第6話

 観たい番組があるわけではなかった。正直、テレビなど観ずに、さっさと寝ついてしまいたかった。今日は心労がたたっている気がする。

 だが、俺はテレビを観続けた。興味を引かれていたのだ。美奈川葉月という女性に。


 異性として、ということではないだろう。口づけをしたといっても、あれは無理やり向こうが強いてきたことだ。

 だが、彼女が口にした『復讐』『仇を討つ』という言葉は、すっと俺の心に染み込んできていた。そんなことができたら、どれほど無念が晴らせるだろう? 


 それに、今の俺には、失うものは何もない。将来のことなど、もっとどうでもいい。大人たちの都合で家族を奪われ、悲劇のヒーロー(というにはいささか若すぎるか)として扱われるのは、もう御免だ。


 そんなことを考えている間に、時刻は夜の八時を回っていた。だが、時間が経過するにつれ、不思議と眠気は頭の隅に追いやられていった。何が起こるのかを見極めたい、否、見極めなければならないという義務感、衝動が、今の俺をテレビに噛り付かせている。


「あ」


 俺は間抜けな声を上げた。しまった。どのチャンネルを見ていればいいのか、葉月に訊きそびれていた。教えてくれればよかったのに、どうしよう? 

 そんな心配が不要であることは、次の瞬間に証明された。唐突に、テレビ画面がニュース番組のそれに切り替わったのだ。


《番組の途中ですが、緊急ニュースをお送りします》


 何事かと俺が目を細める間に、画面が真っ黒になった。しかし、テレビの電源を切ったわけではない。画面の隅には『中継』の文字が表示されている。その『黒いもの』が、凄まじい勢いで立ち昇る煙であることを察するのに、俺にはしばしの時間が必要だった。


《本日午後八時過ぎ、繁華街の一角で、えー、爆発、爆発がありました。消防が現在、逃げ遅れた人の救出と、消火活動にあたっています。現在のところ、犯行声明は出されておりません》


 俺は呆然として、身動きできずに画面に見入っていた。またテロだろうか?


《警察によれば、本日深夜、ここで薬物の違法取引が行われる予定だったという情報が入っており、その取引を妨害する目的で、何者かが爆発を起こしたという推測がなされているということです。また、爆発の前に銃声と思しき音を聞いたという情報もよせられており――》


『我々は、テロリストを狩るテロリストだ』


 葉月の言葉が甦る。これは、彼女たちの仕業なのだろうか。いや、疑う余地はないだろうな。


 では、自分が葉月たちのグループに入った場合、一体どうなるだろう? 俺の胸中に去来した考えは二つ。


 一つ目は、自分が死ぬかもしれない、という恐怖だ。銃撃戦や爆弾の取り扱いなど、危険はいっぱいあるだろう。家族が喪われたからといって、僕まですぐに命を捨てる気にはなれない。


 二つ目は、もし復讐を果たせればどれだけ気分がいいだろうかという、一種の破壊衝動だ。人を殺すのがどういう感覚なのか、俺には想像がつかない。しかし、俺たちが狙うのはテロリストや犯罪者だけだ。そんな下賤な連中を駆逐するのに、どうして抵抗心などあるだろうか?


「ん……」


 俺は、この二つの考えの間で引き裂かれそうになった。

 自分の身を危険に晒してでも、この無念を晴らすべきか否か。


 そんな俺の背中を押すような出来事が起こったのは、その三日後のことだった。


         ※


 あらかじめ保存されていた、冷凍食品が底をついた。いや、本来だったら一日分の食料しか入っていなかったところを、半ば引き籠りになった俺がチビチビ食べたので、三日分に引き延ばされたのだ。


 水は蛇口を捻れば出るから問題ないとして、問題は食べ物。

 俺は、泥まみれの学ランを放っておき、新しいシャツとズボンを出して身に着けた。学校に行こう。

 幸い、伯父の言う通り金はある。学食なら安上がりだし、出来立ての食事にありつける。それに、いつまでも悩んで塞ぎ込んでいるわけにもいかない。


 葉月は、俺が自分たちの仲間に入るかどうか、制限期間を設けたわけではない。まだ、人殺しにならずとも生きていける。友人たちに会って、凍り付いた心が少しでも温まれば。

 いや、それはないな。友人たちも、結局俺を腫れ物扱いするだろう。友人たちが大人たちほど冷酷ではないにしても、彼らにはしっかりとした生活基盤、すなわち両親や家族がいる。それに比べて、ということを考えれば、俺が下手な慰めの対象になることは間違いないだろう。


 そんなことを考えつつも、俺は身なりを整えて、鞄を肩に掛けていた。結局のところ、自分で動いてみなければ何も変わらないのだ。鏡を見て、寝癖を直した俺は、結局学校へ向かうことにした。


 三日目の悪天候が嘘のように、空は雲一つなく澄み渡っていた。夏に近づいた太陽の光が、久々に俺の目に差し込んでくる。俺は片手で目の上に庇を作りながら、駆け足で最寄の地下鉄の駅へと向かった。


 最寄りの駅は、いつも使い慣れたのと同じ駅だ。元々の俺の家と、今住んでいるマンションが近所なのだから当然か。

 階段を下り、それなりに込み合っているホームに出る。すぐに列車がやって来て、俺はいつも通り、すなわち爆弾テロの前同様に、最後尾の車両に乗った。

 そのことに意味はなかった。だが、それが結果的に俺の命を救うことになるとは。


 凄まじい轟音と振動が地下鉄を襲ったのは、まさに発車した直後のことだった。ドォン、というくぐもった爆音の後、足元が揺らいだ。最初は地震かと思ったくらいだ。

 だが、これが地震でないことは、すぐに明らかになった。


「おい、火事だ! 火事だぞ!」


 誰かの叫び声が聞こえる。火事、だって?


「火事ってどこだ?」

「ほら、車両の前の方だ!」

「まさか、また爆弾テロじゃねえのか?」


 声を掛け合う大人たちを押し退け、俺は車両の前方へ飛び出していた。しかし、すぐに黒煙が前方から迫ってきて、視界が奪われる。爆発の衝撃によるものだろう、ドアが半開きになっていたのを認めた俺は、躊躇いなく線路へ降り立った。


 メイプルデパートでのテロの時、両親は買い物に行くと言って、俺は家に一人でいた。だから助かった。しかし、今度は俺の乗った地下鉄が爆破された。俺が殺されるところだったのだ。

 だったら今度こそ、現場で何が起こったのか、それを見極めてやる。その惨状を胸に刻みつけ、頭に叩き込んでやる。そうして、テロリストたちのもたらした悲劇を、明確に証言できるようになってやる。自分の力で。


 俺は口元にハンカチを当て、黒煙を避けるように身を屈めて、窓ガラスの破片に気をつけながら前進した。

しかし、そこに展開されていた惨劇は、俺の予想を遥かに上回るものだった。


 ぬるり、と足の裏が嫌な滑り方をし、俺は転倒しかけた。なんとか壁に手をついて、姿勢を保つ。そこから先は、煙だけでなく炎までもが噴き出しており、進むことは危険だった。

 その時、ようやく気づいた。自分が血の海に足を踏み入れていたことに。


「ひっ!」


 思わず、悲鳴を上げかける。しかし、俺は喉から下が固まってしまったかのように、動けなくなった。


 地獄とは、こういう場所を言うのだろうか。人の手足が散らばり、赤や紫の肉片があたりを覆い尽くしている。まるで、血の海にぷかぷか浮いているかのように。

 そんな中、動くものがあった。俺は口元に当てたハンカチを噛みしめ、『それ』を見る。


 子供だった。ハイハイするような体勢で、別な何かに向かって這っていく。

 その先にあったもの。それは、上半身だけになった死体だった。

 恐らく女性のものらしいとは分かる。だが、子供はそれが死体であることに気づいていないのか、弱々しく手を伸ばして、肩を揺すり始めた。


「――!」


 それ以上見てはいられなかった。俺は慌てて振り返り、猛ダッシュで先ほどの道のりを逆走した。きっと周囲からは、発狂しているかのように見えただろう。事実、俺はその一歩手前だったと思う。


 なんとかホームに上がり込んで、地上への階段を上り切る。そして太陽光に晒された瞬間、俺は思いっきり嘔吐した。正確には、胃液を逆流させた。胃袋には、水以外入っていなかったからだ。


「君、大丈夫か!」


 その声に顔を上げると、消防隊員が俺の肩に手を遣っていた。


「怪我はないか?」


 俺は必死に階段の下を指差し、消防隊員の腕を振り払って、マンションへと駆け戻った。

 連絡を取らなければ。両親の次は、俺自身が殺されるところだった。生き残るには、テロリストを戦わなければならない。


 部屋に戻り、机の上に置かれたままの名刺と写真(葉月に渡されたものだ)を確認する。そして電話をかけようとした瞬間、俺のスマホに着信があった。

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