第10話

「落ち着け、佐山」


 葉月が目だけを俺に向け、注意を促す。


「だ、だって、こいつ、ダリ・マドゥーと……!」

「それは私たちも聞いた。話はこれからだ。席に着け。すまないな、エレナ。再生してくれ」


 プロジェクターのリモコンを握っているエレナが、葉月に促されて顔を前へ戻す。緑色の映像が動き出し、ドクの言葉が続く。


《この土田という男は、何らかの手段でマドゥーと連携し、薬物の小売りをしている。マドゥー本人の尻尾は掴めていないが、土田の身柄を押さえることは可能だ》


 そこでようやく俺は気づいた。これは、公園だ。噴水や遊具、公衆トイレなどが見える。監視カメラの映像だろうか。


《ここは、市内の東公園だ。土田はここで、薬物と現金の受け渡しをしているらしい。情報源は三ヶ所あるが、今は伏せておこう》


 画面から土田の姿が消えた。と思ったら、別なカメラの映像に切り替わり、再び園内を闊歩する土田の姿が映った。


《ここでの取引を行うのは、明日から明後日にかけての夜中が最後だそうだ。つまり、こいつを押さえるチャンスは、今晩か明日の晩、二回しかない。君たちなら、なんとかできるだろう》


『気楽に言いやがる』と悪態をつく憲明を無視して、俺たちは続くドクの言葉に集中した。


《場所はここだ。スマホのバーコードリーダーで読み取ってくれ》


 俺たちは、一人一人特殊仕様のスマホをドクから授かっている。通話を開始し次第、秘匿回線に切り替わる優れものだ。今スクリーンに映っているバーコードにしても、きっと一般のスマホでは読み取れないだろう。


《それでは、健闘を祈る》


 ドクのその言葉を最後に、映像は終わった。俺たちが場所を確認する間に、エレナがそそくさと片づけを始める。

 ここまではエレナの仕事だ。手伝おうとしても、本人が拒否する。きっと、現場に出ることのできない自分にできる仕事は、せめて自分でやり遂げたいという気持ちがあるのだろう。


「さて皆、早速だが、これから現場へ向かうぞ」


 振り返りながら、葉月が告げた。サングラスを外し、胸ポケットに戻す。


「佐山、憲明、車を回してくれ。二台あればいい」


 無言で立ち上がる憲明。しかし俺は、エレナの方を見遣りながら


「なあ、今日は暑いし、エレナをドクのところまで送ってこようと思うんだが、構わないよな?」


 と葉月に問うた。改めて葉月に視線を戻すと、葉月は何やら、複雑な表情をしている。珍しいな。

 やや間があった後、葉月は無言で車の鍵を放り投げてきた。


「おっと!」

「さっさと戻って来い、佐山」

「は、葉月? 何カッカしてるんだ?」

「な、何でもない! 憲明、私も車を持ってくる。和也、外で待機していてくれ」

「りょーかい!」


 俺は内心疑問を抱きながらも、食堂の隅で待機していたエレナの元へ駆け寄った。


         ※


「まったく、ドクも人使いが荒いよな。こんな暑い日に、女の子一人に三キロも歩かせるなんて」


 ぼやきながら、俺はハンドルを握っていた。いつか葉月が俺を迎えに来た時に使っていた、白いセダンだ。エレナは助手席に座っている。

 車の運転は、夜中、人通りの少ない空き地で練習していた。免許を取れる年齢ではないので、偽造免許証を作る必要があったが、ドクの手にかかれば一瞬だった。


 そう言えば、葉月と運転練習をしていた時、彼女に年齢を尋ねたことがある。『お前と同じ、十七歳だ!』と告げられたが、もしかして歳を訊かれたのが不快だったのだろうか。まだそんなことを気にする年齢でもあるまいに。


 燦々と照り付ける太陽の元、俺は少し冷房を弱めた。


「窓開けてもいいぞ、エレナ」


 するとエレナは一旦振り向き、こくりと頷いてから、ゆっくりと窓を開けた。すると、穏やかで涼しい風が、彼女の顔を撫でた。


「こうやってると、気分がいいだろ? 来る時は歩きだったんだろうから、蒸し暑いだけだったかもしれないけど」


 エレナは無言。というか、振り返りもしない。顔を少しだけ窓から出して、海風を浴びている様子だ。窓枠に手をかけて、間近に迫った海岸線を見つめている。よほど気持ちがいいのだろう。

 俺は純粋に、日光に煌めくエレナの銀髪を美しいと思った。


「なあ、エレナ」


 そう声をかけると、エレナはゆっくりとこちらに顔を戻した。


「ドクはどうだ? ちゃんとよくしてくれてるか?」


 はっきり首を縦に振るエレナ。


「でもなあ、四六時中ドクと一緒にいるのも考え物だぞ。あの人偏屈だから、エレナも変人になるかもしれない」


 その言葉に、エレナはぷくっと頬を膨らませてみせた。


「冗談! 冗談だよ」


 まあ、半分くらいは。


「お前の声、戻るといいな。日本語を喋る自信は?」


 するとエレナは、僅かに首を傾げ、ゆっくりと頷いた。日本語のリスニングはできているのだから、喋るのも問題はないだろう。だが、どこか不安げな空気が車内に漂った。喋れるようになったら、皆とのコミュニケーションを取りやすくなって、状況は好転するかと思うのだが。


 もしかしたら、憲明のことが怖いのかもしれない。悪人でないことは、俺や葉月、和也は分かっているんだがなあ。エレナと憲明が二人で会う場面は想像できないから、彼女の心配は杞憂に終わると思うが。

 そう言ってやると、エレナは明らかにほっとした様子で、深く座席に腰かけた。


 やがて俺たちは山道に入り、すぐに寺に辿り着いた。


「ドクに言っといてくれ、何か日用品で困ることがあったら、買ってきてやるからって」


 こくりと頷くエレナ。『じゃあな』と言って彼女に背を向ける。その時だった。


「ん?」


 袖を掴まれた。エレナが俺を引き留めている。


「どうした?」


 俺は軽く腰を折って、エレナと視線を合わせた。彼女の瞳の中に、俺の顔が映ってみえる。

 エレナは何かを言おうとして、しかし声を出すことが叶わず、俯いてしまった。先生に叱られた幼稚園児みたいだ。

 それでも、俺には彼女の言わんとするところがなんとなく察せられた。そっとエレナの頭に手を当て、軽く撫でてやる。


「大丈夫。生きて帰ってくるから」


 それだけ言って、今度こそ俺はエレナに背を向けた。車に乗り込み、半回転して寺を後にする。バックミラーに映ったエレナは、どこか寂し気だった。目に涙を浮かべているように見えたのは気のせいだろうか。


         ※


「ここが現場かい、葉月?」

「そうだ」


 はしゃぐ気配を見せる和也に、葉月がぴしゃりと答える。寺にエレナを送り届けた俺を待って、皆で件の公園を訪れたところだ。

 見たところ、何の変哲もない公園だ。現に今も、親子連れで賑わっている。鋭い日差しの中、噴水の周囲で遊ぶ子供たちの姿が眩しい。


「あっ、アイスクリーム売ってる! ねえ葉月、買ってきてもいいかな?」

「おっと奢りか? 俺は抹茶で」

「ちょっと憲明! 君には訊いてないよ!」

「じゃあ俺はストレートにバニラだな」

「ジュンも乗っからないで!」


 と、男三人衆が馬鹿な言い合いをしていると、葉月が振り返って腰に手を当てた。


「おいお前ら! 今は偵察任務中だぞ! ふざけるのも大概に――」

「葉月、お前こそ気が緩んでるぞ」


 突然、鋭利な声を上げた憲明に、葉月は目を丸くした。俺と和也も振り向く。憲明は声のボリュームを落とし、しかし緊張感はそのままに語りだした。


「何が『偵察任務中』だ。そう喚くなよ。不自然だ」

「あ、ああ」


 葉月ははっとしたように、一歩身を引いた。


「ちょっと憲明、そんな言い方はないんじゃないの?」


 代わりに身を乗り出したのは和也だ。葉月をフォローするつもりのようだが、なにぶん小柄である。本人は気づいていないようだが、傍からは小動物と肉食巨獣の睨み合いにしか見えない。


「まったく分かりやすいな、和也。それなら堂々と、葉月とよろしくやってろ」

「なっ!」


 すると和也は、一瞬で茹でダコのように真っ赤になった。葉月もぎりっと歯を鳴らして、憲明に視線を飛ばす。


「そ、そういう仲だったのか、二人共?」


 と俺が言うと、三人の視線が一気に俺に集中した。どうやら俺は、火に油を注いでしまったらしい。


「わっ、私は何とも思ってないぞ?」

「ぼ、僕だってそうだよ! 確かに葉月は頼りになるけど、えっと、それだけ、っていうんじゃなくて……」

「はいはい、分かったよ」


 憲明は肩を竦め、やれやれとかぶりを振った。もう十分だとでも言いたげに。


「潤一、お前、結構鈍いのな。まあ、今のことは忘れとけ」

「憲明がそう言うなら」

「さ、さあ、早く偵察……じゃない、見回りを始めるぞ」


 歯切れの悪さを振り払い、葉月は指示を飛ばし始めた。


「私と佐山で、監視カメラの位置を確認する。和也は狙撃ポジションの確認をしてくれ。憲明はあそこの変電設備を見てきてくれ」


 俺たちは各々返答しながら、それぞれの見回り、もとい偵察任務に向かった。

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