第23話【第四章】

【第四章】


 その晩、俺は眠れぬ夜を過ごした。会議が終わり、インスタントラーメンを自分で作って食べた後のこと。

 この状況でインスタント食品など口にしても、全く味は感じられなかった。RC発動に支障が出るかもしれないと思い、栄養を摂っておこうと思ったまでのことだ。 それから歯を磨き、シャワーを浴びて、ベッドに潜り込んだ。そして現在に至る。


「ん……」


 俺はベッドの中で身体を傾けたり、うつ伏せになったりしながら睡魔の到来を待っていた。が、一向にそのささやきが始まる気配はない。一度顔を掌で拭い、スマホを展開する。午前一時を回ったところだ。先ほど起きたばかりの俺が眠れないのは当然か。


 そんな中、気になったのは葉月のことだ。先ほどの真剣な表情の意味するところは何だろう。いや、真剣なだけではない。大きなプレッシャーに首を絞められているような気配があった。


「何を考えてるんだ、葉月?」


 それが魚の小骨のように、俺の胸につっかえている。そうやって気になる、ということが、もしかしたら俺の、葉月に対する好意の表れなのかもしれない。

 いやいや。せっかく色恋沙汰が収まりを見せ始めたのだ。俺がぶり返させてどうする。


 顔でも洗おう。そうだ。それがいい。

 俺は胸中でそう呟き、部屋を出た。一旦食堂兼会議室に出て、バスルームに向かう廊下へ出るところを想像する。その時だった。


「ん?」


 食堂の電気が点いている。おかしい。俺はきちんと消灯してから、食堂を後にしたはずだが。その扉へ近づいた時、微かな声が聞こえてきた。しかし、ドア越しにくぐもってよく聞こえない。それに、こんな優しい口調で話をする人物に心当たりはない。誰がいるんだ?


 俺は唾を飲み、ノックしてからそっとドアを押し開けた。


「ッ!」


 ドアの向こうの人物は、大きく目を見開いた。俺もまた、そこにいる人物の姿を認める。そして、自分がとんだ闖入者になってしまっていることを察した。


「な、なな、何やってるんだ、葉月? ああ、いや、別に俺は覗こうと思ったわけじゃなくってな、顔を洗いに行こうとしてたんだ。悪い、邪魔をするつもりは――」


 大慌てで首と手を振る俺に向かい、葉月は『ああ』と一言。いや、それはため息だったのかもしれない。


「そう慌てなくてもいいよ、佐山。私はアルバムを見ていただけだ」

「アルバム?」


 無言で頷く葉月。しかし、そのまま顔を上げることはなく、再びテーブル上に視線を落とした。そのまま片手で自分の隣の椅子を引き、ぽんぽんと叩いた。俺に座れと言いたいらしい。ふっと息をつき、葉月の隣に回り込む。

 

 しかし、アルバムを見る場所に、どうしてわざわざ食堂を選んだのだろう?

 もしかしたら、一人で自室で見る、というのは耐えがたかったのかもしれない。何が写っているのかは分からないが。

 俺は身を乗り出して、葉月と一緒にアルバムを覗き込んだ。


「金子聡美。私の親友だ。もし生きていてくれたら、の話だが」

「金子、聡美?」


 そこには、俺が見たことのない少女が写っていた。肩口までの、色素の薄い髪をしている。作戦成功時のものだからだろうか、笑顔が眩しい。


「どうだ、佐山。タイプか?」

「は、はあっ? そんな、写真一枚じゃ分からねえよ!」


 俺の慌て方が面白かったのか、葉月はふふっ、と微かに笑みを浮かべた。それから、すぐに口元を引き締める。


「私がドクの元で戦い始めてから、唯一の戦死者だ」

「せんし……何だって?」


 俺はぎょっとして、葉月の横顔を覗き込んだ。

 

「佐山や和也がこのグループに入る前の話だ。私と憲明、それに聡美の三人で、暴力団のアジトを潰しに行った。その時、聡美は撃たれて死んだんだ」

「そ、そりゃあ……」


 俺は、バラバラになりかける意識のパーツをかき集め、葉月の言葉を咀嚼する。

 死者が出ていたのか。俺たちの味方から。その事実に、俺は胸を思いっきり突き飛ばされたような感覚に陥った。


「痛かったよね、聡美。苦しかったよね……」


 葉月は眉間に手を遣り、肘をテーブルについた。


「私の周りで命を落としたのは、聡美だけじゃない。お父さんもお母さんも、きっと辛かったんだと思う。特にお父さんは。何せ、生体実験に使われたんだからね」


 俺は正直、驚いていた。リーダーを務めるにしては、やや感情的だった葉月。しかし、それでも冷静であるべきだと、ずっと努力をしていたはずだ。

 そんな彼女が、今や肩を震わせ、声も切れ切れに、必死に悲しみと対峙している。そして、敗北を喫しようとしている。俺にできるのは、ただ彼女のそばにいることだけだ。


「じゅん、いち」

「何だ?」


 俺はすぐに応じた。そして気づいた。葉月はずっと、俺のことを名字で呼んでいた。それが今、ファーストネームで俺を呼んでいる。俺の存在を求めている、とでもいうのだろうか。


「私が好きな人は、皆私の前から去ってしまう。お父さんもお母さんも、聡美も」

「そんな、ここにいる奴らなら大丈夫――」

「嘘だよ、そんなの!」


 葉月は顔を上げ、しかし、こちらを見ることなく、俺の肩を引っ掴んできた。


「あなただって……!」


 時間が、止まった。

 俺が死ぬ、だって? あまりにも現実離れした考えに、俺は愕然とした。しかし、俺たちが作戦中、常に死の危険に囚われているのは紛れもない事実だ。

 俺は指一本、動かすことができない。顔を逸らす葉月の頬に、視線を貼りつけるのが精いっぱいだ。


 言葉一つ発することができない俺の前で、葉月は言葉を紡ぐ。


「私、潤一のことが好きだった。お父さんに似ていたから。信念を持って戦えて、しかも仲間には優しい人間だったから。でも言えなかった。私が潤一にこの気持ちを伝えたら、自分の好意を認めることになる。そうしたら、あなたも死んじゃう。お父さんみたいに」


 俺には、葉月にかけるべき言葉が見つけることができなかった。これは彼女の人生だ。知り合って一ヶ月そこそこの俺に、口出しできる問題ではない。

 だが、これだけは言える。

 全身全霊を以て否定したかったのだ。葉月にとって大切な人が死んでいくというジンクスを。


 終わらせてやる。葉月に課せられた不幸は、聡美が最後だったのだということを証明してやる。そして俺が生き残って、親父を締め上げてやる。


「ねえ、潤一。何か言ってよ」


 葉月が振り返り、俺に向かってそう言った。自分が何を、どんな口調で語ったのかは判然としない。葉月がどんな顔をしていたのかも。

 気づいた時には、葉月は前に向き直り、俺の肩に頭を預けていた。


「葉月?」


 葉月は目を閉じ、後ろから俺のシャツの袖を引いた。彼女の心情を推し測ることはできない。しかし、望むことは不思議と伝わってきた。

 俺はそっと、葉月の肩に腕を回し、身体を密着させた。途端に時間が動き出し、自分の心臓の鼓動を感じた。まさに肋骨を破って飛び出さんばかりの勢いだった。まさか、自分にこんなことができるとは。

 更に驚いたのは、葉月の身体が予想以上に華奢だったということだ。こんな身体で、拳銃を手にしていたのか。なんて無茶なことを。今まで肩が外れなかったのが意外なくらいだ。


「葉月、どうして今回は、その……俺に弱音を?」

「疲れたから、かな」


 ぼそりと呟く葉月。

 何故疲れたのか、などと尋ねることはしなかった。きっと、葉月はあまりにも多くを奪われすぎたのだ。

 是が非でも、俺は生還しなければ。俺は葉月の肩に回した腕に、ぎゅっと力を込めた。

 それからしばらく、俺は自分の肩を、葉月に枕代わりに使わせてやることにした。


 静かな寝息を立て始める葉月。そんな彼女の髪に指を通し、あどけない寝顔をじっと見つめる。

 いつしか俺の心臓は、平常運業に戻っていた。しかし、いや、だからこそ、できたのだろう。


 葉月の頬に、唇を寄せてやるということが。


「ごめんな、葉月。えっと、その……。まだ、唇と唇で、っていうのは心の準備ができなくて……。でも、ありがとう。俺、お前のために戦うよ」


 葉月を起こさないように、声を低めて囁く。

 だが、時間が経つにつれ、懸念が持ち上がってきた。この状況は、憲明や和也に見せられたものではない。


「じゃあな、葉月」


 俺は葉月の身体をきちんと座らせ、アルバムを閉じて彼女の正面に置いた。

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