第13話

 敢えて土田の攻撃を押さえずに、横っ飛びして回避する。すると俺の読み通り、ナイフは俺の背後にあった木の幹に突き刺さった。ストッ、とキレのいい音がする。ナイフを握った土田の手が止まる。そこだ。


「ふっ!」


 俺は手刀で、土田の腕を叩こうとした。ナイフの動きを止められた相手の腕を、肘から叩き折るつもりだった。

 しかし、俺の手刀は空を斬る。土田は呆気なく、ナイフを手離したのだ。やや前のめりになった俺の腹部を、土田の膝打ちが捉えようとする。俺はなんとか踏みとどまり、上半身を反らしながら距離を取る。


「へっへぇ! やるじゃねえか!」


 俺は再び拳を上げ、顔面を守りながら視界を確保する。すると、土田の袖からはするり、と次のナイフが現れた。曲芸師のようにナイフを弄び、その柄を握り込む土田。ナイフもまた、素直に彼の手中に収まる。まるで土田に忠義を尽くすかのように。


 今更ながら、俺は何故、土田が長袖のトレーナーを着用しているのかを理解した。ナイフを隠し持つためだ。しかも、今着用しているのは厚手のパーカー。何本のナイフが出てくるか、分かったものではない。


 俺は慎重に足をずらしながら、土田の次の攻撃を待った。

 ん? 『待つ』だって? そんな暇、俺にはあるだろうか。俺は土田に悟られないよう、自分の身体の感覚を研ぎ澄ました。RCの残り時間は、七分を切っていた。まだ余裕がある、とは言えるだろう。が、土田は不可解なことを言いだした。


「今晩は月が綺麗だよなぁ? お陰で俺も夜目が利くってもんだぁ」


 俺は思わず顔をしかめた。お互い戦闘状態であるだろうに、何を言っているのか。

 そう問い詰めたいの山々だ。しかし、もちろんそんなことはしない。土田はこちらを焦らしてミスを誘う戦法を取っているかもしれないからだ。

 まさかとは思うが、俺のRCを知っているのか? それで、時間稼ぎをしているのか?

 そんな考えに至り、俺は自分の頬を汗が伝うのを感じた。無論、『暑いから』というのが理由の全てではあるまい。


 仕方ない。こちらから仕掛け、土田の身柄を押さえるしかない。相手との距離は、約三メートル。お互いが同時に踏み込めば、一瞬で詰められてしまう間隔だ。


 俺は太腿からふくらはぎに全力を込めて、下草の繁茂する地面を蹴った。土田は俺を待ち受けている。俺の腹部を狙い、ぐっとナイフを握り込んでいる。


「へっ!」


 狙い違わず繰り出された突き。その間合いに踏み込む直前、俺は踵に注力し、自分で自分の勢いを殺した。その場で一回転し、上半身を仰け反らせて、突き出されたナイフの切っ先を回避。そのまま強引に土田の腕を掴み込んだ。勢いよく相手の身体を自分の背中に引き寄せる。


「ッ!」


 背負い投げの要領で、しかし無理やりに、俺は土田を放り投げた。RCで強化された腕力の無茶な行使だが、残り時間を考えれば仕方がない。あと五分ほどだ。

 土田は一瞬、驚愕の表情を浮かべたが、地面に叩きつけられながらも転がって、巧みに距離を取った。


「危ねぇなぁ、受け身を取れなきゃ背骨がバッキリ折れちまうとこだった、よッ!」

「くっ!」


 しゃがんだ姿勢のままで、ナイフを投擲する土田。横薙ぎに振るわれたナイフは、回転しながら俺の上腕を掠めていった。

 俺がそのナイフをやり過ごすと同時、土田の右手の袖からは、次のナイフが滑り出た。本当に、一体どれだけ装備しているんだ、コイツは?


 そう俺が焦りを覚えた次の瞬間。凄まじい殺気が、土田の遥か後方からぶわり、と湧き出した。


「!?」


 驚愕を隠しきれなかった俺につられてか、土田の顔からも笑みが消える。何が起こったのか察した俺は、横っ飛びして『それ』を回避した。


 弾丸だ。狙撃用ライフルの弾丸が、土田の後ろから飛来したのだ。

 僅かに鮮血が宙を舞う。俺同様に回避した土田が、しかし回避しきれずに、右腕の上腕を庇うように横転する。そのまま転がって、木々の間に身を潜めた。


 俺は内心、毒づいていた。和也の野郎、俺が射線上にいたのに撃ってきやがった。

 そんなことを思っている間に、RCは残り三分を切っていた。ここでRCが解除されてしまっては、俺はすぐにナイフの犠牲になる。


「潤一、任せろ!」


 叫んだのは憲明だ。拳銃の射程にまで来てくれていたか。俺を援護すべく、木々の間に続けざまに弾丸を叩き込んでいく。典型的な牽制射撃だ。

 だが、牽制は飽くまでも牽制。あれだけ身体を動かせる土田なら、這うようにして余裕で回避してしまうだろう。

 RCを発動しているとはいえ、俺に透視はできない。RCの残りは二分半。どう出る?


 俺は思いっきり息を吸い込んだ。もしかしたら、『分かる』かもしれない。RCのお陰で鋭敏な五感を有している俺なら。

 そして、分かった。土田の現在位置が。俺は視覚ではなく、嗅覚に頼ったのだ。 鉄の匂いが、ぼんやりとではあるが漂ってくる。今はほぼ無風状態だから、大まかな位置は捕捉できた。


「憲明、射撃止め! 突入するぞ!」


 俺はそばに転がっていたナイフを手に取り、脱兎のごとく森林に踏み込んだ。上半身をやや折って、姿勢を低く。土田がそうしていたように、ナイフを腰だめに構える。付け焼刃かもしれないが、何もしないよりはいい。


「そこだ!」


 どうせ俺の動きは、土田に察知されている。俺は自分を鼓舞する気持ちで短く叫び、木の陰に回り込んだ。

 読み通り、土田はそこにいた。左腕だけでナイフを握り、切っ先を長く持って振り回している。が、先ほどに比べれば、その攻撃は精彩を欠いていた。


「畜生が!」


 俺は体勢を低め、相手に斬り上げられることを阻止。脚部を狙って突進した。

 そこで、土田は意地を見せた。俺の繰り出した刃を、肘と膝で挟み込んだのだ。はっとして、俺もまたナイフを手離し、勢いよく跳んで後退する。また丸腰に戻ってしまった。肝心のRCは、残り三十秒。これではやられる。


 土田は息を荒げ、右腕を庇いながら、ギラリとその瞳を輝かせた。息を吐き出すのに合わせ、蛇のように舌をチロチロさせている。


 こうなったら、思いっきり突撃するしかない。俺は土田を睨みつけ、一気に踏み込んだ。

 まさにその直後、


「え?」


 土田が驚愕の表情を浮かべ、動きを静止させている。その胸には真っ赤な華が咲き、花弁が散るようにゆっくりと落ちていく。

 そんなスローモーションに見えたのは、RCが発動中だったからだ。俺は何もないところで、前のめりに転倒した。身体を支えられるだけの体力が残っていない。時間切れだ。

 まるでタイミングを計ったかのように、血飛沫が俺の顔に降りかかった。


 どうにかして、意識を繋ぎとめる。そんな俺の耳朶を打ったのは、ある人物の声だった。


「何しやがるんだ、葉月!」


 その声は、音量は抑制されながらも、燃えるような怒りに満ち満ちている。

 俺が目を上げると、ザッ、ザッと足音がした。憲明だった。暗視ゴーグルは既に外している。俺の横で立ち止まり、うつ伏せだった俺の肩を掴んで引き上げた。


「うっ……」

「大丈夫か、潤一?」


 俺はなんとか膝立ちになって、自分の胸に手を当てる。やや不整脈のような状態になっているが、しばらく落ち着いていれば大丈夫だろう。


「少し待ってろ。ほら」


 そのままぺたりと尻をつき、憲明に支えられながら、そばの木にもたれかかった。

 視線を交わし、俺が頷くのを確かめる憲明。それから、これでもかと渋面を作り、そのまま立ち上がった。


「土田は生け捕りにするはずだっただろうが!」


 俺が顔を傾けると、ちょうど憲明が葉月の胸倉を掴み上げるところだった。


「土田はくたばった! これじゃあ情報を吐かせられねえじゃねえか! ダリ・マドゥーはどうするんだよ!」


 葉月は無言。味方とはいえ、憲明は屈強な大男だ。それが怒りに任せて自分に迫ってきているのだから、言葉を失ってしまうのも無理はない。


「さ、佐山が……」


 ようやく、蚊の鳴くような声で葉月が語りだした。


「佐山が危なかったから、だから、私は……」

「潤一だったら上手くやっただろうさ、お前が手を出さなくても! それにな、お前が潤一を仲間にしようとした時、約束したんだろう? 母親の仇を討たせると! その手掛かりを、お前は台無しにしたんだ! ざけんな!」

《何? 一体どうしたんだい、皆?》


 戸惑いがちな和也の声が、そばに捨て置かれたヘッドセットから聞こえてくる。しかし、答えられる者はいない。

 作戦を危うくした、という意味では、先ほど無理に狙撃を敢行した和也も同罪だ。


「憲明、その辺にしてやってくれ」


 思いの外、はっきりとした声が出た。


「一旦アジトに帰って、皆で会議を持とう。四人で話し合わなきゃ駄目だ」


 その俺の言葉に、憲明はゆっくりと葉月から手を離した。

 なんとか立ち上がり、歩行できるようになった俺は、憲明に肩を借りながら車に向かった。しかし、すぐに気を失ってしまったようで、車中での記憶は全く残らなかった。

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