[8-3]死神の鎌


 大きな砂時計から、銀の砂が降ってくる――?


 自分がどこにいるのかわからないまま、モニカは頭上を見あげて首を傾げた。砂時計の中にいるようにも、外から眺めているようにも思える。


「モニカ、死神に気をつけなさい。君たちを追っているから」


 聴き覚えのある声が、どこかから聞こえている。

 優しくて穏やかで、さざ波のように心を震わす綺麗な響きの声。これは、だれの声だっただろうか。

 声の主はモニカの困惑を感じたのか、おかしそうに笑った――気がした。


「もう、忘れられちゃったか……まあ、仕方ないね。それより本当に、気をつけなさい。君には凄い味方がいているようだから、きっと大丈夫だろうとは思うけど」


 え、と夢の中の自分が驚いた声を漏らす。

 スゴイ味方って誰だろう。エリオーネだろうか、……それともギア?


「ああ、まだ君たちは気づいていないんだね。それならいいんだ、気にしないで。そのうちはっきりするだろうからね」


 意味深に呟かれた言葉にモニカはますます戸惑うが、声の主はもうこれ以上この話題に触れるつもりはないようだった。


「ごめんね。今は、時間がもうなくて。私はしばらくの間、遠くへ離れてしまうけど、君の無事を祈っているよ。そして、私の一番大切なものを頼みます。君たちの上に幸運がとどまりますように」


 その瞬間――視界がブラックアウトした。光源であった銀の砂時計が砕け散ったのだ。

 音はなく、痛みも衝撃もなかったが、激しい不安感と焦燥に心臓が戦慄わななく。自分自身の上げた悲鳴にびっくりして、モニカは飛び起きていた。




 ***




 『海歌鳥セイレーンの竪琴』亭で朝食を済ませ、一行は早速首都に向けて出発した。イルバートはたいそう名残惜しがったが、最後は快く送り出してくれた。

 ことと次第によっては国王陛下から何か依頼されるかもしれず、そうでなくともパティロを送り届ける予定がある。

 ラディン自身、シルヴァンに帰ってこれるのがいつになるか今の時点ではわからなかったが、イルバートが結婚式には呼ぶと言うので、その時は何としてでも都合をつけると約束をして別れた。

 そうしてイルバートとオルファに見送られ、首都ライジスへと歩き出したのだった。




「ねえねえ、クロちゃん。ちょっと聞いてもいい?」


 モニカは朝から浮かない顔で、食欲もなかったらしい。今も一行の後方を歩きながら、鏡を取りだして話しかけている。

 鏡面がぽうっと光って、見慣れた羽トカゲが顔を見せた。

 

『なぁに? モニカ』

「あたし、今朝ヘンな夢見たの。銀色の砂時計があって……声が聞こえたの。死神に気をつけなさいって。それと、あたしにはスゴイ味方がついてるって。どういうことなのかな」

『銀の砂時計……?』


 ギアとエリオーネの喧嘩に巻き込まれたせいで寝不足だったのかと思っていたラディンは、ふたりの会話に不穏なものを感じ、つい意識をそちらに向けていた。

 とは付き合いの深い自分だが、モニカのそれはまた別物のように思える。


『……モニカ、それは、他者からの介入によって誘発された予知夢の一種だよ』

「カイニュウ? ヨチム?」


 精霊らしからぬ専門的な話をするクロに、モニカは首を傾げてオウム返している。するりと鏡から抜けでてきた羽トカゲは、モニカの方に場所を移して話を続けた。


『予知夢っていうのは、将来を暗示する夢のこと。でも、モニカの夢はただの予知夢じゃないよ。誰かが何かを伝えたくて夢に介入してきたんだよ。……モニカ、砂時計の砂は、どれくらい残ってたの?』

「砂時計の中の砂は、ほんの少ししかなかったわ。だってすぐに、真っ暗になっちゃったんだもん」

『それは、大変だよモニカ!』


 クロの大声にモニカはびっくりして飛びあがり、前を歩いていたギアとシャーリーアも振り返る。皆の視線を浴びていることに気づいているのかいないのか、羽トカゲは興奮したように尻尾を揺らして話し続けた。


『その砂時計は二重の意味を持ってたんだ! いい? 銀の砂時計は時間の象徴。その刻限が迫っているのは、一つはその警告してくれたヌシ、もう一つはボクたちの』

「そういえば、あのひとタイムリミットだって」

『そう。声のヌシはなんらかの理由で、時間切れになってしまった。そしてたぶん……彼の知らせてくれた危険は、すぐそこまで迫ってる』


 鏡の精霊だからわかるのか、何なのか。クロの読み解きはよどみがなく、自信に満ちていた。モニカだけでなくその場にいた全員が、彼の言葉に意識を張りつめる。

 その――瞬間。


『モニカ危ないッ!』


 クロが悲鳴のように叫んでモニカに全力の体当たりを食らわし、モニカがよろめく。同時に彼女の背後へ黒い影が音もなく現れ、一瞬前まで彼女の頭があった場所を鋭く薙ぎ払った。

 黒い影、いや、黒髪に黒服、身の丈以上の死神の大鎌デスサイズを携えた長身の男性が、腰を抜かしてしまったモニカを見おろしている。エリオーネがダガーを数本引き抜き男に投げつけ、少し離れていたギアとルイン、フォクナーが駆け戻ってきたのもほぼ同時。


 ――カカカンッ!!


 急所――この場合は目を狙った彼女のダガーをすべて大鎌で弾き落とし、男はニヤリと笑った。その顔を半分隠す大鎌の刃が光を弾いてギラリと輝く。


「逃れたか」


 抑揚のない無機質な響きは、聴く者をゾッとさせる不気味さを孕んでいた。再度、大鎌を振りあげる男を、モニカが息を飲んで見あげる。

 同時にこちら側でも黒い影が動いた。


「モニカっ――!」


 ルインの悲鳴、ザクッと地面をえぐる大鎌の刃。

 首を刈り取られる寸前でモニカを抱え、受け身をとって転がったエリオーネが、間を置かず立ちあがり愛用のカタールを抜く。


「アンタ何者!?」

「姉御ッ! 大丈夫かッ!!」


 エリオーネの鋭い誰何すいかと、ギアの切迫した声が響く。

 男は微笑み、長めの前髪から覗く切れ長の目をすうっと細めた。憤りも愉悦もない、まるでガラス細工のように感情のない双眸が、離れた場所から一人一人を睥睨する。


「こっちは、大丈夫よッ! それより他のみんなを守ってやって!」

「おうよ」


 襲撃者から目を離さず、モニカを庇うように立つエリオーネと、剣を抜いてパティロとフォクナーを庇うギア。そこに走り寄ったシャーリーアが、ギアに何かを耳打ちした。

 ギアがハッとしたように背後を見やり、指示を飛ばす。


「フォクナー! 【炎の剣フレイム・ソード】だっ!」

「え? あー、おおぅっ!」


 驚異的な対応力でフォクナーは魔法語ルーンを唱え、呼応してギアの長柄剣バスタードソードとエリオーネのカタールが炎の魔力により燃えあがった。それを見た襲撃者は不快げに眉をひそめる。


 妖艶とカテゴライズされるだろう綺麗な容姿に、先のとがった耳。そして死神の大鎌デスサイズとくれば、死神レイス魔族ジェマ以外にはない。

 該当の部族には闇属性しかおらず、闇の弱点は炎だ。


 あの状況でそこまで判断できるシャーリーアの冷静さはすごいと、ラディンは思う。

 自分の技量レベルで立ち向かっても一撃で首を狩られるのはわかりきっているので、気は急くけれど何もできないのがもどかしかった。


 魔力付与エンチャントを確認したエリオーネは早速、相手の懐に入り込んで切り結んでいる。

 死神も応戦しているが、ふたりの技量レベルは拮抗しているのか、素早さで勝るエリオーネが相手を翻弄している様子だ。


「アンタ、どういうつもり? 何の目的で来たの、言いなさい!」


 突き出したエリオーネのカタールが彼の服をかすめ、じゅッと音がして布の端が焦げる。

 露骨に不愉快を顔に表し、男が大きく後ろに飛び退った。


「目的? 殺すことに決まってるだろう。私は暗殺者アサシンだぞ」


 冷笑を浮かべて彼は答え、後に下がりつつ魔法語ルーンを唱えだす。ルインがハッとしたように叫んだ。


「気をつけてっ! テレポートする気だっ」

「なんだってッ」


 ギアが舌打ちし、剣を構えたまま後衛との距離を詰める。エリオーネが詠唱を止めようと再度ダガーを投げたが、それが届く寸前。魔法が発動し、暗殺者アサシンの姿がかき消えた。

 ギアが耳を澄まし、目を凝らす。わずかな空気の動きも見逃すまいと意識を集中する。そして、叫んだ。


「シャーリィ!」


 立ち尽くす妖精族セイエス青年の後ろに、黒い影が現れる。大鎌の一閃と、振り返ろうとしたシャーリーアが足を滑らせよろめいたのが、同時。

 悲鳴すら許さず――、無情に振るわれた刃の先で血飛沫が散った。



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