ナスレス・オブリージュ ~茄子は優雅に人類を滅ぼす~

クスノキ

ナスレス・オブリージュ ~茄子は優雅に人類を滅ぼす~


 逃げろ! 逃げろ! 逃げろ!


 俺は必死になってそいつから逃げ出していた。舞台は廃墟。危険と安全を示す信号機はすでに色をなくし、人々が仕事を営んでいたビルは崩壊している。


 この世界に安全な場所なんてものは、もう存在していないのだ。あるのは危険な場所か、危険かもしれない場所か。どこにいても、あの悪魔たちは俺たち人間の匂いを嗅ぎつけて追いかけてくるのだから。


「あぅ……」

 瓦礫につまずいて転んでしまった。背後からあのおぞましい気配が迫る。俺は振り返った。振り返ってしまった。

 そして絶望する。


「ひっ……あぁ」

 俺の後ろにそいつはいた。終末を体現したかのような禍々しい紫色の空から降り注ぐ絶望の夕日がが、そいつの姿を照らした。


 そいつの肌は終末の空と同じ紫。手も足もない、つるりとした、胴体。


 ないのは手足だけではない。

 その気になればすさまじい速度で動く癖に、関節や筋肉といった肉体を動かすための器官を一切持たず、やろうと思えば百キロ先の人間の存在を感知するにも関わらず、外界を認識するための目や耳もない。


 ただ一つ、円筒状の体のてっぺんに緑色の髪の毛じみたものを張り付けている。


「……」

 そいつは言葉を持たない。そいつは慈悲を持たない。高貴なるプライドと、隔絶した実力をもって問答なしに、人類を侵略する悪魔だ。


 そいつは音もなく俺に迫る。そいつの体はわずかに宙に浮いていた。


「富裕(浮遊)個体! そんな、そんなことが」

 やつらは強い。だが相手が一般個体ならば、まだ救いはあった。だがこいつは違う。


 富裕(浮遊)個体は連中の中でも選ばれた存在だ。最高移動速度はマッハ七三にも達し、そいつが駆け抜けた後には、塵と紫色のあれしか残らないという。


 そう、紫色のあれ。あれこそが俺たち人類を絶滅一歩手前に追い込んだ存在。


「茄子。俺は、もうダメなのか……?」

 人類の侵略者の名前は茄子。俺たち人類は、茄子によって滅びに向かっていた。



   ***   ***



   ***   ***



 茄子が人類に反旗を翻したのは、今から約半年前。


 もともと茄子は世界的に愛されている野菜の一つだった。和食で言えば揚げだし茄子や焼き茄子、田楽焼き。中華ならマーボーナス。西洋であればラタトゥイユやパスタの食材にと、好き嫌いのはっきりわかれる野菜ながら、人類から確かに愛されているはずの野菜だった。

 そりゃ、あのずちゃずちゃした感覚が嫌いだとか、表面は紫色のくせに、中身は白いとかマジキモイ。色がちょー毒々しい。絶滅すればいいのに……なんて意見もあろうが、全世界から愛されていたはずなのだ。


 その茄子が、人類を裏切った。茄子は突然野菜の域を離れ、人間を襲う怪物と化した。紫色の暴力だ。

 最初、人類は茄子のことをなめていた。野菜が突然動き出したという事実。その不可思議。おかしくはあっても、たかが野菜風情が人類様に逆らおうなどと片腹痛い。


 そう思っていた時期が、人類にもありました。


 だがしかし、その認識はすぐさま覆されることになる。茄子が人類に反旗を翻してから一週間。まず茄子の生産が世界一位であった中国が落ちた。人口十三億を数える中国でも、全世界の茄子のおよそ六割を生産し、年間三千トンは出荷される茄子の重みには耐えられなかったのだ。


 かくして中国は中華人民共和国ならぬ中華茄子民共和国となり、流れるように生産第二位のインドは茄子ドにエジプトは茄子プトへと変わった。


 語呂が悪いなどと言ってはいけない。作者は必死に考えた。


 茄子たちの戦闘方法はシンプルだった。彼らは小さい。しかしその小ささこそが武器だった。

 奴らは地面を転がり、人間たちの口の中に自らを突っ込む。茄子がお子様から嫌われる原因の一つであるあの薄気味悪い弾力こそが、茄子の武器。そう、


 窒息死。


 茄子の反乱最初期では、茄子の自爆戦法ともいえるような戦い方に、多くの人間が殺されていったのだ。

 白目を剥き、口に茄子を突っ込んで。


 無論、人類も黙って茄子を口に突っ込んでいたわけではない。茄子の戦闘方法が口に自分たちを突っ込むことだと知るや否や、人類は口を防護マスクで守り始めた。

 これでは茄子は人間を殺すことはできない。茄子の侵攻もそこまでかと思われた。


 しかし、茄子は強かだった。茄子は人類を滅ぼすために、さらなる狂気的な作戦に打って出る。


 それが物量作戦。自分たちを口に突っ込ませてくれないのならば、全身を茄子の海に沈めてやろう。茄子は数百、数千もの群れとなり、人類を押しつぶす行動に出たのだ。

 圧巻だった。視界を覆わんほどの茄子が人々の住む町に襲い掛かってくるのだ。それはまさに津波。紫色の災害だった。


 ところで、賢明なる読者諸君であればもうお気づきだろう。そう、























 茄子の数が、多すぎやしないかと。



 茄子が物量作戦に打って出たのは、茄子との戦争が始まって一か月が経ってから。それまでの戦いで、茄子たちにもたくさんの死人、もとい死茄子が出ていた。

 最初期に用いられてきた窒息作戦は諸刃の剣だ。一人の人間畜生を殺すために、一個の貴重な茄子の命を散らしてしまう。


 つまり、人口十三億人の中国を滅ぼすために十三億の茄子が尊い犠牲となったのだ。


 さらに、人間を殺せずに命を散らした茄子も山ほどいる。銃で撃たれ、包丁で斬られ、気持ち悪いと足蹴にされ、動く茄子とかキモっと言われ、数多の茄子が無念のままに散っていった。

 だがご存知だろうか。茄子は英語で『エッグプラント』という。だからなのかは知らないが、茄子は自らをエッグとして、人間にプラントする能力を得ていたのだ。


 茄子は死んでも死なない。人間の口の中にトライして死んだ茄子は人間の死体に根を張る。そして人間を養分にして、新たな茄子を生み出すのだ。


 死んだ人間は栄養たっぷり。しかも使うのは一度きりだから茄子の弱点である連作障害も発生しない。

 人間の死体一つから生まれる愛おしい茄子の数は百前後。こうして茄子は数を減らすどころか、増やしながら侵攻を続けていった。


 さらに、窒息死を恐れるが故に口にマスクをするという人類の選択は、大きな過ちであった。


 茄子による窒息死が防がれ、茄子は人間を圧死させる方向に自らをシフトさせていった。だがそれは生半可なことではない。大抵の人類どもは、高貴なる茄子様が襲ってくださったというのに、その汚い手で茄子様を振り払うのだ。

 それは茄子様に対する冒涜。何よりも許されざる行為であり、鬼畜外道にも劣る行為であった……失礼。


 ともあれ、茄子は人類の反撃を許さぬために、速さを求めていった。


 人類に振り払われるよりも速く。


 銃で撃たれるよりも捷く。


 人類が気づくよりも迅く!!


 自らを犠牲にしつつ、戦う茄子の進化は速い。彼らは少しずつその速度を速めていき、ついに音速の壁を越えた。

 そして茄子を生み出した地球の重力すら克服し、高貴なる茄子たちの貴族。富裕(浮遊)個体が生まれたのだ。


 この富裕個体の誕生によって、人類は大きな衰退を余儀なくされた。富裕個体は強い。コンクリートでできた壁などたやすく破壊し、富裕個体のさらにその上、高貴なる茄子の理論“ナスレス・オブリージュ”を獲得した茄子ともなれば、核シェルターの防壁ですら障子紙のように破りぬける。


 そのころになってようやく愚鈍な人類は核兵器の使用を検討し始めた。戦争が始まってから三か月。アメリカは茄子たちの聖地である中華茄子民共和国に、核ミサイルを発射することを決定。


 澄み切った青空に、核ミサイルが飛んだ。


 ならばこれで茄子は滅んでしまったのか? 答えは否。人間は、決断が遅すぎた。“ナスレス・オブリージュ”を胸に抱く茄子たちに不可能はない。

 アメリカの核兵器は、茄子たちの茄子兵器へと変貌することになった。


 “ナスレス・オブリージュ”の、力である。


 こうして茄子兵器を手に入れた茄子たちはアメリカ合衆国を茄子リカ合衆国に。自由の国アメリカは、高貴なる茄子の国へとなったのである。


   *


 そうした世界情勢の中、日本は比較的善戦した方であろう。その中心には一人の料理人がいた。

 その料理人の名は良治。茄子専門店『NASUBI』を営む漢であった。


 良治は茄子が人類に反旗を翻したと知るや否や、知人の料理人を集め、政府機関を説得し、対茄子組織を立ち上げたのだ。


 茄子はすべからく俺に調理されるためにある。


 良治の胸にあったのは、そんな鋼のように固く、茄子のように高貴な紫色をした信念だったのだという。


 良治の前ではいかなる茄子も敵わない。数多の茄子が良治に戦いを挑み、敗北した。良治の包丁さばきはまさしく茄子を“斬る”ことに特化しており、富裕個体ですら、おいしく調理されてしまった。

 良治の活躍により、日本人の約七三パーセントが茄子料理を好きになったという話だ。


 だがそんな良治も、“ナスレス・オブリージュ”に勝つことはできなかった。


 日本の最後の希望。茄子専門料理人良治は、日本最強と呼ばれた茄子に敗北してしまったのだ。



   ***   ***



   ***   ***



 そしてその茄子が俺の目の前にいる。あれは富裕個体なんて生易しいものではない。確証はない。でも間違いはない。


 縦長状のボディは茄子の黄金比率をとらえており、その色は鮮やかな紫。茄子と言われ、万人が思いつく紫色をその茄子はしている。それだけであれば、ただの凡庸な茄子だと思おう。しかし、その茄子は凡庸であるが故に、異様。茄子の中の茄子と呼ぶべき存在であると、見れば誰もが知れるのだ。

 豊かな弾力を伴った皮はともすれば頬ずりしてしまいたくなるほどで、醸し出される高貴さは、恐怖とともにひざまずきたくなる衝動に俺を襲わせる。


 その茄子の名は“茄子の与一”。日本最強であった良治を打ち破った最強の“ナスレス・オブリージュ”を抱く茄子だ。


 “ナスレス・オブリージュ”は高貴さであり、優雅さの象徴。恐怖と絶望に顔が歪み、哀れにも失禁してしまった俺に対して、ゆっくりと迫る。

 茄子の与一は俺の近くでピタリと止まった。発せられる覇気は俺を釘付けにし、しかし茄子の与一は何かを待っているかのようだった。


「まさか、戦えっていうのか。俺が? お前に?」

 茄子の与一は答えない。もとより人減と会話する器官など持ち合わせてはいない。あるいは良治ほどの男であれば、茄子の心を読み取れたのかもしれないが、その良治はすでに死んでいる。


 茄子の与一は無言のままに、そこに佇んだままだ。だが俺はそれを肯定と受け取った。


「そうかよ。やって、やる。やってやるさ。後悔するなよ茄子の与一ぃぃぃっ!!!」


 “ナスレス・オブリージュ”は高貴さの証明。だがそれは油断の現れでもある。俺は震える足を動かして立ち上がり、懐にしまい込んだ拳銃を取り出す。


 俺の手に握られているのはデザートイーグル。大口径の自動拳銃だ。これで奴を、茄子の与一を殺す!

 俺はためらうことなく引金を引いた。茄子の与一はその場にあるまま。


「あれ?」

 ガチン、ガチン。俺は何度も引金を引く。弾が、出ない。まさか、ジャムった? 神は俺を見捨ててしまったのか? いや、違う!


「ジャムったんじゃない。ナスったんだ」

 よく見れば、俺のデザートイーグルは紫色に変色を始めていた。愚かだった。遠距離型の“ナスレス・オブリージュ”を抱く茄子の与一に、あろうことか遠距離武器の拳銃で挑もうだなんて。


 それで終わりか? 茄子の与一がそう言った気がした。そして次の瞬間。


 茄子の与一の姿が俺の前から掻き消えた。


「消え、た?」


 突然姿を消した茄子の与一。まさか見逃してくれた? そんな腐った茄子のようにぐちゃぐちゃな希望が湧きあがる。


 だがそれは最高の調理をなされた茄子料理を目の前にした茄子好きが、その茄子料理を食べない可能性のようなものだった。

 つまりはゼロ。希望はない。俺の視界はずるりと落ちて行った。そしてボトリと、その場に崩れ落ちる。


「あぁ」

 俺の体は一瞬にして、両断されていた。


 それは神速を超えた茄子速。茄子の与一の”ナスレス・オブリージュ”は速さの概念すら塗り替えてしまうのだ。


 高貴な紫色を汚す汚らわしい赤色の雨が降る中、茄子の与一は俺の後ろに通り抜けていた。


 頭についた緑色のヘタ以外の傘も差さずにゆっくりと去る茄子の与一の姿はあまりに凛々しく、そして高貴だった。


 朦朧とする意識の中で、俺は思った。

「美しい……」



 人類は、茄子によって滅亡の危機に瀕している。

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