第21話 長月の奇跡
伊織とお互いの気持ちを確かめ合ってから一週間が経った。智美は9月から職場へと復帰し、約三ヶ月振りに出社していた。
夢の中ではマンユウコーポレーションへ派遣社員として勤めていた事になっていたが、現実にはれっきとした正社員として働いている智美だった。
「相崎さん、大変だったねぇ。身体の方はもう大丈夫なのかい?」頭髪が少し淋しくなった銀縁メガネの中年男性が寄ってきた。
「あっ、宮下課長、大変ご心配をおかけしました。この通り、元気いっぱい復活しました」智美は両腕を力こぶを作るような仕草をして、元気をアピールした。
「相崎、本当に心配したんだぜ」智美と同年代の男性が、格好をつけて近付いてきた。
「あぁ、三上先輩。ご心配をかけました」夢の中の三上は、クールだがやり手の営業マンだったが、実際には智美とコンビを組む事が多く、事あるごとに仕事帰りに飲みに行く機会があり、それを本人は自分に気があると思っている、勘違い男だった。
「本当、大変だったな。新規案件も出てきてる。また、頑張って活躍してくれよ」続いて白髪交じりの渋めの中年男性が来た。
「あーっ、岩下次長!ご心配をおかけして、すみませんでした。この通り、やる気、元気、相崎が戻ってまいりました」夢の中では出向先に飛ばされていた岩下だ。こちらは一番現実と違って、実際には宮下の上司であった。
「そうか、それなら早速、三上と一緒に新しいお客さんのところに行ってくれるか?」岩下は資料を智美に手渡した。
「任せて下さい…ってこれ?KBプロダクツ?」資料を見て、智美は目を見開いた。
「なんだ、KBプロダクツを知ってるのか?」
「いや、知ってると言うか、まぁ知り合いがいますと言うか…」智美は背筋を流れるものを感じた。
「そうか、それなら仕事が早い。向こうの担当者は千脇 伊織さんと言う方らしい。その人にお前の知り合いを紹介してもらうと話しもスムーズになるだろう」
「えっ、千脇?」
「なんだ。どうかしたか?」
「い…いえ、いってきます。さぁ、三上さん行きましょう」慌てて会社を出た智美は、営業車の助手席に、三上が運転席に乗り込んだ。
「なぁ、相崎、そろそろあの時の、返事を聞かせてくれないか?」智美は事故が起こる前に、三上から告白を受けていた事を思い出した。その時、智美は "考えさせて欲しい" と言うようなニュアンスでなく、遠回りに断わったつもりだった。しかし三上はそう取っていなかったようだった。
「すみません、私、恋人がいますんで」智美は今度はきっぱりと言い切った。
「えっ?恋人はいないって言ってたじゃないか?一体どんな
「えーっ、そうですねぇ、もう直ぐ分かります」智美は思わせぶりに返した。
思えば三上からの告白が、智美の深層心理に働き、伊織への淡い恋心と重なって、夢の世界での、あのような経験に繋がったのかも知れない。
三上は自動車をKBプロダクツ近くのコインパーキングに停め、二人は300mほど歩いた。夢の中でもそうだが、智美がKBプロダクツを訪れるのは初めてだった。
(へぇ、伊織さん、こんな綺麗なオフィスで働いてたんだ)オフィスは10年ほど前に出来たヒルズビルにワンフロア全てを借りて展開していた。その為、10ほどに別れているセクションごとに、入っている部署も違った。
「えっと?開発営業部…あっ、この部屋か。右へ行って、また右の突き当りか」案内板を見ながら三上が伊織のいる場所を探した。「違いますよ、三上さん。案内板は壁を背にしてあるんですから、左に行って、右ですよ」先輩である三上だが、少し抜けているところがあり、そのフォローをするのは、いつもしっかり者の智美だった。岩下もその辺の特性を考えて、二人にコンビを組ませているのだろう。
「はじめまして、私はマンユウコーポレーションの営業部、三上と申します」
「これはどうも、KBプロダクツの千脇です」
「私は同じくマンユウコーポレーションの相崎です」
「あぁ、これはどうも、相崎さんね…えっ?」名刺に落としていた目線を上げ、伊織は智美を見た。智美は首を
「なんだ、智美さんだったのか?ビックリした」微笑みを浮かべて驚く伊織を見て、三上は察知した。
「も…もしかして?」
「ハイ!私の彼です」智美はコアラがユーカリの木に捕まるように伊織の右腕に抱きついた。さすがに三上も伊織を見て、この男には敵わないと思った。
伊織の作ったシステムは素晴らしいものだった。ユーザーである先方の業務内容が良く調べられており、作業をする人間の動線が良く考えられていて、効率良く作業する事が出来るように考えられていた。
「凄いです!これなら先方のお客さんもきっと納得してくれますよ。いやぁ、千脇さんに頼んで良かったです。今回、ウチとの取り引きは初めてでしたけど、これからもよろしくお願いします」三上はお世辞抜きに、心からの称賛を送った。
「こちらこそ、作業してて楽しかったです。また面白い案件があったらウチに回して下さい」
マンユウの二人が帰るのに、伊織はビルの下まで送ってくれた。通りまで出て、三上一人でパーキングに車を取りに行っている間に、伊織が話しかけた。
「智美さん。今週末とか時間ないかな?」伊織にとって、初めてのデートの誘いだった。しかし智美は慣れているのか、緊張もせずに返した。
「どこか行きたいトコある?」伊織に言われて、智美にある景色が浮かんだ。
「みなと!みなとライナーが良いです」
「みなとライナーか。OK!それじゃあ金曜日の夜に電話します」間もなく三上が運転する営業車が近くにハザードランプを点けて停まった。
「ありがとうございました。それでは失礼します」車は発進し、直ぐに三上が話しかけてきた。
「千脇さんとどうやって出会ったんだ?いつから付き合ってんだよ」男のプライドだろう。自分の方が長い時間を過ごしてきた自負はある。なのに突然現れた色男に意中の女性を奪われてしまった訳だ。
「どうやってって言われたら運命かな?いつからって言われたら、いつの間にかです」三上にとって、この言葉はぐうの音も出なかった。それ以上聞けば野暮であるし、かと言って智美の真意は分からない。"運命" と言う言葉は、恋愛においてこれ以上強い言葉はない。
週末がやってきて、現実の二人にとっての初めてデートの日がやってきた。仕事を終え、智美は心踊らせてみなとライナーへと向かった。
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