第16話【第三章】

【第三章】


 アジトに戻った時、俺はエレナを連れていた。寺からの無線通信では明かせない、重要な情報を、エレナは入手していたのだ。時刻は午前八時半、葉月と和也が食堂兼会議室にいた。

 慌ててドアを押し開けて入ってきた俺を、二人は見返してくる。その目がぼんやりとしているのはきっと、眠気のせいではあるまい。俺たちのチームワークが崩れていることに、漠然とした不安を覚えているのだ。

 しかし俺は、二人の懸念を払拭するのを後回しにして、勢いよく声を張り上げた。


「ダリ・マドゥーの居場所が分かったぞ!」


 ポカンとする二人の横、暖簾で分けられたキッチンから、エプロン姿の憲明が顔を出した。


「な、何だと!?」


 ああ、そうか。今日の朝食当番は憲明だったか。エレナの次に料理が上手いんだよな。と、そんなことは今はどうでもいい。


 ようやく俺の言葉が脳みそに染み込んだのか、葉月はガタン、と両腕をついて立ち上がり、和也は『ま、マジで?』という声を絞りだした。


「皆、そのまま落ち着いてくれ。エレナ、取り敢えずお前も朝飯、食べていけ。腹が減っては戦はできない」


 俺は壁際に置かれた椅子を中央のテーブルに寄せ、エレナに着席を促した。


 さて、どうして俺が、わざわざエレナを同行させてきたか。理由は明確で、エレナ特注のノートパソコンを使う必要があったからだ。情報を開示するために。

 エレナが情報戦略官である以上、そのパソコンを使うにあたり、ガードは極めて固い。デスクトップを開くまでに、パスワードの入力が五回。それぞれ百桁近いパスワードを打ち込まなければならないし、うち二回は時間によって変わってしまう。

 エレナの記憶力のみならず、状況推察力も試される。そんなものを、赤の他人が解けるわけがない。


 エレナは、その体格にしては大き目のリュックサックからパソコンを取り出し、同時にポケットからUSBメモリを取り出そうとした。が、俺はそれを押し留めた。


「今それを取り出すのは止めておけ、エレナ。皆の食欲が失せる」


 エレナは首を傾げたが、俺は自分の口に人差し指を当てて、黙っているようにと指示をした。もっとも、彼女は口が利けないのだけれど。


         ※


 ご飯にアサリの味噌汁、鮭の塩焼きにホウレン草のおひたし。いかにも和風、といった朝食を美味しく平らげた俺たちは、エレナの挙動に注目していた。スクリーンを引っ張り下げて、プロジェクターを起動。今日はそれに自分のパソコンを接続する。

 続けて彼女が取り出したのは、件のUSBメモリだ。一見、よくエレナが使うメモリだが、問題は、その中にある情報をどうやって入手したか、だ。


「ねえエレナ、敵の居場所の情報なんて、どこで手に入れたのさ?」


 そう問いかける和也に向かって、エレナは顔をしかめた。不快な思いをしているわけではなく、単純に喋ることができないことに戸惑っているのだ。


「ああ、ごめん。ジュンは知ってるんだろう? どうやって情報を入手したのか」

「それはな、和也」


 怖いもの見たさを隠さない和也に向かって、俺は一言。


「土田の頭蓋骨から取り出したんだ」

「え?」


 間抜けな声を上げる和也。その横で、葉月が顔を歪めた。憲明は『そんなもんだろう』とでも言いたげな態度だ。


「土田の遺体を運んだだろ? 情報痕が残されていないか、ドクに確認してもらうために。それが見つかったんだよ」


 寺で、エレナが俺とドクとの会話を中断させた時、ドクは土田の遺体をスキャンにかけていた。通信の盗聴と、スキャンの経過を見聞きしていたエレナ。彼女が土田の頭蓋骨、右側頭部の内側に、小型のチップが埋め込まれているのを発見して、慌てて報告に来たのだ。


「そのデータを解析して、USBメモリに落としてきたんだ」


 俺の横で、こくこくと頷くエレナ。そのチップを取り出す過程がどのようなものだったかについては、皆に語るのは避けておく。気分が悪くなるだけだろう。


「ドクによれば、このチップは最先端サイボーグ技術によるものらしい。もちろん、認可されているものではないけどな。その中に、電子データとして記録されていたのが、土田の記憶の一部だ。そこに含まれていた情報が、これだ」


 エレナに代わって、俺が口頭で説明する。エレナがタイミングよく、画像を切り替える。

 そこに映されたのは地図だ。市街地の中心部を示している。


「ダリ・マドゥーは、随分と大胆な奴らしい。この雑居ビルの五階に、十名近くの部下を連れて根城にしている。ここに強襲をかけるのが、俺としては妥当だと思う」

「つまり奇襲だな? そう上手くいくのか?」


 疑問を呈する憲明に向かい、俺は『そこでお前の力が必要なんだ』と一言。


「憲明には、このビルの火災報知器を誤作動させてもらいたい。スプリンクラーと停電で、相手を混乱させるんだ。この手の機械仕掛けに詳しいのはお前だろう?」

「ふむ」


 憲明は顎に手を遣り、小さく唸った。


「と、いうことは」


 今度は葉月が声を上げた。リーダーとして、喋っておく必要があると思ったのだろう。厳格な上下関係があるわけではないが、今の葉月には、きちんとリーダーシップを取ってもらう必要がある。これ以上、チームワークを崩さないために。


 僅かな間を置いてから、葉月が言葉を続けた。


「私と潤一が、正面から突入する。和也には付近のビルの屋上から援護射撃を頼みたい。どうだ?」


 すると、エレナが眉を下げた。説明に困ったようだ。その意を汲んで、俺が補足する。


「それがな、葉月。今回は和也からの援護は望めそうにないんだ」

「何だって!?」


 素っ頓狂な声を上げたのは、葉月ではなく和也だった。


「僕に出番がないっていうのか? あんまりだ!」


 すると、憲明が和也の頭頂部に軽く手刀を喰らわせた。


「いたっ! 何するんだよ、憲明!」

「そんなに人殺しがしてえのか、てめえは」


 いつにも増して、低い声で語りかける憲明。自分の機嫌が悪くなっていることを示したいらしい。


「い、いや、別に僕は、人を殺したいだなんて……」


 言い淀む和也。確かに、彼は軽率かもしれないが、快楽殺人犯ではない。ここはやはり、葉月の力になりたいという意志、いや、意地が顔を出したのだろう。


 ふっと息をついて、葉月が俺に視線を戻した。


「で、和也からの援護射撃が望めないとは、どういう意味だ?」

「これだ。エレナ、次のスライドを」


 画面が切り替わり、部屋の見取り図が現れた。マドゥーたちの潜伏先であるフロアのものだ。


「なあんだ、ガラス張りじゃん! 狙撃はできるよ!」

「お前の腕前なら、確かに楽勝だろうな。だが、問題はこのガラスが防弾仕様になってる、ってことだ」

「え?」


 すっと、和也の顔から生気が薄らいでいく。


「お前の愛用のライフルでは、とてもじゃないがこのガラスは破れない。それに、お前には接近戦闘は向かない。今回は情報の中継任務に就いてもらいたいんだが」

「そ、そんなぁ!」


 文句を並べようとした和也の頭頂部に、本日二度目の手刀が振り下ろされた。


「ちょっ、手加減しろよ、憲明!」

「悪いな、手が滑っちまって」


 憲明は肩を竦めてみせるだけ。だが、和也を黙らせるには十分だった。『分を弁えろ』とでも伝えたかったのだろう。


 そんな茶番に終止符を打ったのは葉月だった。


「憲明、この清掃用のゴンドラで、外から上がって来られるか?」

「ああ、問題ない。手榴弾を零距離で喰らわせれば、流石にガラスも割れるだろう」


『では』と前置きして、葉月がまとめに入る。


「ダリ・マドゥーの本拠地に乗り込む。正面からは私と佐山、場の混乱を促して、横合いから憲明が突入。和也は監視任務にあたる。これでいいな、皆?」


 俺ははっきりと首肯した。憲明はさも当然といった態度で頷きもしない。和也は渋々、僅かに顎を引いた。頷いてみせたつもりなのだろう。


「エレナ、作戦決行時にマドゥー本人が留守だなんてことは避けたい。タイミングを計って、私たちに連絡してくれるか?」


 葉月の言葉に、エレナはこくりと頷いた。


「そうだな、合図は……『親鳥は巣に戻った』とでもしておこうか。きっと迅速な行動が望まれるだろうから、私たちは臨戦態勢で待機しておくよ」


 再度頷くエレナから目を逸らし、葉月は俺と視線を合わせた。


「佐山、ロクに寝ていないだろう? 今晩にも合図が来るかもしれない。休むんだ」

「あ、ああ。でもその前に」


 俺は欠伸を噛み殺した。


「その前に、エレナを寺まで送ってきてやりたい。別にいいよな?」


 すると、微かに葉月の目の端が痙攣した。


「分かった。好きにしてくれ」

「了解。行くぞ、エレナ」


 俺は葉月の心中を敢えて考えるようなことはせず、エレナに手招きして車へといざなった。

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