第2話 運命の出会い

間もなくホームには急行電車が入って来た。智美にとっては、いつも乗る電車より二本遅い電車である。しかし、いつも30分ほど前には出社していた智美は、何とか間に合うだろう気持ちで乗り込んだ。車内は寿司すしめ状態と言うやつで、アルバイトの駅員達が乗客達を押し込めている。

『もう!これだから遅い時間に電車に乗るのはいやなのよ!寝坊なんてするアタシのバカ!』そんな事を思いながらも、何とか電車は定刻通りに出発した。

智美の立った位置は客席の間の中途半端な場所で、背丈せたけが低い智美にとっては、真ん中の高い位置にあるかわにも手が届かずにいた。

『これじゃあ、お化粧も出来ないじゃないのよ!今日は本当についてない日だわ』

寿司詰め状態の車内の中にあって、乗客が一歩たりとも動けないような状態が、かろうじて車内のれから智美を守っていた。

『何?お尻の辺り、変に当たってんだけど、このギュウギュウ詰めの状態じゃ、仕方ない…って!違う!さわられてる?も…もしかして痴漢?イヤー、誰か助けて!』声を出そうにも、息をするのもつらいような状況にあって上手く声が出ない。やがて智美の臀部でんぶまさぐる手は、上手い具合に智美のスカートをまくり上げ始めた。

『このままじゃ、下着から触られちゃうよ。お願い、辞めて!』せまい車内の中、智美は軽く背を曲げ、瞳を目一杯につぶった。その時、智美を触っていた手が徐々に離れて行った。

「い…てて!」智美の右隣にいた、メガネをかけた、小太りの男が声をもららした。

「オイ!アンタ、オレ見てましたよ。この女性の身体を触ってたでしょ?」智美の左隣にいた長身のピッとしたスーツが良く似合う若い男が小太りの男の腕をひねり上げていた。やがて電車は次の停車駅のホームに入り、ゆっくりとスピードを落として行った。

「アンタ、ここで降りてもらうからな」長身の男は小太りの男の腕をつかんだまま、やっと開いた扉から出た。智美も長身の男の影に隠れるように降車した。智美としては、遅刻の心配もあったし、触られていた時間もそれほど長くはなかったので、そのまま電車内に残って出社も出来たのだが、自分を救ってくれた長身の男が気になったし、お礼も言いたかった為、会社そっちのけで降りる事にした。

痴漢をした男は駅員により、そのまま駅長室へと連れて行かれ、事情を聞きたいとの事で、長身の男共々、智美もついて行った。

間もなく鉄道警察官が駅長室に現れ、事情を聞かれる事になった。

「それで、あの男にどんな感じに触られたんですか?」警察官の質問に智美は戸惑ってしまった。

「お巡りさん、彼女は被害者です。それも女性にとって卑劣な犯罪のね。オレは一部始終と言う訳ではありませんが、彼女が変な反応を示してから直ぐに異変を感じて、それからずっと見ていました。オレが話すので、彼女はオレの言う事が間違いなかったら相槌あいづちを打つと言う形の聴取にしてもらえませんか?」智美を救ってくれた、この千脇ちわき 伊織いおりと言う若者が智美をかばうように言った。

「それじゃあ千脇さん。あなたは何故、気付いてから直ぐに注意をしなかったんですか?」警官は鋭い目付きで詰問きつもんして来た。

「もし注意したとして、変な言い逃れされたら困るでしょう?車内は蟻の入る隙間すきまもないほど、寿司詰め状態だったんですよ。『さわる気はなかったけど、手を動かす余裕もなかったから、れてしまっただけです』なんて言われたら言い返す言葉もなくなるでしょう?」伊織は理路整然と警官の詰問を跳ね返した。

「なるほど。では、あなたが言ったように本当に触れてしまっただけと言う事はないんですか?」罪を追求する警察官と言えども、冤罪えんざいを生む訳にはいかない。あくまでも中立な立場での物言いだった。しかし、この千脇 伊織と言う若者は『そんな事も全て折り込み済みだ』と言わんばかりに動じる事も感情的になる事もなく答えた。

「もちろん、確信を持っていますよ。オレはしばらくは見ていましたが、触れていた手が徐々に動き出して、しまいには指を器用に動かして彼女のスカートをめくり始めたんです。そこでオレがあの男の腕を掴んだんですよ」伊織はそう言うと、同意を求めるように智美の方を見た。それを見た智美はコクッとうなずいて「彼の言う通りです。あのまま行ってたら下着から触られて、下着の中にまで…」智美はそこまで言うと、耳を真っ赤にして目を瞑った。

「なるほど、分かりました。まぁ今日はこれくらいで良いとして、また聴取にご協力を願う事があればよろしくお願いします」こうして痴漢被害者とその目撃者は開放された。


「あの…本当にありがとうございました。えっと…千脇さん?」

「いやぁ、男として当然の事をしたまでですよ。それより許せませんよね!」伊織はいきどおりを感じ取れるほど語尾を強めた。

「あの…改めてお礼がしたいので、ご連絡先の交換をしてもらっても…」智美は久しぶりに乙女のようなときめきを感じていた。

「お礼なんて…まぁ、連絡先の交換なら」そう言ってお互いに会釈をして別れた。


「やっぱり運命の出会いってあるんだ!きっと彼は独身で恋人もいないに決まってる!」

最悪の一日の始まりから、思ってもいない出会いに有頂天になった智美は、会社に遅刻してしまっている事も忘れて、すっかり浮かれてしまっていた。

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