第25話

 俺は駆けながら身を低く保ち、相手の足元を狙った。あれだけの弾雨に無傷を保ったスーツだ。白兵戦で、バランスを崩して様子を見るしか方法はあるまい。見るからに鈍重そうでもあるし。


 だが、そんな俺の甘い考えは、次の瞬間には霧散していた。俺とほぼ変わらぬ速度で、相手が接敵してきたからだ。


「ッ!」


 駆けているのではない。超低空を滑空している。信じられない光景だが、エラ状の排気口から勢いよく火を吹きながら、相手は飛んできているのだ。

 急速に縮まってくる、相対距離。俺はすんでのところで横に回り込み、真正面からの衝突を避けた。


「ほう、RCの使い方には十分習熟しているようだな」


 俺の方を振り返り、親父が一言。

 ようやく俺は認識した。あのエラ状の機構は、排気口などではない。スラスターだ。あのスーツには、ジェット戦闘機と同じ原理の駆動システムが搭載されている。もちろん、極々小型軽量化されたものだろうが。

 あの速度で、あれだけ硬質なスーツとまともにぶつかったら、骨折くらいは覚悟しなければなるまい。


「今度はこちらから行くぞ!」


 相手は上半身を捻り、ぐぐっと腕を引いた。次の瞬間には、俺の眼前に鉄拳が迫っていた。

 足先を曲げて上半身を反らし、その拳を回避する。目の前に突き出された腕の肘の部分を、俺は勢いよく掴んで、乱暴に背負い投げを見舞った。かなりの重量があったが、RC発動中ならなんとかなる。


 相手は勢いよく地面に叩きつけられ、アスファルトにひびが入った。続いて、ゴッという鈍い打撃音が響く。俺は続けざまに蹴飛ばしてやろうと距離を詰めたが、相手は勢いよく白煙を排し、転がってから両腕で跳躍。元の位置に戻り立ち上がった。


「ふむ。悪くない動きだ、潤一。こちらも少し、本気を出さねばならんようだな」


 本気だと? あれ以上の速度で機動できるとでもいうのか? それとも、まだ隠しているギミックがあるのか? いずれにせよ、相手のペースに乗せられるわけにはいかない。

 俺はややジグザグに身体を振りながら、再度接近を試みた。投げ技を連続して、スラスターを破壊する。そのぐらいしか、戦い方は思いつかない。


 わざと眼前に接近し、相手から繰り出された手足の関節部を掴んで投げる。

それを繰り返そうとした、俺の判断が甘かった。


 再度鼻先を掠めていった、相手の鉄拳。その肘を掴もうとした、次の瞬間、


「うっ!?」


 強烈な光が、俺の視界を奪った。同時に、掌に痺れるような痛みが走る。電撃が走ったのだ。

 RC発動中だったので、視界の明度自体はすぐ元に戻った。しかし、そこに生まれた隙は致命的だった。

 素早く俺の手を振りほどいた親父は、その場で勢いよく一回転し、回し蹴りを俺に喰らわせた。これを、膝を持ち上げることで受ける俺。


「がッ!」


 脛に激痛が走った。回し蹴りを、まともに喰らったのだ。この速度にしてこの硬度。予想以上のダメージだ。


 体勢を崩した俺に対して、親父は容赦しなかった。俺は胴体と頭部、すなわち臓器と脳を守る一方で、とても攻撃できる状態ではない。

 身体を縮める俺。その上腕が、親父の両腕で掴み込まれる。そして、親父は思いっきり腕を振るって、俺を放り投げた。


「ぶはっ!?」


 衝撃を殺しきれず、俺の身体はコンテナにめり込んだ。そのまま前のめりに倒れ込み、俺は無様に嘔吐する。最早、RCが発動中なのか否かも分からない。


「に……げろ……」


 俺はなんとかヘッドセットのマイクに吹き込む。

 俺が仕留められれば、他の皆も殺される。親父の圧倒的戦闘力を前に、皆は為す術もあるまい。


「ぐっ……」


 俺がここで親父の注意を惹き、なんとか皆が生還できるだけの時間は稼がなければ。


「総員、撤退だ、俺を捨てて逃げろ……!」


 皆の応答は聞こえなかった。放り投げられた衝撃で、一時的に耳がやられたのかもしれない。ヘッドセットの問題かもしれない。いずれにせよ、俺は自分より皆のことが心配だった。


 それから先も、この埠頭は親父の独壇場だった。俺は無様に殴り飛ばされ、蹴り上げられ、踏みにじられた。


「どうした? まだRCのリミットは来ていないぞ? それとも、お前の本気はそんなものか、潤一?」


 俺は唾を飲むこともできず、プッと吐き捨てた。赤いものが混じっている。

 RC起動状態であっても、これほどボロボロにされたのでは、俺に勝機はない。せめてできることがあるとすれば、なんとか生き延びて、皆のアジトへの撤退を完了させることくらいだ。

 そう心に誓った瞬間、親父の一言が、俺の冷静さを粉微塵にした。


「これでは、死んだ母さんも報われんな」

「……!」


 まるで肩の凝りを治すかのように、首を左右に傾ける親父。

 そうだ。こいつはマドゥーと組んで、母さんを殺したのだ。俺の胸中は、真っ赤な怒りの炎に呑まれた。


「うおああああああああ!!」


 足裏で地面を勢いよく踏みしめ、俺は親父に向かって接近した。傍からはどう見えただろう? 俺は必死の形相だったろうか? 勢いはあっただろうか? それとも、フラフラで無様な突進だっただろうか?


 揺れる視界の向こうに、親父の姿が近づいてくる。俺は、残されたありったけの力を右腕に込め、振りかぶる。しかし、鼻先に迫ってくるのは、いつの間にかアスファルトになっていた。親父には指一本触れていないはずなのに。そうか、勝手に転倒したのだ。

 俺はなんとか腕を突き出し、地面から顔を守った。しかし、それから立ち上がることはままならない。


「時間切れだ、潤一」


 そうか。RCがタイムリミットを迎えたのか。


「きっかり十分だったな。これからはもっと、時間を引き延ばす必要がある」


 ぼんやりとした視界の向こうで、親父が語りかけてくる。先ほどは一時的に聴覚を失っていたが、今は、というより親父の声は、しっかりと鼓膜に捉えられていた。


「さあ、一緒に来るんだ。お前の身の安全は、私が保証する」

「……ッ」


 母さんのことはあんなにバッサリと斬り捨てたのに……!

 俺は自分の爪が地面に食い込むほど、強く拳を握りしめた。しかし、これ以上身体を動かすことは不可能だった。


「さあ、立ち上がって――」


 と親父が手を差し伸べてきた、まさにその時。


「佐山あああああああ!」


 絶叫が、この埠頭全体を震わせた。同時に響く、聞き慣れた金属音。

 葉月か? この声は葉月のものなのか? それにこの銃声、恐らく自動小銃のものだ。

 そんな火器が通用するほど、親父のスーツは柔ではない。加えて、こんな場所でフルオートの銃撃など行えば、跳弾によって自分が負傷することだってあり得る。その両方を、葉月は理解しているはずだ。


 止めろ。落ち着くんだ、葉月。

 しかし、その言葉を発する余力は、俺にはなかった。


 親父は小さく舌打ちし、片膝を立ててしゃがみ込んだ。ガコン、と鈍い音を立てて、スーツの脚部が展開する。そこには一丁の拳銃が収められていた。


「馬鹿な娘だな」


 その銃声は、あまりにも呆気なかった。直後、自動小銃による銃撃はぴたりと止み、あたりは波音と工場の機械音に満たされた。


 葉月が、撃たれた? 俺を庇って? そこまで頭が回る頃には、親父は立ち上がっていた。メット越しに、側頭部に手を当てる。


「どうした?」

《海上保安庁の巡視船がこちらに向かっています。佐山博士、早急に撤退を!》

「了解した」


 親父はため息をつき、それに同調するかのように頭部から白煙が上がる。


「お前を回収するのは、また今度にしよう。いずれ連絡する」


 そう言って、親父は背を向けた。俺の意識は、スラスターからの排気が熱いものであることを感じてから、すぐにブラックアウトした。


         ※


「どうなんだ、ドク? 葉月の容態は」

「うむ。出血が止まらない。もう少し弾が逸れていれば、まだ救いようはあったんだが」


 憲明の声に、ドクが答える。俺はやっとと言うべきか、自分の意識が明瞭になってくるのを感じた。


「こ、ここは……」

「おう、潤一。気づいたか」

「俺は、一体……?」

「ここに運び込むには随分と難儀したんだ。肩を貸してやった和也に、礼を言っておけ」


 ゆっくりと頭を巡らせて、周囲を見渡す。が、こんな場所は記憶にない。それでも、ドクがいるという事実から、ここが寺であることは理解した。


 全身が気怠く、鈍痛に見舞われている。腕を見ると、僅かに痣があった。飽くまでも『僅かに』。親父はどうやら、俺を捕縛する目的でいたらしく、骨折や筋肉の断絶といった重傷を負わせることは避けたらしい。


 腕を上げ、目を拭う。

 左右に目を遣ると、細長い廊下だった。寺の中にこんな場所があったのか。ただ、床は畳ではなくリノリウムで、寺院というより病院を連想させた。


 俺が背中を預けていたのは廊下の長いソファで、右側には和也が、左側にはエレナが座っている。憲明はといえば、珍しく落ち着きのない様子でソファ前を行ったり来たりしていた。

 ドクは、まさに外科医のような手袋と帽子を被り、手術着を身に着けていた。胸から腰のあたりまで、真っ赤に染まっている。


 誰の血なのか、問うまでもあるまい。


「は、づき……葉月!」


 勢いよく立ち上がった俺。すると横合いから腕が伸びてきた。


「放せよ、憲明!」

「駄目だ。お前も和也みてえになりてえのか?」


 右後方に振り返る。和也は俯いていたが、その頬が腫れているのはすぐに見て取れた。憲明にぶん殴られたのだろう。


「今は葉月の周りで騒ぐな」


 憲明の態度は落ち着いたものだったが、その目は真っ暗だった。瞳の表面にシャッターが下ろされたかのように。

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