第24話


         ※


 同日午後九時。

 戦闘準備を整えた俺たちは、ゆっくりと件の『取引』の現場に向かっていた。歩いて行ける距離だったのだが、緊急離脱用にミニバンを近くに停めている。


 何があるか分からない以上、俺たちの装備も重苦しいものとなった。俺はいつもの拳銃二丁だが、葉月は自動小銃、憲明はガトリング砲、和也は対戦車ライフルを携行した。

 葉月がヘッドセットのマイクに吹き込む。


「和也、埠頭に何か異変は?」

《特にないね。人影もまばらで、取引されているような気配もない》

「了解」


 既に日は完全に没している。和也からの監視が頼りだ。彼は、ライフルに取り付けた赤外線映像で見張りの役も兼ねている。

 俺、葉月、憲明の三人は、俺がコンテナの間を前進し、残る二人は陰から援護体勢を取っている。

『自分の親が絡んでいるのだから、俺がケリをつける』と言って、先頭に立たせてもらったのだ。


 しばらく進んだ時だった。


《ジュン、止まってくれ!》


 和也の緊張感あふれる声が響いてきた。だが、それには及ばない。俺も目視した。人影がある。臨海工業地帯のランプを受けて、その人影は妖しく輝いていた。

 

 身長は二メートル弱。頭の天辺から足元まで、何らかの硬質なボディスーツで包まれているようだ。銀色一色と思しきスーツ。全身の各所には魚のエラのような排気口があり、やや高温を帯びているようだ。今この時も、絶え間なく細い白煙を上げている。

 頭部も完全に覆われていたが、横に一筋、橙色の光が走っている。あれが視覚バイザーの役割を果たしているのだろうか。


 護衛は親父が自ら買って出ると言っていた。それも、一人で。実戦データを取る、ということも語っていた。もしかしたら、それが主目的であって、麻薬の取引など行われないのかもしれない。


 沈黙する、親父と思しきスーツの人影。俺は十二、三メートルの距離まで真正面から接近し、拳銃を抜いた。そのまま右手をつき出す。


「手を挙げろ。武器を持っていないことを示せ。それからそのメットを取って、顔を見せろ」


 俺は飽くまで淡々と、そう語った。大丈夫だ。今の俺は落ち着いている。

 すると、その人影は手を挙げるでもメットを外すでもなく、語りだした。


「久しぶりだな、潤一」


 俺の冷静さが、微かに揺らいだ。これは、親父の声だ。間違いない。スーツの向こうから声を発しているはずなのに、不思議とその声は明瞭に聞こえた。

 俺は親父の足元を掠めるように、一発発砲。


「おっと、よくないな。無暗にそんなもので脅しをかけるとは。私はお前の父親だぞ?」

「だったら早く指示に従え! 両手を挙げて、顔を見せろ!」


 すると親父は僅かに首を左右に振ってから、『いいだろう』と一言。

 ゆっくりと挙げられる、スーツ姿の両腕。微かに肘のあたりから白煙が上がる。自動操作なのか、メットもバイザー部分から上下に分かれるようにして展開された。

 白煙が晴れた時、現れたのは――。


 浅黒い顔。好奇心旺盛な瞳。やや縮れて、僅かに白いものが混じった髪。どうあがいても見間違えようがない。俺の親父だ。

 俺は銃口を親父の腹部に向け直し、両手で握り込んだ。


「おいおい、指示には従ったぞ? 銃を下げてくれよ、潤一」

「気安く呼ぶなッ!」


 今度はあからさまに、親父は肩を竦めてみせた。俺は自分に『冷静に』と言い聞かせながら、言葉を続ける。


「あんたはダリ・マドゥーと繋がっていた。メイプルデパートでの爆弾テロにも一枚噛んでいたんじゃないのか? 母さんを殺して!」

「仕方あるまい。お前を戦いの場にいざなうには、どうしても犠牲者が必要だったんだ。お前は家族を失っても、泣き寝入りするようなタマじゃない。きっと、何らかの手段で復讐を試みる。警察官になるか刑事になるか、はたまた自衛官になるか、想像はつかなかったがね」


 親父は一旦俺と目を合わせ、腰に手を当てた。


「しかし、何より想像できなかったのは、お前がこんなにも早く復讐の機会を手にしたことだ。そして何の因果か、ここには美奈川葉月さんというガールフレンドもいる。聞こえるかい? 息子が世話になっているね」

「なっ……!」


 どうして親父が葉月のことを知っているんだ? 

 その疑問と危惧が俺の顔に出たのだろう、親父は『心配するな』と一言。


「お前たちがどこにアジトを持ち、誰の支援を受けているのかは分からん。分かったとしても、潰しにかかろうとは思わない。だが、美奈川さんにはちょっとばかり、知らせておきたいことがある。彼女の父上の件だ」


 葉月の父親? 刑事として殉職したという、父親のことか?


「葉月さん。君の父上は勇敢だったし、体格にも恵まれていた。だから申し分なかったのだよ、その身体を人体実験に使わせてもらうにはね」


 俺は言葉を失った。鳩が豆鉄砲を食ったような、という比喩は、まさにこういう時に使うのだろう。俺だけではない。葉月はもちろん、憲明も和也も同じ驚愕の念を抱いているはずだ。


「貴様、それでも人間か!」


 俺が怒号を上げた瞬間、親父の頭部がガクン、と後方に逸れた。和也が撃ったのだ。


「おい和也! 勝手に発砲など……」

「いやいや、構わんよ、葉月さん」


 親父の声は、相変わらず落ち着き払っていた。


「君の方こそ大丈夫か? 父上は私が殺したようなものだが」


 沈黙する葉月をよそに、親父はゆっくりと首を元の位置に起こした。その時には、既にメットは閉じられている。そして、傷一つついていない。


「随分と気の早い撃ちたがりがいるようだな。それとも、若さゆえに我慢ができなかった、か?」


 こちらを嘲るでも、罵るでもない。実に楽し気に、親父はころころと言葉を弄ぶ。俺たちの心をも。


《全員伏せろ》


 短い警告。憲明だ。俺が横っ跳びし、コンテナの陰に隠れた次の瞬間、凄まじい弾雨が斜め上方から降りかかった。一発とも逸れずに、親父の元へと殺到する。この空間そのものをズタズタに引き裂くように。

 金属同士がぶつかり合う、鋭利な音が鼓膜をビリビリと震わせる。アスファルトがめくり上がり、粉塵として舞い上がる。そして、カラカラッ、という軽い音と共に、弾雨は潜まった。


 俺は再び拳銃を構え、コンテナから飛び出した。しかし、まだ晴れない視界の向こうからは、相変わらず親父の声が聞こえてきた。


「いやいや、皆血気盛んだね。大いに結構」


 煙が晴れたその先。両の掌を上に向けた銀色の姿が、そこにはあった。やはり、傷一つついていない。


「さて、次は葉月さん? それとも潤一、お前の番か?」


 俺は一歩前に出て、自分が相手をすることを示した。ガトリング砲が通用しない以上、銃火器が役に立つとは思えない。葉月には引き続き待機してもらうしかないのだ。

 

 ホルスターに拳銃を収め、右のこめかみを指圧する。と、まさにその直前だった。


「おっと、お前とはあまり戦いたくないんだ。挑発しておいてすまないがね」

「どういう意味だ?」


 右手を下ろす俺。当然、親父の表情を窺うことはできない。しかし、彼が思案気に俯くのを、俺ははっきりと見て取った。

 それから、親父ははっきりとこういった。


「潤一、私と外国へ行こう」

「何を言ってる?」


 すぐさま切り返す。意味が分からない以上、即座に説明を求めるべきだ。


「私が所属しているのは、欧州のある軍事研究施設だ。そこでは今、二種類の人体改造計画が、その優劣を争っている」


 唾を飲んで、親父の次の言葉を待つ。


「一つは、今の私が装着している『スーツ』の開発部門。もう一つは、身体そのものを強化する部門。お前たちが言うところの、『RC』の開発を担っている。私はその両方の性能を引き出し、優劣をつけるよう依頼された」


 俺はいつの間にか、わきに嫌な汗をかいていた。

 親父は確かに、『RC』と言った。どこで聞かれたのかは分からない。しかし、俺の特殊戦闘能力を指していることは間違いない。

 俺もまた、実験台だったということか?


「葉月さんの父上を実験台にした時は、薬物の過剰投与になってしまった。二年ほど前のことだ。だから、お前には少しずつ摂取してもらうことにしたんだよ、潤一。RCの発現を促す薬剤を」


 なるほど。よく分かった。


「つまりあんたにとっては、俺も母さんも使い捨ての実験台だったんだな?」

「まあそう殺気立つな、潤一。少なくともお前は使い捨てなどではないぞ? 成功例だからな」

「ああ、そうかい!」


 この力が誰に与えられたものなのか、そんなことは最早どうでもいい。

 目の前の男こそ、全ての元凶だ。そしてその男は、俺の親父だ。

 俺が食い止める。俺が倒す。俺が乗り越える。

 次の瞬間には、俺は右のこめかみを指圧して、一直線に駆け出していた。

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