[1-3]『海歌鳥の竪琴』亭


 十年以上も住んでいるシルヴァンは、ラディンにとって地元のようなものだ。話題の歌姫についても知っている——というか、客として彼女の歌を聴きに行ったこともある。


「何があったの?」


 思わず尋ね返せば、イルバートはダークグレイの目を伏せて首を振った。


「あの魔族ジェマの男が、連れ去ってしまったんだ」

「オルファさんを? でも、さっき見た時には一緒じゃなかったよね」

「……オレだって何が何だか分からねェよ!」


 目を開き、悔しげに声を荒げるイルバートの肩をギアが軽く叩いて、なだめる。


「とにかく事情を話してみろ。あんたには解らなくても、俺やほかの誰かが解るかもしれないだろ?」


 イルバートは視線をギアに向け、頷いた。言葉を選ぶように数秒黙りこみ、それから意を決したように口を開く。


「あいつが、オルファがいつものように店で歌ってた時だ。突然やってきたあの男が、衆目も構わずあいつに近づいていって、言ったんだ。『セイレーンを称するだけある、美しい歌だ。こんな場所に埋もれるなんてもったいない』とか何とか。もちろんオレだって止めようとしたんだぜ? でも足を何かに掴まれたみたいに動かせなくて……手間取ってるうちに、目の前でオルファが突然消えてしまって」


 話しながら感情がたかぶってきたのか、イルバートの声が上ずっていく。多めの距離を取っていたルインは、話に引き込まれてかじわじわと近づいてきていた。


「それ……たぶん【転移テレポート】の魔法だと思う。動けなかったのは、【影縫いシャドウ・バインド】かなぁ……」

「そうだな。でもだとしたら、そいつが一緒に転移しなかったのはどうしてだろな。……イルバート、そいつ、どんな魔族ジェマだった?」


 自分も魔族ジェマなだけに、ルインは使われた魔法の種類をすぐ予測できたようだ。おずおずと口にされた台詞をギアが引き継ぎ、イルバートに尋ねる。

 思い出そうとするように瞳をさまよわせ、イルバートは呟いた。


「薄い水色の長髪、同じような薄い色の目で、女みたいな顔をしていた。声からするに女じゃないと思うが……。背はそんなに高くない。顔は憶えてるんだけどな」

「わかった。それじゃ、そういう特徴の魔族ジェマを見た奴がいないか、聞き込みだ」


 ギアが言って、港のほうを指さしたので、ラディンは頷きルインの手を引いた。世間知らずな上に、魔族ジェマという目立つ種族のルインを一人にしておくのは心配すぎる。


「ルインも協力するよね?」

「う、うん! その、……さっき邪魔しちゃったから、お詫びしないと」

「さっきのは、あのまま戦ったら周りに被害が出たかもしれないし、結果的には良かったんじゃないかな。ルインが何もしなくてもギアは止める気だったし」

「そ、そう? でも、やっぱり、ボクも手伝いたいな……」

「じゃ、おれと一緒に聞き込み行こうよ」


「あ! そうだ」


 ルインとそんなやりとりをしていたら、思い出したようにギアが声を上げる。


「同じような事件がなかったか、それも聞いてくれ。もしその魔族ジェマらしい奴を見つけても、絶対手を出すなよ、いいな?」


「うん」

「わかった」


「待ち合わせは……そうだな、一時間後に船着場、警備兵の詰所でどうだ?」

「そこならおれもわかるから大丈夫」


 イルバートの職場だ。待ち合わせ場所としてわかりやすいし、いざとなれば協力を要請しやすいだろう。

 お互いの合意を確かめて、ラディンはルインを連れて駆け出した。


 大人二人は一緒に行動するのだろうか。万が一を考えれば、ギアにはイルバートについていて押さえてもらいたい所だが……その辺はギア判断に任せよう。

 オルファを攫ったらしい魔族ジェマは、少なくとも転移テレポートが使える技量レベルでありながら徒歩で移動していた。おそらくシルヴァンの地理に疎いか、目的があってかのことだろう。

 だとすれば、今ならまだ近辺にいる可能性も高い。



 ――そんなことをいろいろ考えていたため、ラディンは気づいていなかった。

 その一部始終を眺めていた黒い影が、みなの姿を見送ってから、物陰に滑り込んでいったことを……。




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