2.裏通りを抜けて

[2-1]海賊とキメラと羽根トカゲ


 幾分か赤みを増した午後の陽射しが、港にたゆたう海水のおもてをきらめかせている。

 停泊している客船や商船とは違う帆船が一隻、沖にとどまったまま不気味な威圧感を漂わせていた。


 泳ぐには遠く、船で追いかければ逃げられてしまう。

 飛び道具や魔法の届かない距離を保ってこちらを窺っているのは、海賊船だ。


 太陽を背負う位置取りをしているため、こちら側からは目視ですら観察しにくい。

 腹立たしげに陽光ちらつく海面を睨みつけながら、イルバートは無意識に拳を握りしめていた。


「絶対取り戻してやる、オルファ」


 例の魔族ジェマが海賊と行動をともにしていたという話を、同僚の警備兵から聞くことができた。

 だとすれば、オルファはあの船の中に連れ込まれているはずだ。


 それにしても、もう一時間が過ぎようとしている。

 最初に別れた少年二人と、こちらへ向かう途中で用事があると言って別行動になったギアは、まだ詰所に来ていない。

 焦りと、不安と、わずかな苛立ちをかみ殺しつつ、イルバートは無言で足元の小石を蹴りつけた。




 ***




 ギアの指示通りに聞き込みを続けながら、ルインはラディンに魔族ジェマのみが使える魔法について教えてくれた。

 場所、国、種族を問わず、魔法を発現させるのは精霊だ。

 世界の事象や現象は精霊によるものであり、人の生命活動もそう。種族によって身体活動を支える精霊力には違いがあり、それが種族魔法の違いを生み出すのだという。


「【転移テレポート】は魔族ジェマならだれでも素養があるんだけど、使うにはある程度の技量レベルがないとダメなんだよね」

「やっぱりそうなんだ。ルインは?」

「ボクはまだ使えないの……」


 というわけで、二人は地道に駆け回っていた。

 町の警邏けいら兵に話を聞いたとき、他にも行方不明者がいるというのを聞くことができた。

 事務所に立ち寄ってオルファの件も被害届を出し、再び聞き込みを開始した時にはもう一時間が経とうとしていた。


「そろそろ港に行こうか」

「ゴメンね。ボクにも【転移テレポート】が使えれば……」

「大丈夫だって、裏道抜ければ時間までに着けるよ」


 シルヴァンは港町なので、通り沿いに家がひしめき合って建ち並び、細い路地がいくつも港へと続いている。夜では暗すぎて危ないが、日中なら地元民たちもよく利用する道だ。

 港町特有の臭いが漂う、ウキやもやい綱や漁網が積まれた路地を走っていた時、不意に聞こえた悲鳴にラディンは思わず足を止めた。遅れてルインも止まる。


「女の子の声?」

「ボクにも聞こえた。……行って、みる?」

「うん」


 ギアからは手を出すなと言われたが、だからって放っても置けない。

 狭い家と家の間を抜け、壁の陰に身を潜めて息を殺しながら様子をうかがうと、果たしてそこには、髭面ひげづらの男に腕をつかまれた小柄な姿があった。


「やだぁー! はなしてよっバカぁっ!」


 幼さを感じさせる少女の声で、言葉は大陸の共通語。発音は綺麗で訛りもない。しかしは見るからに、人族ではなかった。

 鳥の翼のように背から突き出す背びれのようなものは、鮮やかな緑色。リボンのように垂れ下がる左右一対の触手も、同じ色。耳は鱗族シェルクに似ているが、微妙に形が違う。

 判断を迷って思わずルインを見れば、魔族ジェマ少年の碧眼がラディンを見て瞬いた。


「アレって海賊かな?」


 問われて、意識が切り替わる。

 視線を戻せば、少女を捕らえている髭面は何やら叫びながら、開いた片手で自分の頭を掻きむしっているようだった。

 目を凝らして見ると、髭面の頭に灰色の何かが取り付いている。

 髭面が動くせいかその何かが動いているのか、金属的な光沢がキラリと目にちらついた。


「……トカゲ?」


 人外の少女を捕らえた海賊をトカゲのような生き物が襲っている。

 もしかして、行方不明の事件には海賊たちが関わっていたのか。


「おっさん! 何やってんだよ!」


 ギアの話とさっきの話と目の前の光景が一気につながって、ラディンは思わず飛び出していた。遅れてギアの警告を思い出したが、もう後には退けない。

 髭面海賊おっさんの驚いたような目と、人外少女の怯えた目が、同時にラディンに向けられた。少女のオレンジ色の目は涙で濡れている。

 怒りが湧きあがり、頭に血がのぼった。


「てめえらだな! 最近、港を荒らしてるって海賊……!」

「何だおめえ」


 髭面を歪め、海賊は下卑た笑いを浮かべる。


「ガキが、女の前でいいカッコしようってか? 残念だな、こいつは女に見えるが女じゃねえ、魔物モンスターだ」

「シツレイ言わないでっ! あたしはレッキとした女のコだもんっ!」


 ラディンが何か言うより早く、少女が頬を朱に染めて怒鳴り返した。

 と同時に、男の頭からスルスルと顔へ降りてきたトカゲのような生き物が、男の鼻に噛みついた。


「いててっ! この野郎!!」


 髭面であっても鼻はむき出しだ。さすがに痛いのだろう、男は少女から手を離し、両手でトカゲを引き剥がしに掛かる。

 その隙にラディンは駆け寄り、少女の腕を引いて後ろにかばった。

 銀トカゲも男の手をくぐり抜けて少女の方にくる。


「…………飛んだ?」


 トカゲの背には翼があった。背骨に沿うように、ツンツンと尖った骨板のようなものも。


「お兄さんあぶないっ!」


 よそ見の隙に距離を詰めてきた海賊が、海賊刀カトラスを抜いて斬りかかってきた。

 少女に注意を喚起され、ラディンは慌てて飛び退く。力任せの振り抜きに、思わず顔をかばって上げた右腕を裂かれ、痛みに声が漏れた。


「痛ッて——」

「そいつはオレの獲物だア! 邪魔するなら殺すぜ小僧!」

「人をモノ扱いするなッ」


 海賊の暴言についカッとなって怒鳴り返すが、かといって優位を取れるわけでもない。

 目を血走らせ鼻から血を流しながら、海賊は二撃、三撃と海賊刀カトラスを振り回す。その異様な気迫と大振りのリーチに圧されそうになりつつ、ラディンは声をあげた。


「ルイン、その子を連れて港に!」


 当然ながら技量も体格も海賊の方が優っていて、ギリギリかわすことはできても攻勢に転じることができない。

 しかしルインは逃げたりはしなかった——考えてみれば当たり前なのだが。


「ラディン! 大丈夫っ!?」


 海賊のリーチには入らない程度に近づくと、早口で魔法語ルーンを唱える。光がきらめき、腕の傷があっという間に塞がっていく。


「ありがと、助かった!」


 魔法の使えるルインを加えて二対一、それでも相手の優位は覆るわけではない。

 何とかして、切り抜ける方法を考えなくては。






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