第22話 新たな出会い

9月18日の金曜日、まだまだ残暑が残る夕方だった。それに追い打ちをかけるように秋雨前線が南下して来ており、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつき、暑さをより助長させているように感じられた。智美は夢の中で楽しんだ、ここみなとライナーでの伊織とのデートに想いを馳せ、伊織の到着を待っていた。

「この辺で待ってると、目の前が真っ暗になって、伊織さんの声が聞こえてきたのよねぇ」智美はショルダーバッグを胸に抱え、胸の鼓動が早まっている事を感じていた。

「智美さーん!お待たせしました」伊織が桜町駅の方から右手を上げてやってきた。イメージと違った智美は、苦笑しながら、右手を上げて応えた。

「すみません。遅くなっちゃって。大分だいぶん待ちました?」伊織は急いで来たのだろう。ハンカチで首筋を拭いながら言った。

「そうでもないです。それよりもうお腹ペコペコ」智美はへこんだお腹をさすった。

「ですよねぇ。ここへ来る途中で、スマホで検索したんですけど、近くにスタンディング方式なんだけど、チェーンのステーキハウスがあるんです。こっちです、こっち」伊織は智美の意見も聞かず、さっさと行ってしまった。

(なになに?チェーンのステーキハウス?なんか色気も何もないじゃない!)智美はがっかりしつつも伊織の背中を追った。

店はこの地が開発された際に建てられた商業ビルの一階にあった。金曜日の夜と言う事もあり、店内は人々でごった返しており、肉を焼く炎が、蒸し暑い空気を、より一層に強調していた。食事のクオリティはスタンディング方式となっているせいか、コストパフォーマンスの割りに味は良かったのだが、幾分にも不快指数が高いせいもあり、イメージの違いから、とてもデートを楽しめる状態になかった。

食欲が減退している中、智美は無理やり、肉を赤ワインで流し込んだ。

「いやいや、美味かったですね。すみません、お勘定をお願いします」支払いはそれぞれに飲食した分を、それぞれに払った。現代の若者の間では、極、普通の光景なのだろうが、二十世紀後半の伊織の母親と父親のやり取りを経験してしまった智美にとって、どこか物足りなさと、頼りなさを感じてしまっていた。

店を出た伊織は、海岸の方に歩き始めた。

「ねぇ、伊織さん。あの観覧車に乗らない?」雰囲気を変えたい一心で、智美は夢の世界同様に、観覧車での二人きりの世界を共有したいと考えた。

「観覧車?いやいや、高校生じゃあるまいし。それより腹ごなしに海辺を歩きましょう」伊織はそのまま海岸沿いへ向かって歩いていった。

「あぁ、潮風が気持ちいいですね」確かに蒸し暑い店内から出た後と言う事もあり、幾分かの心地よさは感じられた。しかし多湿な空気に塩気を帯びた潮風は、肌のベタつきをより強調させるだけにしかならなかった。

「伊織さん、ごめんなさい。私、なんだか眠たくなってきちゃった。もう帰ります」智美はねた風に言ってみた。

「えっ?そうですか。じゃあまたメッセージ送りますね。おやすみなさい」智美の期待は、更に裏切られ、伊織はあっさりと智美の意見を受け入れてしまった。ベタついた身体のまま電車に乗る気になれなかった智美は、駅前のロータリーでタクシーを拾った。タクシーの車中、なんだか情けない気持ちと夢から醒まされた気持ちが押し寄せ、智美は嗚咽を漏らしてしまった。

マンション前に着いた智美は、一階のコンビニエンスストアで赤ワインとカマンベールチーズを買って部屋に上がった。

「なんだろう?どうしてだろう?夢の中の伊織さんとは全然違うよね。そもそも夢の中の伊織は、外見だけしか知らない私が作り上げた幻想だったのかも…」口に含んだカマンベールチーズの皮の苦味が、より一層に増しているように感じられた。智美は赤ワインでチーズを洗い流した。

「智美さん、ごめんなさい。私には伊織さんは合わないのかも知れません」智美は今は亡き、伊織の母親に謝罪した。


翌朝、智美はパソコンを開いて、メールチェックをしていた。

"相崎 智美様

 お久しぶりです。川田 美幸です。お仕事は忙しいですか?ウチに来られなくなってしばらく経つので、心配してメールさせていたたきました。また機会があれば、ご予約をお待ちしております"

「いっけない。事故があってから川田先生に連絡してなかったっけ。えーっと今度の教室の予定は…今夜か。定員は…?大丈夫、まだ空いてるわ。それじゃあ予約を入れてっと」夕方になり、智美は事故以来、初めての料理教室へ行った。

「まぁ、そんな事が。大変だったわね。皆さん、心配されてたのよ」教室で人気があった智美を、智美目当てで通っている男性生徒たちが取り囲んだ。

「相崎さん、連絡くれたらお見舞いに行きましたのに」

「なにを言ってるんですか?相崎さんは意識不明だったって言ってるじゃないですか。僕なんかなんとなくは察知してましたけど、何せ入院先が分からなかったからなぁ」

「嘘を言ってんじゃねぇよ。相崎さん、今日はビーフストロガノフだそうですよ。私と一緒に調理しましょう」

「抜け駆けは非道いですよ。相崎さん、是非とも僕と」余りの男性陣の勢いに、智美は戸惑ってしまった。

「ハイハイ、皆さん。所定の位置に着いて下さい。それでは先ずはベースのスープから作っていきましょう」講師の美幸が、頭上で柏手かしわでを打って男性陣をいさめた。

「あの…僕は今日が初めてなんですが、よろしくお願いします」智美が同じグループになったのは、初心者だと言う新谷 京平と言う同年代の男だった。

「あぁ、こちらこそよろしくお願いします。あっ、そこの包丁に注意して下さいね」智美はカウンターに無造作に置かれた刃物を指摘した。

「本当だ。ありがとうございます。色々と教えて下さい」新谷はへりくだったように頭をなでた。

新谷は初心者と言いながら、小慣れた手付きで食材を切っていった。玉ねぎのみじん切りも、きちんと縦横に切り目を入れてから刻む手順も分かっていた。

「へぇ、新谷さんって初めてにしては包丁さばきが慣れてらっしゃるんですね」ベテランの智美も感心した。

「えぇまぁ、子供の頃から両親とも共働きだったので、家で良く調理してましたから。でも全部が我流でしょ?だから料理を本格的に習ってみたくて」新谷は教室にきた動機を説明した。

新谷は包丁だけでなく、フライパンも器用に振って食材を炒めた。お陰で智美はやる事がなくなり、新谷の作業を見学する羽目になってしまった。

「皆さん、大体炒め終わったようなので、ここで味付けに取りかかりますよ」美幸はホワイトボードの前に立ち、調味料とその量を記入しながら、入れるタイミングやその根拠の説明をした。

「なるほど、ここでワインが入るんだ」新谷は熱心にメモを取り、真剣に聞いていた。智美は自分目当てで来る男性陣が多い中、真剣に料理に向き合う新谷に、好印象を覚えた。

「さぁ、出来上がりましたね。それでは皆さんで試食いたしましょう」試食が始まると、男性陣が次々に自分たちが作った料理を試食するように、智美の元に持ってきた。

「皆さん、そんなに持って来られたら相崎さんが迷惑するじゃないですか。少しは控えたらどうです」戸惑う智美を見兼ねて、新谷が注意した。しかし嫉妬に駆られた男性陣は、新谷を新人のクセになどと難癖をつけて、小競り合いになってしまった。

「皆さん、落ち着いて!自分で作った物は自分で試食して下さい」美幸が柏手を打って皆んなを収めた。

「先っきはありがとうございました。庇ってもらって」智美は新谷に小声で礼を言った。

「いえ、しかし何なんですか?ここの男性陣は。ここは料理教室なんだから、もう少し真剣にしてもらいたいですよね」新谷は鼻から空気を抜いた。

「そうですね。私も好意を持っていただくのは嬉しいんですけど、もう少しね…」智美は苦笑いを浮かべた。


「今日はありがとうございました。また来ようと思いますので、よろしくお願いします」新谷は丁寧に頭を下げた。

「こちらこそです。今日は楽しかった。また次を楽しみにしてます」智美は笑顔で新谷を見送った。

伊織との関係で、少しギクシャクしていたとろこに、思わぬ出会いが待ち受けていた。

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