められる。大きな前足を胸の上からどけて、狼はシャーリーアの真ん前に後退した。

 ようやく解放されたことに胸をなでおろしつつも、動揺を気取られぬようゆっくりと体を起こし、服の乱れを整える。


『おまえは、リーバを連れ出しに来たのではないのか?』


 唐突なその問いは、シャーリーアに向けての確認だった。

 完全に予想外だったため一瞬反応が遅れるも、平静を装いながらという態度で大きく頷いてみせる。


「そもそも勝手に家出なんかして、貴方たちに心配をかけたのはリーバさんでしょう? 僕は、貴方が怒るのも当然だと思いますよ」


 この際、真意はどうだっていい。別にリーバが悪いとも思わないが、彼を連れ出しに来たのでないのは本当だから、細かい部分は目を瞑ることにする。

 こうやって会話を続けていれば表層意識を覗かれることはないだろうし、情報だって引き出せるはずだ。


 現に思った通り、シャーリーアの言葉に氷狼ひょうろうは態度を軟化させたようだった。


『ならば何をしに来た。もしやおまえは、港に輪を描いている船団の仲間か?』

「僕は、海賊船から娘を助けてくれるようにと人間フェルヴァーの女性に頼まれたので、ここに潜入したんですよ」


 念の為、当たり障りのない事実を答えた。

 氷狼ひょうろうはそれを聞いて何かを考えるようにくるりと一回転すると、再びシャーリーアを見据える。


『おまえは、このならず者どもを潰すのが目的なのだな? ならば私と手を組まないか?』


 想定外の申し出だ。さすがに一瞬思考が停止フリーズしたが、とにかく顔には出さないようシャーリーアはにっこりと笑って見せる。

 大丈夫、作り笑いにしてはよくできているはず。


「それはありがたい申し出ですが……いいんですか? 僕らなどと手を組んでも」

『良いのだよ。どうせ私は奴らに義理などない。それに、おまえが外部の者なら、頼みたい事もあるのだ』

「わかりました。僕に出来る範囲で、ですが」


 スマイルを崩さず答えながらも、シャーリーアは予想外の展開に、正直目眩を覚えていた。




 ***


 


 ちょうどそれと同時くらいに討伐軍の攻撃も始まっていた。船を横付けして乗り移る討伐兵たちと迎え撃つ海賊たちとで、船上は乱戦状態だ。


 イルバートは、ともすれば独走しがちなフォクナーから目を離さないようにしつつ、抜き身の剣を片手に船室へ続く扉を蹴り開けた。バンッと豪快な音がして、木造の扉が勢いよく開かれる。

 船内に突入しようとした直前、嫌な予感を背中に覚えて、イルバートは思わず後ろを振り返った。自分の身長より長い杖を掲げ、高らかに魔法語ルーンを唱えようとしている妖精族セイエスの子供を見とめる。


「オイ、おまえッ!!」


 イルバートは慌ててフォクナーの首根っこを掴み、有無を言わせず船内へと引きずり込んだ。呪文を中断されて不満げな彼の口をてのひらで塞ぎ、小声で耳元に怒鳴りつける。


「お・ま・え・なッ! 弱っちいクセに目立つような事するんじゃねー!」

「置いてかないでよぅ!」


 直後にモニカが飛び込んできた。イルバートとしては置いて行くつもりはないのだが、フォクナーに気を取られてモニカまで気が回らないのだ。


「悪い! うまくついてきてくれよ、おまえさん、足早いから大丈夫……痛ェ!!」


 油断したところでてのひらを噛みつかれ、問題児を取り逃がしてしまった。脱出に成功したフォクナーは素早くイルバートから距離を置き、長い杖を向けて言い放つ。


「おまえ! どーしてジャマするんだよッ!」

「……人の話を聞けよな」

「おまえさぁ、自分が魔法使えないからってヒガんでるだろ!」

「違うと思うけどぉ」


 モニカが突っ込むが、フォクナーには聞こえなかったようだ。聞こえていて無視しただけかもしれないが。

 イルバートは苛々と奥を指差す。


「ンなわけねェだろ! イイから行くぜッ、時間がねーんだってば!」

「だったらどーしてイチイチ、ヒトのコードーにケチつけんのさッ」


 余りに話が通じない……というより、根拠もないのに自信たっぷりなフォクナーの在りように、ついイルバートは呆然と絶句してしまった。

 モニカはそんな二人眺めつつ、困ったように首を傾げる。


「ねぇ……」


 フォクナーが振り返り、イルバートがガリガリと髪を掻きむしるのをひと通り待ってから、モニカは入り口側を指差してぽつりと言った。


「あそこにいるの、もしかしてコワイひとじゃないの?」


 そこには全身に怒りのオーラを漲らせた海賊が数名、鬼のごとき形相でこちらを睨みつけていた。



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