第18話 二人の智美

「ハッピバースディトゥミー♪ハッピバースディトゥミー♪ハッピバースディディアアタシ♪ハッピバースディトゥミー♪」ほの暗い部屋の中、1/8カットのイチゴのショートケーキに申し訳なさげに一本だけピンク色のバースディケーキ用のロウソクを立てて、相崎 智美は自分へのバースディソングを歌い、一吹きでロウソクの火を消した。

「ハイ、パチパチッ!今日で25歳だねぇ。一年寿命に近付いたねぇ。おめでとう!」お腹の中の子が千脇 伊織であると気付いた智美は、少し精神を病んでしまった。病院へは産婦人科へ行かず精神科を受診し、統合失調症と診断された。智美は診断書を持って派遣会社へ辞意を伝えたが、派遣会社とマンユウコーポレーションの好意により、病気療養休暇扱いにしてもらい、社会保険から病床手当てが出される事になった。

それからと言うもの、病院への通院(産婦人科も精神科も)はせず、外界との連絡も遮断し、引きこもった。そして二ヶ月近くの歳月が流れていた。

「あれ?もうワインないの?」智美はワインボトルを望遠鏡のように覗き込んだ。

仕方しゃあないなぁ。そんな時は、これをこうして "町の酒屋さん" 来て下さいっ…エイッ!…と」智美はパソコンを操作して、通販サイトから赤ワインを注文した。智美の外界との繋がりは、もはや、またに頼む飲料水や出前料理、アルコール類を配達してくれる配達員くらいになっていた。仕事もせずに引きこもる智美は、もはや "干物女" ならぬ "干物" そのものになってしまっていた。

「早く来い来いワインちゃん♪来ないとゲロを吐いちゃうぞ♪」髪はくせっ毛で覆われ、肌は荒れ放題、目の下にはくままで出来ていた。

「あぁあ。アタシなんで生きてんだろ?大体さぁ、人の二倍生きてんでしょ?早く寿命来いっつうの!」誰もいない部屋の中、誰に聞かせるでもなく大声でわめき散らした。

そうこうする内に、"町の酒屋さん" がワインとビール1ダースを配達して来た。再び智美は呑んだくれた。

「大体ねぇ、伊織!お前、なんで成長しないんだ?アタシをこんだけ吐き気で苦しめてるクセにさぁ、全然お腹出て来ねぇじゃん!」智美が言うように妊娠は五ヶ月に入っているはずなのである。なのにも関わらず、お腹は一向に目立つ気配がない。しかし悪阻つわりとも思える吐き気だけは慢性化していた。それは悪阻なのか、酔いなのか、はたまた病気のせいなのか。智美にも判別がついていなかった。

「ほら、来た…ト…トイレ…ウッ、ウォェーッ」こう言った時、大抵は吐き気と言う空気だけか、胃を真っ赤に染めている赤ワインが逆流してくる。今回も前列にたがわず真っ赤な液体が便器内を染めた。

「もう良い!死ぬ!死んでやるんだから」千鳥足のまま、智美はベッドに倒れ込み、そのまま眠りに就いた。



「智美さん…相崎 智美さん?」どこからか暗い感じのする女性の声が聞こえてきた。智美は周辺をうかがった。

「誰?アタシを呼ぶのは誰なの?」すると仄暗かった辺りのほんの一点が眩しいほどの灯りに照らされ、やがて光は大きく広がった。

「ごめんなさい…相崎 智美さん」そこには黒縁のメガネをかけ、黒いおげ髪、ベージュの丸襟まるえりブラウスにギンガムチェックのスカートを履いた、いかにも根暗そうな女性が立っていた。

「あ…貴女、誰?」智美には目の前の女性に、全く心当たりがなかった。

「私は千脇 智美…千脇 薫の妻で伊織の母親です」千脇 智美を名乗る女性は、申し訳なさそうに小声で名乗った。

「千脇 智美?(えっ?て事はアタシの将来の姿?イヤ、ないない)」智美が思っている通り、目の前の女性は智美とは似ても似つかない容姿で、スタイルも智美がFカップもの豊満なバストなのに対して、女性はBカップほどであろうか、洗濯板のようなバストをしていた。目の前の女性から智美のような容姿になるのなら分かるが、その逆は、物理的にも心理的にもありえない。

「正確に言います。私の旧姓は木下…木下 智美です。1968年、昭和43年11月10日生まれの享年25歳。勤め先は萬有商事でした。生まれは貴女と同じく石川県輪島市です」千脇 智美の言う事が本当だとすると、相崎 智美との共通点が偶然にしては出来過ぎなほどにある。先ずは名前が同じ智美である事。そして生年月日が全く同じである事。それに勤め先までが同じ萬有商事である事。そして生まれ故郷が彼女が言うように、同じ石川県輪島市。この類似し過ぎた二人の間に何があったと言うのか。

「で…でもさぁ、それっておかしいじゃん?アタシと萬有商事で同期のはずの貴女をアタシは見た事がないし、全然知らないもん。アタシは知らないのに、なんで貴女がアタシを知ってるの?」智美は頭がおかしくなりそうだった。記憶が混濁し、全く整理がつかないでいた。

「違うのです。貴女は相崎 智美であって、木下 智美でも、ましてや千脇 智美にもなりません。なり得ないのです」

「い…意味が分かんない。だって実際、アタシのお腹の中には、千脇さんの子供がいるんだよ。本意じゃなかったけど、エッチだっていっぱいしたんだから」言っている内に、智美は薫との情事を思い出し、耳まで赤くなっていた。

違うのです。それこそが私が貴女に謝らなければいけない事なのです」そう言うと、もう一人の智美は静かに目を閉じて語り始めた。



萬有商事に勤めるOLの木下 智美は、間もなく結婚を迎える事に胸を躍らせていた。

相手の男は年が明けてから、スポーツジムの再建を任された千脇 薫と言う男である。薫とは通勤電車の中、痴漢被害にあっているところを助けてもらい、それが縁で急接近して付き合うようになった。

薫は所謂いわゆるスポーツインテリと言うやつで、二十世紀後半に、まだ日本には普及していなかったスポーツ科学を学ぶべく、渡米した。そこで得た知識と学生時代の経験、経営学を学んだノウハウを活かして、アメリカでのジム経営で成功を納めた。

その後、日本で大学教授をしていた父親が脳梗塞で倒れたのを期に、ジムの共同経営者であった中国人男性に経営権の半分を譲渡し、帰国した。


智美はと言えば、たかが田舎の三流大学を出て上京。田舎から出てきた智美は、中々都会の暮らしにも雰囲気にも慣れず、カルチャーにも馴染めずにいた。仕事はと言えば残業や激務ばかりで、男性社員は、やたらとスキンシップにばかり勤しむ上司ばかりがいる、そんな会社に勤めていた。そんな社会環境に、とことん辟易してしまっていた。

そんな時だった。一つのある運命的な恋にちたのは。

休日に少しは洗練されようと、若者が集まる街に思い切って繰り出してみた。そんな智美に声をかける者があった。

男は名を伊集院 宗介と言った。伊集院はこの街に八店舗もの飲食店やブティックなどを経営していると言い、その服装センスも、流行りの男性デュオシンガーを彷彿とさせる三つボタンのスーツを着こなし、風貌も当時、持てはやされたスッキリしたしょうゆ顔だった。

伊集院は出会いから、一週間と空けずに自身が経営すると言うレストランで食事を楽しんだり、ブティックで流行りの洋服をプレゼントしたりと、智美を大事にしてくれた。気付けば智美は伊集院にすっかりはまってしまっていた。そんなある日だった。

「智美さぁ、実はマズイ事が起きちゃってさぁ。店を任せてる店長のやつが店の売り上げを持って、消えちゃったんだ。でも支払いは明日に控えてんだよ」伊集院は苛立っているのか、タバコを灰皿に押し付けて消した。

「えっ?お金ないの?」智美は心配そうに聞き返した。

「だってさぁ、一ヶ月分の売り上げだよ。それを全部。明日までに300万用意しなきゃいけないんだよ。困ったなぁ」伊集院は顔は上の空を向き、目線のみを智美に送った。

「あの…300万くらいならなんとかなると思うの。ちょっと待ってて」そう言って智美は銀行で金を卸し、伊集院に渡した。

その後も100万、50万、30万と小刻みに金を無心してきた。そして気付けば800万余の金を伊集院に渡していた。そして最後に10万を無理だと断ると、しばらくして伊集院は音信不通となってしまった。

それが詐欺である事は明らかであったが、智美にとって、金を騙し取られた事よりも、黙って音信不通になられた事の方がショックであった。そんな時の薫との出会いであった。

人間不信になりかけていた智美であった為、痴漢されている時は、正直なところは自暴自棄になっていた。このまま服を引き裂かれ、公衆の面前で真っ裸にされても構わないような気持ちだった。そんな自分を救ってくれたのが、逞しくも紳士的な薫だった。

智美がこの男に惹かれるのに、そう時間はかからなかった。そして薫も垢抜けないが純粋で人の良い智美に惹かれていったのだ。


やがて二人は子供を身ごもった事と、薫が新しい仕事で神戸に身を移さなければいけない事を切っ掛けとして、神戸での新婚生活をスタートさせた。

しかし二人の生活は、僅か一年余で終焉を迎えてしまった。たった一人の忘れ形見を残して。

死に直面した智美の魂は、愛息・伊織を求めてこの世を彷徨さまよった。そしてそんな愛息を思う智美の執念が、いくつかの共通点を持つ相崎 智美との間で不思議な引力を発生させたのだった。


「不思議な引力って何なの?」

「私にも分かりません。ただ、私は貴女に吸い寄せられそうになった時、貴女を利用しようと考えてしまったのです」

「じゃあ一体、アタシは何者なの?アタシの記憶のベースには、1993年を生きる貴女のものがある。本当のアタシは一体…」

「すみません。恐らくですが、貴女は生きてはいないと思います。けど死んでもいない…」

「ますます分からないじゃないのよ!何?生きても死んでもないって!」

「それでは貴女の生年月日はいつですか?」

「だから言ってるじゃん!1995年、平成7年11月10日だって……えっ?」辺りの光は、千脇 智美が現れた時と逆に、黒が広がっていき、やがて仄暗い闇の世界へと戻った。

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