[3-3]白き氷獣


 図書館の外に出ると、リーバは再び帽子を深くかぶった。

 あまり顔をさらしたくないからと言うのだが、かえって目立っているようにシャーリーアには思えてならない。


「リーバさん、その杖……何か魔法の掛かったものですか?」


 ふと、リーバの持つ長い杖に目を留めたシャーリーアが尋ねた。

 外に出て初めて気づいたのだが、その杖に填め込まれた黒っぽい宝石は、内側に無数の光のようなものを宿していた。

 例えるならば黒水晶に光の精霊を閉じ込めたような感じだ。


 彼はシャーリーアに言われて、杖をちょっと持ち上げるように覗き込んだ。


「そういえば、ニーサスがこの杖をスターロッドと言ってたなあ。【星光の治癒スターヒール】が封じてあるとか。魔法のものだったんだね」


 言われてみれば星空に似ている。

 どうにも調子の狂う会話にシャーリーアは苦笑した。行動が読めなくて、ある意味幼馴染みステイより扱いづらい。


 その時。


『そんな物を持って逃げ出すなんて、見つけてくれというようなものだぞ、リーバ』


 脳内に直接響くような〝声〟と同時に、突然、青い触手のようなものが投げつけられるようにリーバの右腕に絡まった。

 リーバがはっとしたようにそちらを見る。

 そこいたのは、青みのかった銀の毛並みの、馬ほどもあるオオカミだった。


「リューン……」


 リーバが、呻くような吐息と一緒にそんな響きの名を押し出した。オオカミがそれに応えるように独特の声を漏らす。


『捜したぞリーバ。ニーサスは大変心配している、さあ、私と一緒に帰ろう』

「嫌だね!」


 険しい表情を崩さずリーバが怒鳴り返した。

 オオカミが苛ついたように背中の毛を逆立てる。そこから物凄い冷気が周囲にほとばしった。


氷狼ひょうろう……!」


 シャーリーアが驚いて声を上げる。


 それは普通のオオカミではありえなかった。

 馬ほどの体高と冷気を孕んだ青銀の毛並み。この獣は氷狼と呼ばれる氷の中位精霊だ。

 心話を操り人語を解し、高い知性を持ち魔法を操ることもできる。だが誇り高く、人と交わることは滅多にないと言われている。

 シャーリーアも見るのは初めてだ。


「離せ! リューン!」


 叫んでリーバが魔法語を唱える。呼応して発生するのは【炎の矢ファイア・アロー】。それが氷狼――リューンの、背から伸びてリーバの腕に絡みついている青い触手を焦がす。

 たまらず氷狼が、触手をリーバの腕から離した。


「あなたの知り合いですか? あの氷狼は」

「私の育ての親の親友さ、彼は」


 早口で叫ぶとリーバは、シャーリーアの腕をつかんで走り出す。


「なんとか、撒ければいいのだけど」

「ちょっと待ってください!」


 つい声を荒げてシャーリーアが叫んだ。


「どうして僕まで……!」


 正直、走るのはあまり得意ではない。自然と息が上がって声も荒くなる。

 それにただ走って氷狼を撒けるわけがない。そんな無謀な駆けっこを、どうして自分まで。


 途端、リーバがつかんでいたシャーリーアの手を離した。

 いきなりだったので、危うく蹴つまづきそうになりなんとか踏み止まる。


「何ですか!? いきなり……」


 さすがに苛立って怒鳴りかけた言葉が、途中で途切れた。

 リーバはシャーリーアをまっすぐ見ていた。


「ごめん」


 夜空のように光を呑み込む濃藍の目に、微かな寂しさが過った。……そう見えた。


「そうだね。これは私の問題、君には関係のないことだった。……ただ、会って間もないのに私は君が、友人のように思えて……巻き込んでしまってごめん」


 シャーリーアが何か答える間もなかった。

 リーバはそれだけを言うと、身を翻して路地に駆け込んで行った。

 その後を、一陣の白い風が追う。


「そういう意味じゃ……」


 なかった、その言葉は、声にならずに風に散らされ消えた。


 シャーリーアは茫然と立ち尽くしたまま、時を忘れて白い風の去った方向を見つめていた。





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