第7話

《佐山、大丈夫か?》

「は、葉月? 俺だ、佐山だ! い、一体何が起こって……?」


 すると、軽いため息をつくような音が混じった。


《怪我はないんだな? 無事ならそれでいい。混乱しているところ悪いが、君はどう思う?》

「ど、どうって、何が?」

《君を殺そうとした連中だよ。まあ、君をピンポイントで狙ったわけではないだろうが》

「さ、さっきの地下鉄のテロ……」

《そうだ》


 僅かな間が開いた。救急車のサイレンが、マンションそばの大通りを駆け抜けていく。


《君はまだ、テロリスト狩りをすることに躊躇いはあるか? 逆に言えば、こんな悪行を為している連中を生かしておいて、気は済むか?》

「そんなわけないだろう!?」


 俺は素っ頓狂な声を上げた。額に嫌な汗が滲んでくる。


《佐山、君は私たちに協力する。その見返りに、この街からテロリストを根絶し、ご家族の仇を討つ。どうだ?》

「あ、ああ! そうする! あんな光景を見せられて、黙っていられるか!」


 スマホの向こうで、葉月が口元を引き締めたのが見えたような気がした。


《それでは今日の午後七時に、テロの現場になった駅の向かいのファミレスに来てくれ。念のため、この前の名刺と写真は持参すること。以上だ。質問は?》


 いきなり『質問は?』と言われて、どうこう言い返せる精神状態ではない。そんな旨のことを、俺は口走ったような気がする。


《了解だ。ではまた後で》


 そう言って、葉月はすぐに通話を切った。


         ※


 同日、午後七時半。

 俺は普通乗用車の後部座席で、例の写真を見つめていた。


「こいつがダリ・マドゥーなのか」

「そう。君のお母様を殺害した張本人だよ」


 ファミレスに着いた時、俺は葉月と再会し、この車に招き入れられた。今は、海岸線のバイパスを緩やかに走行している。カーステレオからは、穏やかなクラシックが流れていた。俺を落ち着かせるための、葉月の心遣いだろうか。


 ダリ・マドゥー。男性。年齢は四十代前半で、国籍は推定南米であるとされている。

 俺は薄暗い中で、じっとそいつの写真とにらめっこをしていた。


 一言で言えば、西部劇から飛び出してきた陽気なカウボーイだった。褐色の肌に真っ白い歯、それに太い葉巻をくわえ、他人を小馬鹿にするような笑みを浮かべている。真っ青な瞳が印象的で、その頭にはカウボーイハットが被せられていた。


 俺はそいつの顔かたちを、頭に刻み込んでいた。大まかな特徴から、無精髭の一本一本に至るまで、はっきりと。こいつが俺の家族を滅茶苦茶にしたのか。


 絶対に殺してやる、と言いたかった。しかしまだ、人を殺したり、自分が殺されたりするかもしれないという事実の前に、恐怖心があることは否めない。


 俺が無言でいると、突然ガタン、と車が揺れた。


「な、何だ!?」

「落ち着け佐山、山道に入っただけだ」


 写真から目を離し、視線を前方に送る。そこには、両脇を太い木々で挟まれた、未舗装の道があった。『じき到着するぞ』という葉月の言葉に、俺は一つ、息を飲む。確か先ほどは、アジトに案内するということを言っていたはずだが、それがこんな山奥に?


 俺が疑問に巻かれているうちに、車は静かに停車した。あたりはすでに真っ暗で、一体どこに連れてこられたのか、不安が胸中に湧き出てくる。


「私は車を入れてくる。少し待っててくれ」

「わ、分かった」


 俺はおずおずとドアを開け、外に一歩、踏み出した。ここ最近の雨のせいか、ぐちゃり、と泥が俺のスニーカーにまとわりつく。視線を上げると、そこにはボロボロになった木造の建物があった。


「寺か?」


 そこにあったのは、濃密な木々の匂いを従え、しかし威厳の失せた寺院だった。これが、アジトなのか?

 俺は葉月に尋ねようとしたが、車は既に寺の裏手に回っている。誰かに自分の存在を知らせた方がいいだろうか。


 そんな迷いは、一瞬で消え去った。背後に突然現れた、殺気によって。


「ッ!」


 身体が一瞬で硬直する。同時に、カチャリ、という冷たい音がした。俺の後頭部からだ。

 この殺気の中で響いた金属音。これは、銃器の立てる音ではないのか? だとしたら、もちろん狙いは俺だろう。

 一体何をどうしたらいいのか分からず、足元から震えが上ってきた時、ドスの効いた低い声が、俺の鼓膜を震わせた。


「動くな」


 そう言われては、動くわけにいくまい。しかし、今度はさっきと逆に、身体が不自然に動き出そうとした。脱力し、その場に崩れ落ちそうになったのだ。


「手を上げろ。不審な動きをしたら殺す」


 俺が全身全霊をかけて、両腕を頭上にやろうとした、その時だった。


「おい、憲明!」


 ばちゃばちゃと泥水を跳ね飛ばしながら、葉月が戻ってきた。その視線は俺から少しズレている。俺のすぐ背後に語りかけているようだ。


「新入りを脅かすなと言っておいたはずだぞ!」

「ああ、悪いな」


 背後からの殺気は、すぐに消え去った。


「その新入りとやらがどれだけ器のデカい奴か、確かめようと思ったんだが、とんだビビリじゃねえか」

 

 次に響いた、するり、という音は、背後に立っている男が拳銃をホルスターに収める音だった。

 男は俺たちに一瞥もくれずに、寺の中へと上がっていった。大男だ。巨大な熊のような図体をしている。まだ若いようだが、それで殺気を自在に操り、拳銃を扱えるとすれば、鬼に金棒どころの話ではない。


「は、葉月、今のは……」

「まあ待て。後でちゃんと紹介する。あいつは敵じゃないし、君もあいつにとっての敵ではない」


 仮にそうだとしても、一体どれほどの修羅場を経験すれば、あんな芸当ができるのだろう。あの巨躯を以てして、しかし気配を遮断しながら、背後に忍び寄るとは。


「さあ、私たちも行こう。君を皆に紹介し、ドクに会わせなければな」

「ド、ドク?」


 誰だ? 医者か?


「上がってくれ、佐山」


 俺は、いつの間にか葉月の腰にもホルスターが提げられているのを見て、ぐっと息を飲んでから境内へと上がった。

 障子がボロボロになった境内を抜けると、突然、綺麗な襖が目に入った。薄暗くても、幸い月明りで分かる。このくたびれた外見の寺において、そこだけが真新しい、というか機能しているようだ。


「アジトへようこそ、佐山。靴は脱いでから上がってくれよ」


 そう言って、葉月はすっと襖を開け、俺と一緒に奥へと踏み込んだ。

 その先に広がっていたのは、隙なく手入れされた畳の間だった。この寺の、あの外見からは全く想像がつかない。調度品の類はないが、柱も天井も輝かしいほどに磨き上げられている。


「うわあ……」


 予想外の光景に呆気に取られていると、突然、視界に小柄な人影が飛び込んできた。すたたたっ、と跳ねるように駆けてくる。


「お帰り、葉月!」

「ただいま、和也」

「もう、帰りが遅くなるならそう言ってよ!」 


 そう言いながらも、満面の笑みを浮かべる人影。先ほどの大男が熊なら、彼はリスのような小動物だな。


「待ってて、今味噌汁を温め直すから!」

「ああ、ちょっと待ってくれ」


 葉月は、和也と呼んだ少年(少なくとも俺よりは年少に見えた)の肩を掴んだ。


「紹介する。新メンバーだ」

「ほえ?」


 和也が振り返る。同時に、部屋の奥から鋭い視線が投げかけられた。そちらに目を遣ると、憲明と呼ばれていた人物があぐらをかいている。その手元には、自動小銃と思しき筒状の物体が収まっていて、分解掃除をされているところだった。


「二人とも聞いてくれ。彼は佐山潤一。先日のメイプルデパートでのテロで、両親を喪っている」

「あ、そ、それは」


 父親はまだ行方不明だ、と言おうとしたが、未だに見つかっていないところからするに、死亡したのは確定的なのかもしれない。そう思って、俺は黙り込んだ。


「あの大男は、大林憲明。重火器担当だ」


 俺はカクカクと頷いた。さっき俺を脅かした奴だ。忘れるものか。しかし、すぐに興味が失せたのか、憲明は手元に視線を戻してしまった。


「そしてこいつは小野和也。狙撃による作戦支援が任務だ」

「君は潤一っていうんだね? 『ジュン』って呼んでいい?」

「あ、ああ。構わないよ」

「よろしく、ジュン!」


 憲明と違って、随分と愛想のいい奴だ。やや前髪が長すぎるような気がするが。右目が隠れている。

 しかし、俺の手を握ってぶんぶん振っている間に、その髪がふわり、と舞った。その時見えた右目に、俺は違和感を覚える。


「ん?」

「ああ、バレちゃった? この義眼」

「えっ」


 義眼だって?


「和也、佐山に話しても構わないか?」

「うん。なんか速攻で気づかれちゃったし」


 和也は気を悪くした様子もなく、軽く髪を押さえた。


「佐山、和也はな、両親から虐待を受けて育ったんだ」


 聞けば、和也の父親がアメリカ人らしい。狩猟のプロで、幼い頃から和也も猟銃にはよく触っていた。しかし、その父親の不倫がきっかけで家庭が崩壊し、和也だけが保護されたのだそうだ。


「ママの故郷だった日本に帰ってきたのはいいんだけど、ママは僕が保護されてから、すぐ死んじゃってね。僕も大人には恨みがあるから、このグループに入れてもらったんだ」

「そう、なのか」


 あまりにも赤裸々に語る和也を前に、俺はかけるべき言葉が見つからなかった。

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