第18話


         ※


 俺は和也の部屋の前に立った。扉の向こうは沈黙していて、和也が何をしているのかは分からない。

 三回、やや強めにドアを叩く。


「おい、和也」


 声をかけるが、やはりしんとしている。人がいる気配はあるのだが。


「和也、入るぞ」


 俺がドアを押し開くと、やはりそこには和也がいた。いつもの長袖姿でヘッドフォンを着け、コントローラーを手にテレビに向かっている。俺はやれやれと首を振った。それでも気づく素振りを見せない和也に、俺はずんずんと近づいて、テレビゲームのスイッチを切った。


「ああーーーっ!」


 和也が、絶叫にも近い声を上げる。それから、カクカクと音を立てるようにこちらに振り向き、視界(と言っても左目の視野だけだが)の中央に俺を捉えた。一瞬にして、耳たぶまでを真っ赤に染める。

 勢いよくコントローラーを床に叩きつけ、立ち上がる和也。そのまま、頭半分ほどの身長差を気にかけることもなく、俺に向かってずいずいと歩を進めてきた。


「ジュン、君は……!」

「悪いな、話があってね。ほら」

「おっと!」


 俺は缶ジュースを放り投げ、慌てて受け止る和也の姿を確認する。取り敢えず、胸倉を掴まれるような事態は避けられた。

 そもそも、ここで大したゲームなどできはしないのだ。電波通信は厳しく統制されている。ネット回線で外部の他者と連携した大規模なアクションRPGなど、望むべくもない。

 和也がどんなゲームをしているのか、興味はなかったが。


「で、な、何だよ、ジュン?」


 落ち着きなく缶ジュースを握り込む和也を見つめながら、俺は


「分かってるんだろう?」


 と一言。


「だ、だから何がだよ?」

「葉月のことだ」


 どうやら、ため息というものは伝染するらしい。今度は俺が、盛大なため息をつく番だった。

 両腕を腰に当てる俺を見て、和也はようやく動きを止めた。ぴくり、と固まってしまったのだ。しかし、だんだんその顔もしかめっ面に代わっていく。眉間に皺が寄り、口元がへの字になる。


「は、葉月がどうしたっていうんだよ?」

「まあ、座れ」


 部屋の主でもないのに、着席を促す俺。しかし、そんなことはどうでもよかった。

 和也の胸中はそれどころではなかったらしいく、そのまま後ずさり、ぽすん、とベッドの上に腰かけた。俺は対面するように、背中を壁に押しつけて、胸の前で腕を組む。


「僕と葉月に何の関係があるっていうんだよ?」


『関係』という言葉を使った時点で、実際に関係があることを示しているように思えてならないが。いや、ここはツッコミを避けて、じっくり話を聞き出してやろう。


「好きなんだろ、葉月のこと」

「ッ!」


 やっと赤みの引いた和也の顔が、再び赤みを増す。すると、和也は慌てて振り返り、ベッド上のティッシュに手を伸ばした。どうやら鼻血を出したらしい。おいおい、そんなに恥ずかしかったのかよ。


「葉月だって気づいてるんだ。ちゃんと気持ちを伝えてみろよ」


 和也は無言。本当は俯きたいのだろうが、鼻にティッシュを詰めているので上手くいかないようだ。


「お前は狙撃の腕があるんだ。皆も認めてる。ちゃんと葉月を守って――」

「だったらジュンの方が!」


 そう声を張り上げた途端、すぽん、とティッシュが鼻から抜けた。だが、俺の関心を引いたのは、その間抜けさではない。左目の奥に燃える、対抗心の熱さだった。


「ジュンの方が、よっぽど葉月のそばで戦えるじゃないか!」

「そ、それは、俺にRCがあるからで――」

「言い訳するなよ! 僕は所詮、後方支援なんだ! いざって時に葉月の命を救えるのは、君の方なんだよ、ジュン!」


 こうまで言われてしまっては、反論の余地がない。

 俺は視線を下に向け、和也の部屋を見渡した。ゲームソフトや菓子の袋が散らばり、随分乱雑に見える。


 これはおかしい。和也はもっと、几帳面な奴だったはずだ。そうでなければ、狙撃手などとても務まるまい。もしかして、先ほどの作戦会議で戦力外通告をされて、自棄を起こしたのだろうか。


 こんな状態で次の作戦に臨ませるわけにはいかない。俺は菓子の空き袋を蹴飛ばしながら和也に迫り、彼の肩を掴んだ。


「和也、聞いてくれ。俺はお前や葉月の幸せを願ってる。でも、それは俺や憲明やエレナの力でどうにかできる問題じゃないんだ。分かるだろう?」

「……」

「お前が俺たちを助けてくれてることは、葉月だってちゃんと分かってる。だから、待ってるんだよ。お前が声をかけてくれるのを。和也、お前の方から言葉を投げてやれば、葉月だってちゃんと――」

「じゃあ君はどうなんだよ!?」


 がばっと顔を上げる和也。その勢いに、今度は俺が言葉に詰まる番だった。


「土田を捕まえる作戦で、ジュンを助けたのは葉月じゃないか! ジュンの方こそ、葉月の気持ちに答えてあげるべきだよ!」


 ぐっと唾を飲み込む。だが、ここで巻き返されては、チームワークの修復など望めない。


「そ、それはたまたま、葉月が俺を援護するのに適切な場所にいたからであって、彼女は特別俺に入れ込んでるわけじゃ……」

「ふぅん、そうかよ」


 和也は立ち上がり、視線を逸らした俺の胸に指を突き当てた。


「じゃあ、エレナがここに来て朝食を作ってくれた時、どうして葉月は不機嫌だったんだ? どうして口数が少なかったんだ? 考えてもみなよ。きっと君のことを、エレナに横取りされると思ったからだ!」

「は、はあっ!?」 


 俺は、不意に思いっきりタックルを喰らい、押し倒されるかのような衝撃を感じた。もちろん心理的にということだが。

 葉月とエレナの関係なんて、考えてもみなかった。その時は、偶然何か気に障ることがあって、葉月がぶすっとしているだけだと思っていた。やはり、鈍感と評されても仕方ないんだな、俺は。


 それに、これまた偶然とはいえ、今朝ドクに呼ばれて寺に行った時、エレナはひどく心配そうだった。俺に抱き着いて泣きじゃくるくらいに。

 もし抱き着く相手が葉月や憲明、和也だったとしたら? と考えてみるものの、上手く想像することができない。エレナの胸中には、俺に対して仲間意識以上の何か――もしかしたら、恋愛感情に近いものが生じていたのかもしれない。


 いいや、今、エレナは関係ない。そう断じてしまうのは、彼女には申し訳ないが、事態の複雑化を防ぐには必要な措置だ。


 俺が黙考していると、今度は和也がため息をついた。


「分かるだろう、ジュン? 葉月の気持ちが。どうせ彼女は、僕には高嶺の花なんだ。ジュンみたいに敵前で戦えて、しかもRCなんて能力を持ってる人間の方がお似合いなんだ。安全な場所からちょいちょい援護するしかない僕なんかより、よっぽど魅力的に見えるんだろうさ、女性には!」


 その皮肉めいた台詞に、この室内にいる人間の立場が逆転した。俺の方が、怒りに呑まれたのだ。それも、一瞬で。


「和也、てめえ!」

「うっ!」


 俺にぐっと胸倉を掴まれ、苦し気な息を漏らす和也。だが、そんなことはどうでもいい。


「お前、葉月がそんな薄情者に見えたのか? ざけんな!」


 俺は思いっきり和也を突き飛ばした。

 和也は尻を床に強打したが、負傷はしなかったようだ。いや、RCを発動していない状況の俺と喧嘩して、怪我をされても困るのだが。


 と、そこまで状況を推察できたことを鑑みるに、俺は冷静に立ち戻っていたようだ。怒りは既に引いている。


「わ、悪い、和也。ただ、俺たちの総意として、やっぱり狙撃手は必要なんだ。俺たちは個人個人で、最善を尽くしていかなきゃいけない。それが和也、お前にとっての遠距離支援だった、っていう話だ」

「つ、つまり……」


 尻を擦りながら立ち上がる和也。


「前線に出ない僕みたいな人間でも、葉月は認めてくれる、ってこと?」

「ああそうだ。葉月はリーダーなんだからな」


 そう言うと、和也はふっと笑みをこぼした。


「どうした?」

「いや、ジュンには変な気苦労をかけちゃったかな、と思って。ごめん」

「お、俺は謝られるようなことはしてないぞ?」


 両の掌を和也に突き出し、かぶりを振る俺。しかし、和也は落ち着いたものだ。先ほどの俺との口論が嘘のように。


「まだ僕も、はっきりとした感覚はないけど……。でも、僕には僕にしかできないことがある。そう言ってくれたんでしょ、ジュン?」

「その通りだ」

「だったら、まあいいか」


 そう言って、床のどこか一点を見つめる和也。その足元に、液体が滴った。だが、それは透明だ。鼻血ではなく、涙、だろうか。


「僕は葉月の意志を尊重する。ジュンには、前線で彼女を守ってほしい。頼む」


 その声はやや震えていたが、言葉の端々からは、強い信念のようなものが滲み出ていた。

 しばしの間、俺は和也の頭頂部を見ながら黙り込んでいたが、やがて頭が冷えてきて、気づいた時には和也の肩に手を載せていた。


 ふっと顔を上げた和也に向かい、『了解だ』と一言。和也はまだ複雑な表情をしていたが、ぼそりと何事か呟いた。礼の言葉でも述べてくれたのだろうか。


 部屋の隅のスピーカーから葉月の声が響いてきたのは、まさに次の瞬間のことだった。


《作戦に変更あり。繰り返す。作戦に変更あり。全員、五分後に食堂に集合》

「よし、行こうぜ」


 俺はぽん、と和也の肩を叩いてから、踵を返してドアを引き開けた。

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