第11話
※
一度散開した俺たちは、三十分ほど経って、再び公園入口に戻ってきた。
「憲明、あの変電設備、何か使えるか?」
「そうだな。一時的に、この公園の夜間照明を潰すくらいならできるだろう」
葉月の問いに、視線を設備に向けたまま憲明が答える。どうやら二人は、作戦決行時にこの公園を真っ暗闇にするつもりらしい。
「なあ、照明を消すのはいいけど、それって怪しまれないか?」
「大丈夫だ、佐山」
葉月はゆらりとポニーテールを揺らしながら、
「照明を消すのは、土田との戦闘が始まってからの話だ。逃げられないようにな。私たちは暗視ゴーグルを着けて臨むから問題ない」
と解説してくれた。
「あ、僕も暗視用スコープを着けて狙撃するから、大丈夫だよ」
和也も補足をしてくれる。
「よし、長居は無用だ。時間差で帰るぞ。憲明、和也、二人が先に行ってくれ。私と佐山は、十分ほど遅れてここを出る」
「あいよ」
憲明はキーホルダーに指を突っ込み、ぐるぐると弄びながら背中を向けた。
「あっ、憲明! ちょっと待って!」
小走りで広い背中を追いかける和也。先ほどの言い合いのことは、水に流してしまったらしい。
俺は伸びをし、葉月は腰に手を当てて、夕日に照らされた二人を見送った。
「やっぱり暑いな。葉月、木陰に入ろう」
俺が促したが、葉月はその場を動かない。『どうしたんだ』、と尋ねかけた俺に横顔を見せたまま、一言。
「アイスクリーム、食べないか、佐山?」
「……は?」
突然何を言い出すんだ? 和也じゃあるまいに。
「どうしてだよ?」
「わっ、私とアイスを食べるくらいのことに、理由が必要なのか?」
夕日の逆光が邪魔をして、上手く彼女の表情を窺うことはできない。しかし、憲明に『鈍い』と言われてしまった手前、空気を読んで葉月に付き合うのが筋だろう。
俺はバニラを、葉月はチョコをそれぞれ選んだ。
購入してから、俺たちはぶらぶらと噴水を回り込み、木陰のベンチに腰を下ろした。俺は我ながら、律儀にも『いただきます』と呟いて、アイスを舐め始めた。うん、美味い。
「あそこの屋台、ちょっと高いだけのことはあるな。なあ、葉月?」
「……」
「葉月?」
「えっ? ああ、美味いな」
おや、まだ一口も食べていないようだが。
俺が訝しく思った時、ちょうど雲が夕日を遮った。葉月の顔が影に入り、その表情が露わになる。
ドキリとした。葉月は、俺が今まで見たことがないほど、何と言うか――無防備な姿だったのだ。いつも活力と警戒心に溢れた瞳は伏せられ、口元は何かを言いかけているのか、微かに震えている。
「だ、大丈夫か、葉月?」
「あ、ああ」
声半分、ため息半分といった音を喉から発する葉月。
「っておい! アイス傾いてるぞ!」
「え? ああ! 私のアイス!」
葉月は慌てて口をつけたが、勢い余って鼻先にアイスが付いてしまった。
「さっきからおかしいぞ、葉月。何か心配事でもあるのか?」
そんな俺の言葉を無視して、葉月はアイスをすぐさま平らげた。
「ほ、ほら! 早く行くぞ、佐山!」
「ちょっと待てよ、お前が誘ったくせに」
その時、立ち上がった葉月の口元が、微かに動くのが見えた。『分からず屋』とでも言いかけたように見えたが、実際のところどうなんだろうか。
俺も急いでアイスを食べきり、葉月の後を追った。
※
帰りのハンドルを握ったのは俺だった。葉月は助手席で、何やら落ち着きない様子。
どうしたのかと問うこともできただろうが、皆から『鈍い』と言われている以上、俺も他人の心を理解できるようにならなくては。そう思って、俺は敢えて声をかけることはしなかった。
アジトに戻り、車のナンバープレートを取り換えてから、俺は葉月に続いて建物に足を踏み入れた。
「ご苦労さん」
「ああ、憲明。どうしたんだ?」
嫌に静まり返った食堂兼会議室に入った俺は、一番まともそうな様子の憲明に声をかけた。しかし憲明は、再び肩を竦めながら下唇を突き出してみせる。それだけだ。
「ジュン、帰り遅いよ。葉月と何かあったの?」
「な、何かって? 一緒にアイス食ってただけだぞ」
「ふぅん?」
俺は正直に答えたが、和也は俺を半目で睨みつけてくる。一方の葉月は、プロジェクターの準備をしていた。和也が騒ぎ出しそうな雰囲気を醸し出しているものの、敢えて気にしないようにしているようだ。
俺もまた無言で、部屋の照明を切った。同時にプロジェクターが起動し、今日訪れた公園の見取り図が表示される。
「さて、と」
葉月はサングラスを着用し、平静を保とうとしていた。度が入っているわけではないような、ただのファッションとしか言えないサングラス。だがそのお陰で、先ほどの妙な表情の葉月を見ているよりは落ち着いた。少なくとも、俺は。
葉月が席に着いたのを見て、俺もお決まりの席に腰を下ろした。それを見届け、俺に頷いてみせてから、葉月が司会進行を始めた。
「まずは憲明、さっきの変電設備についてはどうだ?」
「爆破する」
あまりに端的な言葉に、俺は目を丸くした。が、憲明は落ち着いた調子で言葉を繋いだ。
「爆破と言っても、ふっ飛ばすのは設備の一部だ。フェンスを乗り越える暇はねえだろうから、手榴弾を投げ込んで壊すのが一番手っ取り早くて安全だ」
「分かった。和也、狙撃ポイントは? いい場所は見つかったか?」
「そ、そうだね……」
葉月の問いかけに、言い淀む和也。
「いや、いい場所は見つかったんだ。近所の鉄塔の上なんだけど。ただ、虫がね」
「虫?」
「ほ、ほら、僕って虫が苦手だから」
大きなため息。ついたのは憲明だ。
「虫除けスプレーでもつけとけ。大体、お前このクソ暑い中でも長袖長ズボンだろ? 刺されやしねえよ」
「僕がこんな暑い格好してるのは、虐待の痕を隠すのに仕方なくだよ! 防虫効果を狙ってるわけじゃない!」
「分かったよ和也、まあ頑張ってくれ」
俺は手をひらひらさせながら、和也を宥めた。正直、俺もイラついていたのだ。さっきの葉月の様子はおかしかったし、和也が変なのは相変わらずだし。明日が作戦だというのに、こんなことでいいのか。
同じことを考えていたのか、次に声を上げたのは憲明だった。
「で、葉月と潤一は? 何か発見はあったんだろ?」
やや反応が遅れた葉月に代わり、俺が説明を買って出た。
「監視カメラの位置は、こことここ、それにここだ」
レーザーポインターで、三ヶ所を指し示す俺。憲明は納得した様子で、『遮蔽物は?』と続けて問うてきた。
「遊具があちこちに点在してる。ただ、監視カメラのカバーできる範囲は限られているし、ドクからの映像でも、土田が取引をしている場面の映像はなかった。そうなると、公園奥の森林に踏み入ったあたりでブツの受け渡しをしているんだろうな」
つまり、戦闘事態に発展した場合、俺たちは獣道で戦わざるを得ないということだ。
「それではこういうことになるな」
葉月がまとめに入る様子なので、俺は黙って椅子に座り直した。
「まずは、和也が狙撃ポイントに移動する。佐山は公園入口の向かいのコンビニで待機。土田らしい人間が公園に入ってきたら、私たちに連絡するように。私は公園の遊具の陰で、土田が獣道に入るのを待って尾行を開始する」
「で、潤一と葉月が合流したら、俺が変電設備を手榴弾で破壊して、公園内の照明を落とす。だよな、葉月?」
「その通りだ、憲明」
いつもの調子を取り戻したのか、葉月は満足気に頷いた。
「今回の作戦は、土田の身柄を確保して情報を引き出すことだ。殺すな。一旦ここに連れてくれば、いくらでも自白させられる」
自白ねえ。一体どうやって吐かせるのか、俺には見当はつかなかった。今までは殺してばかりだったから仕方ないのだろうが。先日のオランダ人のように、耳を削ぐところから始めるか。
そんなことを考えているうちに、会議は終了した。
「葉月! 片づけは僕がやっておくよ!」
「ああ、すまないな、和也」
「気にしないで、っと!」
小柄な和也は、フックのついた指示棒でスクリーンを片付け始めた。無理をすることはあるまいに。
俺は『鈍い』という汚名を返上すべく、和也の言動の意味するところを考えた。
ここ一ヶ月ばかりの付き合いだが、和也は自分から後片付けを買って出ることが多い。それはいい。気遣ってもらえるのはありがたい。
だが、そういう場合、必ず声をかける相手がいる。葉月だ。
「あ」
「ん? どうかしたの、ジュン?」
「お前、もしかして」
と言いかけて、俺は慌てて口に手を遣った。
それこそ、憲明の言っていたように、和也は葉月と『よろしく』なれるように頑張っているのかもしれない。
だが、葉月は気にしていないように振る舞っている。どういうことだ? 相思相愛というわけにはいかないのか。何が邪魔をしているのだろう?
「ま、いいか」
俺は小さく呟いてから自室に戻り、バスルームが空くのを待つことにした。
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