第14話


         ※


 俺たちは食堂兼会議室で、じっとりとした沈黙に包まれていた。『俺たち』といっても、メンバーが欠けている。憲明だ。一旦アジトまで戻って来た彼は、土田の遺体をドクの元へと届けに行った。

 遺体が口を利くわけはないのだが、何らかの痕跡(ドクは『情報痕』と呼んでいる)が残っているかもしれない。ダリ・マドゥーと関連があった人物なら、それこそマドゥーに繋がる『何か』があるかもしれない。


 俺、葉月、和也の三人は、三者三様で挙動不審だった。

 葉月は俯いたまま不動。和也は背もたれに寄りかかり、苛立たし気に後頭部で腕を組んでいる。俺は自分以外の二人の顔色を窺うように視線を遣り取り。既にRC使用後の反動は落ち着き、意識は明瞭になっている。


 しばらくして、アジトの玄関ドアが擦れる音がした。憲明が帰ってきたらしい。いつもなら気楽に出迎えの声を上げる和也も、ふんと鼻を鳴らすだけだった。コンクリートむき出しの廊下から、軍靴のようなブーツの響く音がする。

 そして、憲明が食堂へのドアを押し開けて入ってきた。口は真一文字に結ばれ、じろり、と音がしそうな勢いで眼球が動く。


 何も議論、というか反省会が進展していないことを察したのか、憲明は盛大なため息をついた。


「あの時ジュンは!」


 慌てて立ち上がったのは和也だ。


「ジュンは丸腰で、相手はナイフを持ってたんだ! 援護しなくちゃいけないと思うのは当然だろ!?」


 憲明は席に着かず、腕組みをして和也を睨みつける。その鋭い視線に気圧されたのか、和也はゆっくりと腰を下ろし、肩を落とした。

 それを見届けてから、憲明は、今度は葉月に目を遣った。しかし、葉月は何も言いだそうとはしない。和也とは正反対だ。


「な、なあ、憲明……」


 俺は葉月を弁護すべく、彼女の代わりに口を開いた。


「実際、俺は危なかったんだ。RCもタイムリミットが迫っていたし、土田は手練れのナイフ使いだったし」

「確かにお前の身の安全は大切だ、潤一。だが、今回の作戦目的は土田の身柄確保だ。殺しちまっては、誰がどうあがいても失敗だ」


 反論できない俺は、葉月同様に目線を下げた。葉月が膝の上に載せた拳が、わなわなと震えている。

 俺は音のないため息をついて、ゆっくりと思考を開始した。そしてすぐに、ある違和感にぶつかった。


 和也が何故、俺に構わず発砲したか、ということだ。

 和也の腕が確かなのは、自他共に認めるところだ。そんな彼が、俺を巻き込みかねない攻撃を行うはずがない。何か他に、要因がなければ。


 和也の狙撃の腕前と同様、俺のRCもそれなりの信用を得ている。

 俺は眉間に手を遣り、考えた。先ほどの現場のことを。何か危険な要因があったか? 和也に無理やり引き金を引かせるだけの、何かが?


「佐山、大丈夫か?」


 声をかけてきたのは葉月だ。俺は微かに口元を緩め、肯定の意を示す。そして、気づいた。

 あの現場で丸腰だったのは俺だけではない。葉月もだ。それに、葉月はRC能力の行使などできはしない。


「和也」

「な、何だよ、ジュン?」


 唐突に声を上げた俺に、訝し気な視線を寄越す和也。だが、俺は構わず尋ねた。


「お前、葉月を守るために撃ったのか?」

「な……」


 和也は、一瞬で全身を硬直させた。『そんなわけないだろう?』という反論を期待していた俺には、予想外のリアクションだ。同時に、ぐつぐつと鍋が煮立つように、和也の顔が赤く染まっていく。


 葉月はぴくり、と肩を震わせ、憲明は再び、しかし腹の底から響くようなため息をついた。


「参ったな」


 片手で目元を覆う憲明。それこそ、どうしようもない現実から目を背けるように。彼にしては、全く不似合いな所作だった。


「便宜上、俺が話を進めさせてもらうが、お前ら三人の間には複雑な関係がある。そうだな?」


 再び沈黙する俺たち。しかし今度の沈黙は、先ほどとは違う。部屋の空気が、急に重苦しくなったような感覚を伴っている。


「ドクに報告する。俺からな。チームワークの取れない俺たちに、『テロリストを狩るテロリスト』を名乗る資格はない」


 最も叱責を被らなかった俺は、ゆっくりと顔を上げて向かいの時計を見た。午前三時。RCの疲れを全快させるには、睡眠がどうしても必要だ。


 ゆっくりと椅子をずらすと、憲明は立ったまま俺に顔を向け、すっと頷いてみせた。

 俺は休息を告げる言葉も思いつかず、無言で会議室を後にした。


         ※


 翌朝、俺は妙な形で目を覚ました。

 てっきり昼過ぎまで爆睡するかと思っていたのだが、それが中断されたのだ。


「ん……」


 目を擦りながら、自分の枕元に置かれたスマホを確認する。


「ドクからショートメッセージ?」


 時刻は午前六時、既に朝日が窓から差し込んでいる。

 俺はスマホを専用の器具にセットし、壁際のデスクに置かれたノートパソコンに繋いだ。ドクからのメッセージは、半角の片仮名と数字で構成された暗号である。それを解読するために、ひと手間かかるというわけだ。


 数秒の間を持って、複雑怪奇な文字列は、たった一つの日本語文になった。


「一人で寺まで来てほしい、か」


 俺はパソコンを閉じ、半袖シャツとジーパンに着替えた。ポケットにスマホを突っ込み、護身用のナイフを足首に差して部屋を出る。廊下を歩き、玄関ドアに手をかけて、


「おっと」


 車の鍵を忘れていることに気づいた。振り返り、会議室へ通じる扉を見つめる。車の鍵は、会議室に置かれているのだ。

 俺は未明、自分が早めに話し合いの席から離れたことを思いだした。皆はもう寝ついただろうか? それとも、未だに会議室で気まずい思いをしているだろうか。


 俺の足はなかなか進まなかった。防音性の高い会議室へのドアを前に、しばし立ち尽くす。

 が、ドクからの緊急連絡だ。応じなければなるまい。俺は思い切って、ドアを引き開けた。


「おう、潤一」

「あ、憲明……」


 ちょうど憲明が、こちらに出ていくところだった。


「どうした? もっと寝ていた方がいいんじゃないか?」

「ま、まあ、そうなんだけど」


 どうやら、ドクからお呼びがかかったのは俺だけのようだ。ということは、俺がこれからドクの元を訪ねることは、憲明にも黙っていた方がいいかもしれない。


「そ、そんなことより、皆はどうした? 会議は終了か?」

「終了も何も、まとまりがつかねえ話だったからな。ついさっきお開きにしちまったよ。俺の独断だけどな」


 本来リーダーであるところの葉月は、場を仕切るだけの冷静さを保ってはいられなかった、ということか。


「憲明、少し出かけてくる。車、借りられるか?」

「ああ。これ使え」


 憲明は、壁際に掛けられた鍵を一つ手に取り、俺に向かって放り投げた。片手で受け止める。


「青のミニバンだ。くすねてきたばっかりだから、大事に使えよ」

「分かった、じゃあ」


『どこに、何をしに行くのか』などと、余計なことは訊かれなかった。憲明の気遣いか、察しのよさか、あるいはその両方か。理由は定かでないが、ありがたいことに変わりはない。


 俺は今度こそ玄関ドアを開け、朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでから、裏手の駐車場に向かった。


         ※


「おう、早かったね、潤一くん」

「おはようございます、ドク」


 件の寺に着いた時、ドクは畳の間の掃除をしていた。箒で畳を掃いている。随分と几帳面だな、と思ったが、それだけの注意力があればこそ、彼は生きてこられたと言えるかもしれない。


「まず、聞いてもらいたい音源がある。こちらへ」


 箒を壁に立て掛け、ドクは俺を奥の機械室へといざなった。

 俺が後ろ手に襖を閉めると、相変わらず、凄まじい勢いで冷房が稼働していた。


「エレナ、先ほど傍受した通信を再生してくれ」


 ふと目を遣ると、エレナが大きな機材の筐体を前に、キーボードを叩きまくっていた。そばに置かれた小さなディスプレイに、目を貼りつけている。


「音量を上げてくれ。誰の声か、はっきり分かるように」


 ざっ、という一瞬の砂嵐の後に、『その人物』の声が聞こえてきた。そしてその声は、俺の胸中で再び嵐を巻き起こすのに、十分な破壊力を持っていた。


《マドゥーに知らせておくか? そろそろ潮時だと》

《いや、それには及ばないでしょう。彼にも引き際を見極めるだけの経験はある》

《そうだな。しかし、連中がどう動くかは分からん》

《土田を仕留めた連中のこと、ですか》

《そうだ》


 俺は言葉も出なかった。この声は――。


「父さん……?」


 回転椅子に座ったまま、軽く軋む音を立ててエレナが振り返る。その顔には、俺を心配する気配がありありと浮かんでいた。が、それに対応するだけの心の余裕は、今の俺にはない。


 もう出会うことはないと思っていた父が、生きていた? これは喜ぶべきことか? しかし、会話の内容からして、彼はダリ・マドゥーと繋がりがあるらしい。これは、どういうことだ?


 呆然とする俺の胸中をわざと無視して、ドクはエレナに『盗聴を続行するように』と告げた。


「残念だが、情報の確度を上げるにはまだ時間がかかる。もう少し待ってくれ。その間に、別件で君と話がしたい。構わないかね?」


 俺は我ながら、正気を失いかけているんじゃないかと思いつつも、カクン、と首肯してみせた。

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