第9話【第二章】
【第二章】
「ん……」
肩を揺すられて、俺は目を覚ました。目は閉じたままだったが、意識はだんだん明瞭になってくる。寝返りを打つと、白い光が網膜に優しく差し込んできた。そうして俺は、今が朝なのだと知った。
オランダ発の麻薬取引を潰した翌日。俺は随分と深く寝付いていたらしい。あれだけRCで身体を酷使したのだ、無理もないか。
ところで、俺はある違和感を覚えた。誰かが俺を起こすのに、肩を揺すっているのは分かる。だが、だったらどうして声をかけてこないのか?
「エレナ、お前か?」
尋ねると同時に、目を見開いた。
俺の顔を覗き込んでいたのは、案の定俺が名を挙げた人物、エレナ・イーストウッドだった。
確か今年で十二歳だったか。俺たちより二回りは若い、というより幼い。丸みを帯びた頬に真っ青な瞳、それに背中に流された銀髪が特徴的な少女だ。
俺は上半身を起こし、ブランケットをどかした。エレナは身振り手振りで、自分が何をしようとしているのかを伝えようとしてくる。
「何? 朝飯?」
頷くエレナ。どうやら、自分が腕を振るったから、早速食べてほしい、ということらしい。
「ああ、すぐ行くよ」
そう言うと、エレナは僅かに頬を染め、俺の部屋を出て行った。
俺たちが今いるのは、俺が一ヶ月前に訪れた寺ではない。山を下りた、海岸沿いの建造物だ。外見上は、特に何ということのないコンクリート造りの平屋。それなりの広さがあるが、入り口は一ヶ所だけだ。そこには、『海上保安庁支援課南関東支部』と書かれたプレートが掲げられている。
ありがたいことに、俺たち全員にはそれぞれ個室が与えられていて、建物中央に食堂を兼ねた会議室がある。
どうしてドクのいる寺をアジトにしなかったのか。その理由は、ドクしか知らない。彼が過去に何をやらかしたかは知らないが、居場所がバレるといろいろとまずいのだそうだ。
実戦部隊として出動する俺たちがいては、人の出入りが頻繁すぎる。よって、こんな長ったらしい名前の架空の組織をぶち上げ、俺たちとは基本別行動を取っているのだ。
エレナは、基本ドクと共に寺に住み込み、情報収集や捏造、時には攪乱を行っている。立派な五人目のメンバーだと言える。
彼女が言葉を発することができないのは、後天的なものだ。学者だった父親が日本の研究所を訪れ、彼女が見学について行った際、偶然にもテロリストの襲撃に遭った。目の前で父親が自分を庇って射殺されたのだから、ショックの度合いは俺より酷いかもしれない。
俺がエレナについて回想している間に、部屋の扉がノックされた。『ああ』だか『おう』だか中途半端な声で応じる俺。
「おい潤一、朝飯、冷めちまうぞ。お前も来い」
憲明だった。俺は、多少の悪意を込めて言い返す。
「お前こそ、また例の映像を観てたのか?」
「そうだ」
即答する憲明。俺はそれに応じるため、ドアを開けて廊下に一歩、踏み出した。そこに立っていたのは、いつも通り不愛想な顔をして、腕を組んだ憲明だった。すぐにこちらに背を向け、先を歩いていく。
「憲明、よく飽きないな。よりにもよって、両親が射殺される映像を毎日毎日」
「せっかくドクが拾ってくれた映像だ。いざとなれば、警察組織を脅す種になる。いや、爆弾だな。警官隊が、デモ行進中の民間人を射殺した映像だ。今はまだ国家権力に握り潰されちまうだろうが、いつか日の目を見る時がくる」
いつになく饒舌な憲明の後ろで、俺は欠伸を噛み殺した。
憲明の両親は、反政府デモの最中に射殺された。本人の言う通り、国家権力たる警察によって。憲明本人にしてみれば、その映像を観る行為は、殺意という刃を研ぎ澄ますルーティンなのかもしれない。それで復讐を果たしたところで、何を得られるのかは分からないが。
無言で食堂へのドアを開ける憲明。俺は取り敢えず、『おはよーっす』と一言。
「あっ! 遅いよ二人共ぉ!」
「朝の挨拶が先だろ、和也」
「だって、見てごらんよ! エレナが腕を振るってくれて、こんなに朝食が豪華なんだもの!」
俺はひょいっと憲明の背後から出て、テーブルの上に目を遣った。そして、愕然とした。
ステーキ。パスタ。ちらし寿司。カレー。それに手作りアイスクリーム。
カクカクと音を立てながら、俺はこれを作った張本人、エレナに目を遣った。
「お、おいエレナ、これ、全部お前が……?」
俺の視線を受けて、エレナはまた微かに朱の差した顔を俯けた。
「きっと、昨日の作戦成功を祝ってくれてるんだよ! さあさあ、早く食べようよぉ!」
「まあ、食い切る自信はねえけどな」
憎まれ口を叩きながら、席に着く憲明。すると、その向こうに葉月の姿が見えた。なんだか不機嫌そうな顔をしている。今は話しかけないでおこう。
ああ、そう言えば。
ドクとの出会いと、その後の成り行きについて考えていた俺は、葉月と和也に目を遣った。
「葉月、和也、質問なんだが」
「おい佐山、食事中だぞ?」
咎め立てする葉月の横で、そうだそうだと頷く和也。こいつはいっつも葉月の肩を持つな。
「飲み込んでからでいいから、答えてくれ」
そう言って、俺は軽く息を吸った。
「葉月と和也は、どうやってこの組織に入れたんだ? まさか運動音痴な人間を、ドクが入れるはずはないだろう?」
「ああ、それは」
ごくり、と音を立ててステーキの一片を飲み込んだ和也が語りだした。
「僕の場合は、射撃の腕があったからさ。片目が見えないのはデメリットだけど、どうやらそれを差し引いても、十分戦力になるってドクは考えてくれたようだね」
なるほど。昨日の戦いを引き合いに出すまでもなく、狙撃手がいることは大きなメリットだ。
俺が葉月に目を向けると、ナプキンで口元を拭ってから、葉月はこう言った。
「私は勝負に勝ったらしい」
「え? それって……」
和也も初耳だったのか、じっと葉月の横顔を見つめる。憲明は興味なさげに海鮮丼を掻き込んでいたが、きっと聞く気は満々だろう。
「私も、この前の佐山のように、拳銃を持たされてドクと戦わされたんだ」
「それで勝ったって?」
俺は驚き半分、疑い半分で、葉月の言葉に耳を澄ます。
「ああ、何もドクに重傷を負わせたわけじゃない。単純に、私が撃った弾がドクを掠めたんだ。脇腹あたりだったかな」
人差し指を顎に当て、目線を上にやる葉月。
「それでどうやら、ドクは私の動体視力を買ってくれたらしい」
ははあ、珍しいことがあるもんだ。
時系列順に並べると、ドクに協力し始めたのは、早い方からエレナ、葉月、憲明、和也、そして俺という順番になる。その過程で、ドクは単なる情報攪乱のみならず、実際に危険物の取引場所に強襲をかける面子を揃えたことにもなる。
そう言えば、ドクに訊いたことがある。何故、俺たちのようなティーン・エイジャーばかりで実戦部隊を構成しているのか。
ドクは即答した。『大人は信用ならないから』と。
ドクの過去は分からない、と思ってはいるが、俺は勝手に、かつて彼は優秀なスパイだったのではないかと睨んでいる。その任務の中で、散々裏切り行為を目にしてきたのだろう。
大人は動く。金、薬、武器、その他諸々の雑念によって。その点、ティーン・エイジャーは、物事に釣られる可能性が低い。そもそも、社会に恨みを持っている青少年を集めてあるのだ。当然と言えば当然か。
俺は思索を一時中断し、朝食の続きに取りかかった。いや、それはいいんだが。
――食べきれるのか、これ?
※
朝食を終えた俺たちは、そのまま食堂に残って作戦会議を開始した。理由は単純。ここにエレナがいるからだ。
エレナは、通信に危険を伴うような情報、あるいはその記憶媒体を持ってきたり、持ち帰ったりすることを任務としている。そんな彼女が山から下りてきたということは、何らかの機密情報を持ってきたに違いない。
俺たちはスクリーンを下げたり、投影機をセットしたりして、準備を整えた。葉月は機嫌を直したのか、フォックススタイルの(ただし度が入っているわけではない)サングラスを着用し、映像に見入った。
間もなく、エレナが持参したUSBに記録された映像が、スクリーンに映し出された。
《まずは、この映像を観てくれ》
ドクの声が吹き込まれている。映し出された映像は、監視カメラのものだった。夜分だからだろう、スクリーンは全体的に緑色に染まった。
そこに、人影が入ってきた。夏だと言うのに長袖のパーカーにツナギのズボンを穿いて、さっさと歩いていく。
《こいつは土田孝弘、二十五歳。麻薬の密売で、ダリ・マドゥーとも接点がある男だ》
ガタン、という鈍い音が、あたりに響き渡った。それが、俺が椅子から跳びあがった音だと気づくのに、しばしの時間が必要だった。
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