第10話 就職

「良いですか?良質な筋肉を作る為には、プロテインが必要なのです。プロテインとは、つまりはタンパク質。そのタンパク質を多く含む食材選びが重要なのです」現代では当たり前な薀蓄を述べる薫に、智美は正直、うんざりした。それは現代の常識だからではなく、女性として、こう言う理屈っぽい感じが受け入れられなかった。

「へぇー、そんなんですね。でも千脇さんは鶏肉なのに、私は牛肉なのには何か意味があるんですか?」智美は精一杯に薫との話しを合わそうとして質問を投げかけた。

「VERY QUESTION!男性の場合は、美しい身体を作る上で、脂質は邪魔になります。しかし、女性はタンパク質と脂質をバランス良く取る事が、美しい身体を作る上で必要なのです。僕が頼んだメニューは、高タンパク、低カロリーの鶏の胸肉なのです。一方で、相崎さんのメニューは、タンパク質と脂質がバランス良く含まれた牛肉なのです。これでお互いにBEAUTIFUL BODYを目指せます」薫はキザっぽく親指を突き立てた。

「へ…へぇー、そうなんですね」(そう言えば、この人、伊織さんのお父さんの可能性があるのよね?伊織さんがアタシと同じ25歳だから、伊織さんはまだ生まれていない事になる…)

「あの…変な質問して良いですか?千脇さんは、ご結婚ってされてたりします?」

「いえ、してませんよ。恋人もいません」薫は二口分はあろうチキンをナイフで切り、それを一口で口に放り込んだ。

「そ…そうなんですね」(って事は、えーっと?そうか!二年後に彼は生まれるんだから、逆算しても仕込まれてもいないのか。彼がお母さんの胎内に宿るのも、一年先って事になるもんね)智美は何だかホッとして、ビーフステーキを一口頬張った。


「それでは良いですね?とにかく食事は野菜からですよ。その後にお肉、炭水化物や糖質は控えめに。分かりました?」仕事熱心なのは良いのだが、どこかクドい薫への返答をする智美の笑顔は引きつっていた。

「ごちそうさまでした。それではおやすみなさい」おおよそデートとも思えない雰囲気のままの二人きりの食事を終えて、智美は帰路に着いた。

「なんだろ?あの人。アメリカナイズされ過ぎてるって言うか、ホント変な人。それより千脇さんと伊織さんの関係は当然、千脇さんからは聞き出せないから、やっぱ未来で伊織さんから聞くしか方法はないか?なんか伊織さんに両親の事を聞くの、気が重いなぁ」智美は車内が空いている電車に揺られながらブツブツと一人言をつぶやいた。車窓には街のネオンが流れ、プラズマのような色とりどりの線を描き出していた。


「ふーっ、ただいま」智美は帰宅すると、誰もいない部屋に、ため息と共に挨拶を漏らした。

「男性との二人きりの食事をしたのに、一切ときめかないなんて、やっぱ千脇トレーナーは男性として見られないって事かな?」シャワーから上がった智美は、帰りがけにコンビニエンスストアで買った缶入りレモンサワーのプルタブをひねった。

「さぁ、明日は未来だ。明日…ってのも変か。とにかく明日の未来からアタシの新しい未来が始まるんだ!」はたから聞いていると、おかしな日本語を駆使くしして、智美は自分で決めた未来での行動に想いをせた。


夜が明けると、いつもの雀たちの声は身をひそめ、代わりにサーサーと雨音がれ聞こえていた。

「あーっ、アタシの新しい未来の幕開けだって言うのに、いきなり雨?

うーん、でもようは気分次第よ。アタシの行動で梅雨つゆぞらも吹っ飛ばしちゃうんだから!」起きた早々ブルーな気持ちになった智美だったが、持ち前の楽天的な性格で、前向きになると、背伸びをして気持ちを切り替えた。

「えーっと、昨日コンビニで買ったサラダから食べて、それからローストビーフね。そしてパンもコーンフレークも無しで、コーヒーはブラックで!」智美は千脇トレーナーの言いつけを守り、順序通りに朝食をった。

「あー、美味!でもなんか味気ないんだよね。でも伊織さんに相応ふさわしい女性になる為には、我慢も大事だよね」あの夜、伊織と肌を重ね合わせた夜、ちょうど良い具合に引き締まった伊織の身体と密着した自分の符抜ふぬけてしまった身体を、智美は恥ずかしく思ってしまった。男からすれば、愛する女性と重ね合わせた身体に、不満などあろうはずもないのだが、そこはやはり女心と言うやつなのだ。


朝食を終えた智美は、マンション下のコンビニエンスストアに行き、就職情報誌を取って来た。

「驚きだよね。就職情報誌が無料タダなんて。1993年では、情報誌って、確か200〜300円はしたもんね」智美は2020年に来た時に、働き口がない事を実感した。それならば、2020年でも働いて、少しでもお金を稼ごうと、また伊織との時間を充実させようと考えた。

「えっ!営業事務、時給1400円?高!……ってそうか、27年も経ってんだから、その分、物価も上がってんだろうけど、それにしても1400円って…てか何だろう?派遣社員って?」智美の生きる世界から2年後、関西で未曾有みぞうの大災害、阪神淡路大震災が起こった。それにより交通や住宅は大きな損害をこうむった。その為にJR神戸線の架線敷き直しや仮設住宅建設の為に多くの人材を必要とした。そこで人材確保の一端を担ったのが、人材派遣会社だった。それが所謂いわゆるアウトソーシングの始まりであると言われている。智美は当然、会社に人材を派遣する制度が当たり前になったこの時代を知らなかった。

「まぁ良いっか。時給だなんて言ってんだから、アルバイトみたいなもんだろうし」智美は応募記事を見て、派遣会社に電話した。そこで説明された派遣業の仕組みを聞き、ようやく納得がいった。

「なるほどねぇ。雇い主がこの "メインスタッフ" って会社で、就業先が "MANYU CORPORATION" って言う…えっ!マンユウコーポレーション?」智美は変な運命を感じてしまった。まさか27年越し、に自分が勤めている会社に、派遣会社を介してとは言え、勤める可能性が出て来る事になるとは、思いもしなかった。


後日、智美は派遣会社のスタッフ登録を経て、MANYU CORPORATIONの社内見学を兼ねた顔合わせに訪れた。MANYU CORPORATIONには、当然ながら知っている顔はなく、入社はトントン拍子に決まった。

こうして智美は1993年の萬有商事と、2020年のMANYU CORPORATIONを、1日置きに勤める事になった。

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