[6-2]暴走の結末


 剣を収め、ギアたちと魔族ジェマの彼との間に割り込んだルインは、緊張のためか眉を下げつつもしっかり彼を見て話しかけた。


「僕は、ルイン。あなたは? なんて呼べばいい?」


 ほとんど表情を変えずにいた彼が、ここではじめて笑顔に近く頰をゆるめた。


「……ニーサス」

「ニーサスさん? ええと、ニーサスさんは海賊の仲間なの?」


 海歌鳥セイレーン魔族ジェマは声に魔力を持つ。呪歌じゅか、つまり魔法効果を持つ歌を習得すれば、扱いようによっては商船を混乱させる切り札にもなり得る。

 それゆえに海賊船で海歌鳥セイレーン魔族ジェマを捕らえて利用しているケースも多いのだという。


 ルインの問いはそれを確かめるためだったのだろう。

 それがニーサスに伝わったかは不明だが、彼はルインの問いに首を横に振った。


「それじゃ、ニーサスさんがオルファさんと獣人族ナーウェアの子を攫った理由は? 海賊に命令されたから?」


 話し合いができそうな相手の反応に水を得て、ルインが問いを畳み掛ける。

 ニーサスは逡巡しゅんじゅんするように数秒ほど目を泳がせると、静かな声で答えた。


「彼女は、歌が綺麗だったから。狼の子は、白くてふわふわしていて綺麗だったから。別に……喰うつもりはないよ。狼の子は使い魔ファミリアにしようと思ってたけど」


 淡々と答えられた内容にショックを受けたのか、ルインが言葉を失い固まった。

 エリオーネがルインを押しのけ、目をつりあげ殺気をたぎらせてニーサスに詰め寄る。


「あんたねぇ! それがどれだけ悪いことか、知らないワケ!? 知ってて言ってるなら、許さないわよッ」

「……煩い。私は今、彼と話してるんだ」

「エリオーネさん、気持ちはわかるけど今は下がっててっ」


 我に返ったルインが慌てたようにエリオーネを押し戻したので、ラディンはコソッと彼女に尋ねてみる。


使い魔ファミリアって?」

「魔法使いがよく、生きた魔力媒体として鳥や動物連れてるだろ。アレだ」

「あたしたちを道具扱いしてんのよ、この男は……!」


 ギアとエリオーネから同時に答えが返り、ラディンは彼女の剣幕に押されて口をつぐんだ。なるほど、一般動物の狼と獣人族ナーウェアを一緒にされたら憤りもするだろう。

 だが、ニーサスはそれを聞いて驚いたように目を見開き、ついで表情を険しくした。


「傍に置きたいだけだ。道具扱いなんてしない」

「でも、相手が嫌がってるなら道具扱いと同じことじゃん」


 思わず言い返せば、彼は虚をつかれたように沈黙してしまった。その不自然さに、エリオーネが怪訝そうに眉を寄せる。


「ねぇ。この人、もしかして……少しフツーじゃない?」

「さあねぇ」


 大人二人が顔を見合わせ困惑しているのには構わず、ルインは交渉を続けてる。


「ニーサスさんがどんなつもりだったにしても、オルファさんとその子は返して貰わないと困るんです。それに、【使い魔ファミリア】の魔法は人に対して使う魔法じゃないと思う……」


 真剣に話すルインの言葉を彼は真摯に聞いているように見えた――途中で妨害が入らなければ、もしかしたら説得はうまくいったのかもしれない。


 その異変に最初に気づいたのはラディンだった。


 じっと成り行きを見守る人質たち、口出しを控える大人二人、真剣に話し合う魔族ジェマ二人。船の軋む音以外には雑音のないその空間に、何かの音が迫ってきていた。

 何かを激しく打ち鳴らす音――いや、踏み鳴らす音が。

 はじめはソレが目指しているのがここだと思わず、はっきり意識を向けた頃には、ギアやエリオーネも異変に気付いていた。


 ドカドカッ、と乱暴に駆け降りてくる足音に、甲高い悲鳴が混じる。

 ルインとニーサスも会話をやめて、皆が同時に階段の方に視線を向けた。その、直後。


「うわあああああああああああああどけてえっっ!!」


 転がるように階段から突っ込んできた小柄な影が、避けようもない勢いで、立ち尽くしていたニーサスに激突した。鈍く痛々しい音が響き、ひと塊になった二人が積荷と木片の散らばる床に倒れこむ。

 不測が過ぎるハプニングに全員が茫然としていると、遅れて到着したらしいキメラ少女が慌てたように階段を駆け降りてきた。


「おねーさまっ!」

「モニカ!?」


 エリオーネが驚いたように声を上げて、そちらへ駆け寄っていった。気を取り直してよく見れば、ここでぶっ倒れている暴走生物はフォクナーだ。……何だろう、これは。


「何やってンだよ、おめーら」


 ギアもようやく自分を取り戻したのだろうか。呆れた声で言いつつ、気を落ち着かせるように前髪をワシッとかきあげている。


「イルバートはどこに行ったんだよ、……てぇより、どこに置いてきたんだよ」

「そう、大変なの! あたしたち、コワイ人たちに追っかけられちゃって……イルバートのおにーさんが、とにかく船の下の方に向かえって。だからっ、早く助けにいかないと」

「あたし行くわ」


 エリオーネが即断して階上へ向かい、ギアは屈みこんでフォクナーの様子を見ている。ニーサスも倒れ伏したまま動く気配がない。

 いくら体重が軽くて非力だとしても、勢いがあれば十分凶器になり得るのだな、とラディンは思った。

 ルインがそばに来て治癒魔法を唱え、ギアが軽くフォクナーを揺さぶって起こす。


「おい、大丈夫か?」


 うーんと唸って頭をフラフラと振っていたフォクナーは、ぼうっとした目でギアを見あげ、突然にビシッと指をさした。


「でた。ナナメキズのアニキ」

「名前より長ぇだろうが。そんなことより、頭は大丈夫かよ」

「ヘーキ、ヘーキ」


 ヘラヘラと笑っているが、本人が丈夫なのかルインの魔法が効いたからなのかは区別できない。ギアはフォクナーを引っ掴み、頭を調べてハァとため息をついた。


「でっかいコブ出来てるくらいだな。あれだけ派手にぶち当たって運のいい奴め……。シャーリィが戻ってきたら、ちゃんと診てもらえよ」

「あいついちいちイヤミだからキライだもんね」


 付き合いは浅いはずなのになかなか辛辣だ。ギアはもう一度大きなため息を吐くと、今度はニーサスの様子を見ている。

 ルインが船倉に置いてあった水樽から適当な器に水を移し替え、ギアと一緒に手当てを始めたので、ラディンはイルバートに加勢しようと考えて、階段の方へ行くことにした。


 上からはもう、喧騒のようなものは聞こえてこない。登ろうとした所で上から話し声が聞こえた。イルバートとエリオーネだ。


「よかった、無事だったんだね」

「何とかな。……ッたくコイツ、声立てるなって言えば騒ぐし、逃げろって言えば向かってくし、なんなんだよッ」

「あはは、お疲れ様……」


 大きな怪我はしていないようだが、軽い傷を複数箇所に負っていて、表情には疲弊ひへいの色が濃い。

 対海賊というより対フォクナーでここまでとか、気の毒としか言いようがない。

 階段を降りてきた彼は、ギアの姿を見留めると急いたように駆け寄ってきた。


「ギア!」

「悪ィ、俺らはまだ――」

「そいつ!?」


 ギアの話を遮ってイルバートがやにわに剣を抜く。ハッとしたルインがニーサスを庇うように動き、ラディンは急いで彼の腕にすがって押さえた。


「離せッ!」

「待ってよイルバート!」

「話をまず、聞いてからで……!」


 ラディンとルインの訴えに何とか踏みとどまるも、結局まだオルファの無事は確認できていないのが現実だ。ギアが意を決したように立ちあがり、言った。


「俺、ちょっと様子見に行ってくるわ。シャーリィが心配だし、彼女が見つかったかどうかも気になるからな」

「オレも行く」


 即断即答でイルバートも応じる。

 ラディンが手を離すと、彼は無言で剣を収めこちらに背を向けてしまった。ギアがこちらに目配せを寄越して言う。


「姉御。この場はよろしく頼むぜ」

『その必要はない』

「えぇ……え?」


 エリオーネが返答する前に割り込んできたのは、肉声ではない声だ。

 思わず見回せば、皆の表情が警戒の色に変わっていて、聞こえたのが自分だけではないのを悟る。


「……誰だ?」

『私だ』


 ギアの問いに、端的な答えが返る。頭に直接響くようなソレは、階段の方から聞こえてきていた。

 つられて目を向け、息を飲む。


 馬ほどの大きさがある、青銀の獣――存在はそれなりに有名ではあるものの、滅多に会うことのない氷の中位精霊。

 氷狼ひょうろうと呼ばれる希少精霊が階段を降り、こちらへと歩いてきていた。


「氷の精霊!? どうして、こんな所に?」


 ルインも驚いたように声を上げる。

 ギアがますます警戒を強めつつ、獣を睨んで聞き返した。


「どういうことだ?」

『焦るな、人間フェルヴァーの剣士。事情は今から私が話してやろう』


 その巨体に重さなどないかのように、音もなく歩み寄ってくる氷の獣。茫然としている剣士二人を軽々と飛び越え、軽い足音とともにニーサスの側へ着地して、サファイアの目で全員を見渡す。

 美しく、威厳のある氷獣だった。

 そんな氷狼に訴えかけられて、否と答えることなどできるはずもない。


『ニーサスが連れ去った二人なら、もうじきここにやって来る。だからその殺気を収めて、しばし待っては貰えないか』



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