第8話

 俺はいたたまれない気持ちで、話題を変えなければと思ったが、それは杞憂だった。葉月がポンと、俺の肩を叩いたのだ。


「では佐山、君にはドクに会ってもらう。来てくれ」


 奥の襖に向かって行く葉月。まだ部屋が続いているらしい。途中、柱にもたれて銃器(今度は拳銃だった)の手入れをしている憲明に目を遣ったが、先ほどと同様、俺と葉月に目をくれることはなかった。

 俺をメンバーとして認めないつもりなのだろうか。まあ、仕方ない。初対面で脅かされたからとはいえ、あれだけビビってしまったのだから。


 俺の一歩先を行く葉月は、襖に軽く拳を当てた。ドアをノックするように。


「ドク、戻りました。佐山も一緒です。開けていいですか?」


 しかし、無言しか返ってこない。

 勝手に入っても大丈夫だと判断したのか、葉月はすっと襖を開けた。するとたちまち、凄い冷気が俺の身体の表面をなぞっていった。


「う、うわっ!」


 慌てた俺に構わず、襖の向こうからは、穏やかな男性の声が聞こえてきた。


「葉月くんかね? すまないが、早く襖を閉めてくれ。機材が熱暴走しそうなんだ」


 若くはない。老人の域に入るかどうかという、しわがれた声だ。しかし、そこには強い意志の強さが加味されていて、若者に負けない活力が感じられた。


「さあ」


 葉月に促され、俺は一歩、襖の向こうに踏み込んだ。

 真っ暗だ。その中にたくさんの電器機材が並んでいて、赤や青、緑の小さなランプがところどころで光っている。パソコンのディスプレイが輝き、闇を切り取っているようだ。


 俺はひとまず、そのディスプレイの前に立った。葉月も一緒に入ってきて、襖を閉める。こんな寒いところに人がいるのか? いやしかし、今さっき声がしたわけだし、誰かはいるのだろう。


 訝し気に周囲を見渡そうとした、その時だった。ガラガラガラッ、と音がして、回転椅子が凄い速さで迫ってきた。


「ひっ!」


 俺が驚きの声を上げる間もなく、俺は椅子の上の人物に、頬を掴まれた。片手でだ。


「ふむ。随分と優しそうな顔だね」

「ちょっとドク! 突然何するんですか! 佐山はたった今ここに来たばかりなんですよ? 驚かせないでください!」


 葉月の言葉を無視して、その椅子の上の老人、ドクは、俺の顔をしげしげと眺めた。

 ディスプレイの照明をたよりに見ると、ドクは医者でもなんでもない、よく寺で見かける僧侶の姿をしていた。スキンヘッドの下に、多くの皺が刻まれた顔があり、袈裟まで身に着けている。


「いや、すまんな。新人の登場は久々でね。君がどんな人間なのか、大変興味があるんだよ、佐山潤一くん」


 太くて白い眉の下で、瞳を輝かせるドク。


「では早速だが適性を見てみよう。ついてきてくれたまえ。葉月くん、襖の向こうの二人も呼んできてくれ」

「分かりました」


 葉月ははっきり頷いて、元の部屋へと足早に戻っていった。俺の顔から手を離すドク。


「まずは少し話そうじゃないか、潤一くん」

「は、はあ」

「コーヒーだ。少し冷めてしまったが、ブラックでいいかね?」

「はい」


 柔和な笑みと共に、マグカップを差し出すドク。俺も彼のことは『ドク』と呼ぶことにしよう。


「まずは、君のお父様のご無事と、お母様のご冥福をお祈りする。大変な目に遭ったね」


 言葉にすると薄っぺらいが、ドクの口調には、他の大人たちにはなかった温もりがあった。俺は無言。沈黙を破ってしまったら、一気呵成に泣き出してしまいそうだったからだ。


「気持ちの整理はまだついていないだろうな。無理もない。今はゆっくり休んでくれ、と言いたいところだが、今少し、適性があるかどうかだけは確かめさせてくれ」


『来たまえ』という言葉と共に、ドクは立ち上がった。憲明よりも上背がある。二メートル近いのではあるまいか。ただし、痩身だ。

 俺は相変わらず無言のまま、ドクの背中を追った。


         ※


「で、これはどういうことですか?」


 俺が誘われたのは、寺の裏手にある開けた空間だった。再び木々の匂いに包み込まれる。寺からの淡い照明に照らされ、ものを見るのに支障はなかった。


 そして、俺の今置かれている状況だが、俺は今、寺を背後にして立っている。五メートルほど前方にドクが立っており、微かな笑みを浮かべていた。それよりもやや離れたところに憲明と和也がいて、葉月は俺のそばでなにやらガチャガチャやっていた。


「さあ佐山、これを」

「これ、って何を――」


 と言いかけて、俺は思わずのけ反った。葉月の手に握られていたのは、拳銃だったのだ。

 言葉を失う俺の手に拳銃を押しつけながら、葉月は、


「よく狙って撃つんだ。遠慮はいらない」


 と言って、自分も憲明たちの元へと下がっていく。


「ちょっ、これって」

「実銃に決まってんだろ、臆病者」


 鋭いツッコミをよこしたのは憲明だ。


「ドクと戦え。殺すつもりでな」

「こ、殺すなんて……」


 俺は手元の拳銃を見下ろした。想像以上に重い。『自分は実銃だ』ということを主張するかのように、その拳銃は銀色にギラリ、と輝いた。


「心の準備はできたかね、佐山くん?」


 穏やかな雰囲気を崩さずに、ドクが声をかけてくる。


「しっかり狙ってくれたまえ。それから、私からは決して目を離さないようにな。では」


 そう言い終えた途端、俺は視界が揺らぐような錯覚に襲われた。


「うわっ!」


 慌てて引き金を引く。思いっきり腕が跳ね上がる。パン、という銃声に続き、軽い痛みが走った。自分の手先と、左頬にだ。


「あ、あれ?」


 気づいた時には、俺は拳銃を取り落としていた。ドクはと言えば、相変わらず落ち着いた様子で先ほどと同じ場所に立っている。


「大丈夫かね、佐山くん?」


 穏やかな笑みを浮かべるドク。

 その時になってようやく気づいた。俺は頬を叩かれ、拳銃を落とされたのだ。目に見えない速度で接近したドクによって。


「おっと、すまないな潤一くん。速すぎたかな?」


 俺は中途半端に頷くことしかできない。


「ではこうしよう。私はもう少しゆっくり動く。ただし、打撃は一打ずつ重くなる。どうだろう? 潤一君は、どんな手を使っても構わない。が、私から目を離してはならない。それで君がどれだけ粘れるか、試させてもらう」


 再び『どうだろう?』と問うてきたドクに向かい、俺はすっと銃口を上げた。まともにやり合って勝てる相手ではない。先手必勝だ。


「うっ!」


 発砲の反動に、俺の腕が跳ね上がる。それでもなんとか、ドクから目を逸らすことはしなかった。

 そして、見えた。ドクが身を捻って銃弾をかわし、その勢いで回し蹴りを繰り出すのが。

 ドクのつま先は見事に俺の脇腹を薙ぎ払い、俺を真横にふっ飛ばした。


「ぐあっ!」


 泥の中に倒れ込む俺。べちゃり、という嫌な音と、強烈な土臭さが口に入ってくる。


「おお、すまないな。だがここからが本番だぞ、潤一くん」


 俺が拳銃を拾い上げ、立ち上がると、再びドクは接近してきた。


 それから先は、ドクの一人芝居だった。僕はなんとか、ドクの姿を視界に入れながらも、まともな対処ができないでいた。蹴られ、殴られ、ふっ飛ばされて、身体中が痛んだ。

 一発一発は、致命傷には程遠い。しかし、連続する打撃によって、俺はどんどん体力を奪われていく。


 今日だけで何回目だろう、俺はまた、頭から水たまりに突っ込んでいた。呼吸は荒く、立ち上がるのもやっとといった状態。なんとか銃口をドクに向けようとしたところで、再び、しかし今度はゆっくりとした回し蹴りに見舞われ、ちょうどギャラリーのいる方へと蹴り飛ばされた。


「う……」


 横倒しにされた俺は、無理やり胸倉を掴まれ、勢いよく引き上げられた。


「てめえ、なんだその体たらくは!」

「お、おい憲明!」


 葉月が止めに入ったが、憲明は意に介さず、唾を飛ばしながら俺を怒鳴りつけた。


「俺はな、こうしてドクと手合わせした時、それなりに戦ってみせたんだぞ! 当てた拳は二発や三発じゃねえ! それに比べて貴様はなんだ? 一発も掠りやしねえじゃねえか!」

「う、ぐ……」

「ドクの手を煩わせるまでもねえ、俺がてめえの貧弱さを思い知らせてやる!」


 そう言って、憲明は俺の右側頭部を拳で強打した。ばちゃり、といって、再び泥の中に没する俺。


 そうか。俺には復讐するどころか、立派に戦ってみせるだけの力もないのか。一体俺は何をやっている? このまま気絶してお払い箱になるの自分の身上を、黙って受け入れるしかないのか?


 その時だった。ドクに翻弄され、曖昧になっていた俺の意識が覚醒したのは。

 俺は飽くまで、ゆっくりと立ち上がった。膝を着き、姿勢を正しながら。それから、深呼吸を一つ。


 ふと横を見ると、憲明が異様なものを見るような目で俺を見つめていた。俺が何かしただろうか? ただ、変化があったとすれば、俺の気持ちの問題だ。

 負ける気がしない。次に憲明が迫ってきても、対処する自信がある。


「て、てめえッ!」


 案の定、憲明は殴り掛かってきた。が、遅い。いや、俺の体感時間が引き延ばされたのか。

 俺は身を屈め、憲明の懐に潜り込んだ。そのままストレートを一発、彼の胃袋に叩き込む。

 吹っ飛んでいく憲明の身体に無理やり抱き着き、そのままタックルを仕掛けるようにして押し倒した。


「がはっ! な、なんで俺が……!」


 ふと視線を飛ばすと、先ほど放り出した拳銃が目に入った。

 俺はなんの躊躇もなく、その拳銃を手にし、すっと憲明の眉間に突きつけた。そして、パン。


「え?」


 この間抜けな声は、俺の喉から発せられたもの。狙いが強制的にずらされたのだ。横合いから肩で突っ込んできた、ドクによって。


「よせ、潤一くん! さもなくば、私は君を殺さなければならなくなる!」


 ドクは、その痩身からは想像もできない勢いで俺を宙に放り投げた。拳銃はとっくに取り落としている。

 俺は回転しながら、今日幾度目か、泥の中に突っ伏した。すかさず俺に馬乗りになるドク。


「許しておくれよ……!」


 そう言って、ドクは拳銃の把手で俺の左側頭部を強打。と同時に、俺は自分の意識が遠のいていくのを感じた。途中、葉月が俺の名を呼んでいるような気がしたが、今となっては定かではない。

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