第5話 曇り空の幻

"ピコッピコッピコッ" 午前7時になり、目覚ましアラームが静かな朝をげた。相崎 智美はベッドの中、頭の辺りを手探てさぐりで時計を探し求めた。目覚まし時計は智美の右手の甲に当たり、ベッド下に落ちてしまった。

「もう、何なのよ!朝からついてないんだから」ベッドから起き出し、目覚まし時計を拾い上げた智美はアラームを止めた。そして、

そのままベッドに座り、昨日の出来事を思い出し、ほうけていた。

「あれって夢じゃなかったよね?」智美はおもむろに携帯電話を手に取り、電話帳を開いた。

"千脇 伊織 090-7○5○-8○○2"

「やっぱり夢じゃなかった。うーん…!」智美は枕を身体に抱え込み、ギュッと強く抱き締めた。

「さぁ、支度したくしよ!昨日は無断欠勤だなんて言ったら承知しないんだから」一人暮らしの長い人間のさがか、やたらと一人言を言うのがクセになってしまっている智美だった。


いつものようにコーンフレークにヨーグルトをかけた朝食を済ませ、化粧もばっちりと決め込んだ智美は、定刻通りの8時に部屋を出た。いつも通りの道を歩いていると、智美の目に、信じられない光景が飛び込んで来た。確かに昨日はなくなっていた内山紡績うちやまぼうせきの工場がそこに建っているのだ。

「えっ?何で?昨日は確かになくなってたよね。建てえた?…にしたって、一日で出来る訳ないし、前と変わらずオンボロだし」智美は思わず自分の左頬をつねっていた。

「痛いじゃん!何なのよ」訳も分からず駅に向かうと、駅自体も改札機も駅構内も全てが元のままに戻っていた。

「何?アタシ…夢を見てんの?」智美は携帯電話を取り出して画面を確かめた。

"6月1日(月)8:42"

「ほらね、いつも通りで…えっ!げ…月曜日?」智美の思わず出してしまった大声に、周りの人々の目線が突き刺さった。

(どう言う事?今日は2日の火曜日のはずじゃ?)

訳も分からないまま、ホームにしてしまっている智美の元に、いつも乗る急行列車が入って来た。智美は人々の流れにまかせるようにして乗車した。

やがて電車は停車駅二つ目の駅に到着した。智美の勤める萬有まんゆう商事の最寄り駅である。智美は到着までに気を取り直して下車すると、いつものように改札を抜けた。そして会社に着くと、智美の思いとは裏腹に、月曜日にしか行われない朝礼が行われた事により、自分の勘違いでも夢でもない事を思い知らされた。

(やっぱり昨日の事って夢だったのかな?でも電話帳リストには彼の番号が登録されてるし…)


昼休みになり、智美は思い切って伊織に電話してみた。

『お客様のお掛けになった電話番号は、現在使われておりません』

「はっ?何、これ。ちょっと待って!頭が090ってのも、おかしいよね。携帯電話って030から始まるんじゃ?そうだ!名刺があったよね」智美は財布の中をさぐった。

「あった!千脇 伊織。KBプロダクツの…えっとSEさんだよね」智美は伊織が勤めていると思われるKBプロダクツに電話してみた。

「すみません。そちらにSE?…の、あの千脇さんっておられますか?」

「はっ?SEとはどう言った事でしょうか?当社にはSEなどと言う部署はございませんが?」

「えっ?あの、部署とかは良く分からないんですが、千脇 伊織さんなんですけど、出社されてますか?」

「少々お待ち下さい…えーっとチワキと言う名字の者も当社には在籍しておりませんが?こちらはKBプロダクツですが、どこか他の所と勘違いされているのでは?」ここまで言い切られると、もはや嘘を言っているとも思えない。智美の頭は混乱した。

「分かりました。何かの勘違いでした。どうもすみません」電話を切った智美は、どこを見るでもなく、空間を見つめていた。

「何?詐欺さぎ?夢?嘘?まぼろし?いったい何なのよー」会社の屋上で、間もなく梅雨つゆ入りするだろうくもり空のように、智美の心までもずみけむりおおわれたように、悶々もんもんと曇っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る