6.対決

[6-1]対峙


 息を潜めるような低い音とともに、部屋の扉が開いた。

 ぼんやりと座っていたリーバはその音にハッとして、船室の入口へ目を向ける。


「リーバ」


 扉の隙間から滑り込んできた声は、よく見知ったものだ。

 感情がゆるやかで抑揚が少なく、それでいてさざ波のように心を揺さぶる優しい音だ。


「ニーサス」

「街側の反撃が始まったみたいだ。私はちょっと様子を見に行ってくる。……大人しくここで待ってるんだよ、リーバ」


 会話を拒絶するように彼は一方的に語り、返答する隙も与えず足音が遠ざかる。

 リーバは小さくため息をついた。

 和解できるものならそうしたいと思う。しかし、彼の望みに沿う答えは、やはり返せそうになかった。


「ニーサス、ごめん」


 開け放したままにされている扉の隙間から手を差し入れ、外側に巻かれた鎖をつかむ。鍵がなければ外せないチェーンロックだが、手段は正攻法のみではないのだ。


「『魔性なる闇の力、弱きを我に示せ』」


 唱えた魔法語ルーンに呼応し、扉の外側で銀光が舞う。鎖を握り込んだ手に力を込めれば、乾いたパンのように簡単に砕けた。闇魔法の【弱点看破ウィーク・ペニトレイション】の応用だ。

 彼にはまだ及ばぬとはいえ、魔法の扱いに関して自分はもう初心者ではない。

 そんなこと、彼だってわかっているはずだろうに。

 自分に魔法語ルーンを教えたのは、他ならぬ彼なのだから。


 ――それとも。

 逃げるはずがないと、まだ信じているのか。


 いずれにしても、今はそんなことを自問自答している場合ではない。囚われている二人を逃がすことが最優先だった。

 それを理由に、逃げ出すことを正当化したいだけだとしても。


「私を信じて、ついてきてくれないかな。ここから出してあげるよ」


 振り返り、窓辺に立つ女性と部屋の隅にうずくまる少年に声をかける。魔法を制限されていない自分であれば、脱出のため取れる手段が幾つかある。しかし、まずは二人に信用してもらえなければ実行は難しい。

 女性にはあからさまに不審者を見る目を向けられてしまい、リーバは困惑しつつも言葉を探す。


「お願いだ。ニーサスが戻ってくるまで、そんなに時間があるとは思えないし――」

「ここにいられては、討伐軍の足手纏いになりかねませんし、ね」


 唐突に重ねられた聞き覚えのある声に、リーバは驚いて振り返った。

 そして、そこに見た光景に絶句してしまった。




 ***


 


 バキッ、バキバキッ、――と一定間隔で繰り返される衝撃に、人質にされた人々は怯えたように身を寄せ合う。

 積み荷のバリケードをギアとラディンとルインで押さえ、エリオーネが別の場所から入り込まれないよう壁や天井を見張っていた。


 船倉への通路は狭く、入口も高さはあるが幅はない。扉を破ろうと鈍器を叩きつけている海賊の数はせいぜい二、三人だろうが、こちらには女子供がいるので入らせたくはない。

 ただでも、このわずかな時間に二人がどこかの隙間から入り込み、エリオーネの麻痺毒を塗ったダガーに仕留められているのだ。


「さすがっ、逃げられねえよう、頑丈にしてある、扉だな!」


 ギアが振動のリズムに合わせて話しかけてきた。とてもじゃないが余裕のないラディンは、首肯だけ返して意思表示をする。ルインもおそらく同じだろう。

 扉は金属板で補強してあるとはいえ所詮木製だ。

 打撃で入った亀裂はどんどん大きくなっていて、あとどれだけ保つかわからない。


「イルバート……、まだかな……っ」


 悲鳴のような声でルインが呟き、ギアがニヤリと笑みを浮かべる。


「そろそろ、来る頃だっ、頑張れ!」

「アニキは……よゆーだなっ」


 自分もそこそこ腕力や体力はある方だが、彼と比べたらまだまだだ。これが終わったら鍛錬頑張らないと、と思っていたら、不意に扉の向こうの音が止む。

 本能が警鐘を鳴らし我に返ったところで、エリオーネの悲鳴が聞こえた。

 思わず振り返れば、彼女の隣にいつの間にか海賊が二人立っている。一瞬の出来事で何が起きたか理解できないでいると、隣のルインが剣を抜いて声を上げた。


「気をつけて! 誰かがテレポートで送り込んだんだよっ」


 エリオーネは既に二人を相手取り、愛用のカタールで交戦中だ。ギアがチッと舌打ちする。


「姉御! 二人相手にできるか!?」

「無茶言わないでよ! あたしみたいな職業って正攻法タイマンは苦手なんだからっ!」


 とはいえ彼女は獣人族ナーウェアなので、戦闘スタイルは格闘だ。スピードで相手を上回っているものの、二対一では分が悪い。だからといって今、扉の前を離れるわけにもいかなかった。

 それでも彼女が一人を仕留めている間にルインが加勢に入ったので、残る一人もあっという間に倒された。さすがプロである。


 扉の向こうは沈黙したままだ。第二弾を警戒していると突然、鈍い音とともに扉へ掛かる圧力が逆流した。


「うわっ!」


 扉の外に向かって崩れ落ちる積み荷に驚いて、ラディンが飛び退く。

 ギアが隣で、鞘に入ったまま剣を構えた。


 積み荷に溜まっていた埃が舞いあがる向こう側、ローブを纏った人の姿が見える。

 ラディンは、そして確実にギアとルインも、その人物を知っていた。


「やっぱり、あんただったんだ」

「扉ごとぶっ壊しやがって、今のは魔法か? いやそれより、おまえさん、オルファをどこに連れて行った?」


 積み荷の下に原形をとどめず散乱している板の破片は、扉の成れの果てだろう。

 通路や積み荷が破壊されていないところを見ると、何らかの魔法で扉そのものの強度を下げ、魔法か何かで攻撃したのか。


「ギア、あんたねぇ……、こっちにも加勢しなさいな! 女子に重労働させるなんて」


 海賊たちを縛り終えたエリオーネが軽口を叩きながら、ギアの隣に滑り込む。ローブ姿の魔族ジェマを睨み据え、臨戦態勢だ。

 一方、魔族ジェマの方は、人数差を目にしても動揺した様子がなかった。

 舞いあがっていた埃が治まると、散乱した積み荷や扉の破片を踏み分けながらこちらへ歩いてくる。その姿はひどく無防備に見えて、ラディンは困惑しつつギアを見た。


「おまえたちは下がってろ」


 ギアが警戒するように手を出して言ったので、ラディンとエリオーネは彼の後ろに下がる。ローブの魔族ジェマはその間にも近づいてきて、歩幅二つ分ほどの位置までくると、立ち止まった。

 話に聞いた通りの女性のような顔立ちに、くせのない青銀の長髪。アクアマリンを思わせる両目は、黒幕とは思えぬほど邪気なくこちらを見つめている。

 魔族ジェマにありがちな狂気も、彼の目には宿っていない。


「何をしに来た?」


 さざ波を連想させる声が、ギアに対し問いを発する。声に魔力ちからを持つ部族――おそらく海歌鳥セイレーンだろうか。

 ギアが圧倒されたように言葉に詰まってしまったので、ラディンは代わりに返答する。


「さっきも言ったけど、オルファさんを返してよ。あともう一人、獣人族ナーウェアの子も」


 声に乗せられる魅了の力に呑まれないためには意志を強く持たねばならない。自然と声が張り詰め、怒ったような顔になっているのを自覚するが、魔族ジェマの彼は気にしてはいないようだった。

 視線をギアからラディンに転じ、即答する。


「断る」

「ま、そうだろうと思ったわ」


 エリオーネは既に交渉決裂の判断らしい。同じ獣人族ナーウェアが被害者として関わっているからか、彼女の態度は常より好戦的に見える。


「ちょっと待ってよ」


 そんな彼女を抑えるように手をかざし、割って入ったのはルインだった。



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