第3話 広島、日ごろの行いは……
三日目。午前六時起床。
「おはよう。今日は……昨日よりも少し余裕があるんだね」
うん、おはよう。駅が近いっていうのもあるし、電車が何便も出ているのが大きいかな。早めに行くに越したことはないけれど、それでも昨日乗った高速バスよりは心持ちもかなり軽いよ。
「そう……良かったね」
……もしかして、三日目もまたちょっと違った性格って感じ?
「うん。大人しい、というか、無口で消極的」
なるほど。
今朝は起きてテレビをつけるところからスタートだ。チャンネルをニュースに合わせて、目的の情報が出るまで待機。
「目的の情報?」
もったいぶるほどのものじゃあないんだけどね。天気を確認しておきたくて。
「ああ……昨晩は、だいぶ降っていたからね」
昨晩っていうか、午後いっぱいは降ってたんじゃあないかな。実は、お好み焼きを食べに行くときもずっと雨が降っていて、翌日のことがちょっと気になってた。
「天気予報も、あまり芳しくなかった」
そうなんだよ。だから今朝のうちにきちんと確認して、それによって対策をしないといけないかな、ってね。
「そう……。それで、どうなの?」
天気予報を見ても、外の様子を見ても、それほど天気が崩れる感じはないみたいだ。降水確率は高いけれど、降るかどうかは日ごろの行い次第だね。
「……晴れると良いね」
そうだね。晴れるに越したことはないけれど、人が少なくなるから多少は雨でも良いかなとも思う。特にこれから行くところは晴れでも雨でも雰囲気は出るから。
「そう」
そんなこんなで支度して、東横インをチェックアウト。
「今日はコーヒーくらい飲んでも良かった」
うーん、実はお腹の具合がそんなに良くない。
「体調、崩してるね」
確かに……。鼻水は出るしお腹は痛いし、ちょっとよろしくないなあ。
一人旅だと並んでいる間にトイレに行くこともままならない。お腹を下しているときはそれが一番問題で、列に並ぶのがとても大変になる。
「昨日、お好み焼きを食べ過ぎたんじゃない?」
ドキッ。
「……自業自得」
そんなジト目で僕を見ないで……。
七時に広島駅を出発して宮島口で降りる。
「切符を買うとき、何か見てた」
いやあ、宮島行きの切符が売られてたんだよね。何だろう、どういうことだろう?と思っていたんだけれど、宮島口に着いて納得した。フェリーもJRのものなんだ。
「桃鉄でもフェリーに乗る……」
いやそうだけど、そうじゃなくってさ。もちろんJRではないフェリーもあるけれど、大鳥居に一番接近するフェリーがJRの方なんだ。
「大資本が、強い」
なんて現実的な話!宮島口駅からすぐ正面がJRだし、動線に従えば自然とそちらを利用する訳だ。
という訳で、宮島行きの切符を往復で購入。ついでにフェリー乗り場までどのくらい並んでいるのかを確認。
うわあ……めっちゃ並んでる。
「お腹、大丈夫?」
うーん、たぶん……。幸い雨もほとんど小雨だし、なんとかなるかな。
切符を往復で買ったのを忘れてポロリと落とし、近くの人に切符を落としたよと注意されるなどのハプニングもあったけれど、なんとか列に並んでフェリーに乗り込む。
なんてスムーズに行けるほど、今回の旅は甘くなかった。
「……目の前だね」
目の前だね。
フェリーに乗り込むその目前で、それ以上乗れないとストップを食らってしまった。正確には前にあと二、三人いたけれど、それこそ誤差だ。
フェリーは三艘を一つにくくってまとめたような船底をしている。中には自動車のままフェリーに乗り込む観光者がいて、剛の者だなと感心してしまう。
「現実逃避している場合じゃないでしょ」
そうでした。
「お腹は、大丈夫?」
うん、大丈夫そう。フェリー自体も一五分後くらいにはやってくるそうだし、その時にお腹が痛いようだったらフェリーのトイレを使えばいいかな、って。
目の前で乗れなくなったのも決して悪いことばかりではない。
言い換えれば次のフェリーに先頭で乗船できるということだ。JRのフェリーは厳島神社の海上大鳥居に接近する船である。
「つまり、大鳥居を見られるいい位置をキープできる」
そういうことだね。
「お腹が痛くなければね」
気合で乗り越えたいね。
間もなくやってきた別のフェリーが接岸し、僕はすぐさま乗り込んだ。
幸いお腹の調子はそこまで悪くなかった。三階までゆっくり上り、フェリーの右側前方をキープする。
「前方なのは、分かる。でも、何で右?」
フェリー乗り場の係員に聞いたんだよ。どちら側が大鳥居を見やすいですか、って。そうしたら、右側から見えるって言うから、そっちに陣取ったって訳。
「なるほど」
怪我の功名ってヤツだね。おかげで厳島神社を海から一望できる。
早めに出てきたにも関わらず、フェリーはあっという間に定員になった。すぐさま動き出す。下を見ると、海面がゆるやかに波打っている。
「メガネ」
おっとと、眼鏡がずり落ちそうだ。
「デジカメ」
そっちは大丈夫、ちゃんとストラップに手を通してるから。
「そう」
それよりも、前の方を見ようよ。あれだけ小さかった鳥居がだんだん大きく見えてくるよ。
「うん」
実際に来てみると、すごい景色だなあ。小雨もほとんど止んで、宮島の山に雲がかかっているのが神秘的だ。
「ねえ、アレは何?」
彼女が指さす方には、海面に井桁のような木枠が浮いている。何かを養殖しているようだ。広島で養殖しているものと言えば、アレしかない。
アレはきっと牡蠣の養殖場だね。
「牡蠣」
そうそう。海のミルクと言われる二枚貝だね。好きな人はめっちゃ好きだけど、貝だから食中毒が怖いし、僕はあんまり好きな味じゃあないんだよなあ。
「後で食べる?」
うーん……本場の牡蠣かあ……。でも、食中毒は怖いよなあ……。まあ、考えておくよ。
「そう」
三階の高さだからかなり揺れるかと思われたフェリーは、静かに、あっという間に宮島へと到着する。寝不足気味だったから船酔いも多少懸念はあったのだけれど、そんな素振りは全くなかった。
「厳島神社、すごい並んでた」
彼女の言う通り、フェリーから見えるだけでも厳島神社へ向かう参道には既に参拝客が列を作っていた。
だからと言って、旅の目的地の一つである厳島神社を見ないわけにはいかない。
並ぶのは覚悟の上、むしろ並ぶだろうと思っていたからこそ、朝早くにやってきたのだ。
「じゃあ、行こ?」
そうだね。
フェリー乗り場で切符を渡して宮島へ上陸。
道は砂を押し固めたような補装で、磯風が心地よい。土産屋や飲食店はやっている店とやっていない店がまばらで、宮島全体がまだ寝ぼけ眼といった印象だ。
「だってまだ八時半も回ってない」
確かに。
そしてまだ八時半にもなっていないにも関わらず、参道には参拝客が長蛇の列をなしているのだ。
「人気」
ゴールデンウィークだからね。
海上で何枚も撮った大鳥居だけれど、厳島神社へ近づけばさらに大迫力で見られるはずだ。
押し固められた砂の道を歩いて参道へと向かうと、そこにも大鳥居。朱塗りではないが、その大きさは他の神社にもひけをとらない。
「宮島、日本三景なんだね」
そうだね。松島、天橋立、宮島。海と島の対比が美しい、由緒正しき名勝地ってものだよ。
「松島と天橋立は、有名な句が残ってる」
松島や~、とか、大江山~、とかの話かな?あんまり僕も詳しくはないから話を膨らませることができないんだけど、確かに宮島、厳島を読んだ歌でコレ!っていう有名な俳句はあんまり聞かないかもね。
「でも、日本三景?」
コレ!って俳句は無いかも知れないけれど、読まれてないわけではないからね。あと、今調べたけれど、松島やって俳句は松尾芭蕉作じゃないらしいし。
「常識……」
常識だったのか……。って、それじゃあ何で有名な句が残ってる、なんて言い方をしたのさ。
「人口に膾炙しているという点では有名なのに変わりないから」
な、なるほどね……。
煤色の鳥居をくぐって参道へ。並んでいる人たちは恐らく参拝客だ。
「ねえ」
なに?っておお?鹿だ、鹿がいる。
「宮島の鹿は有名」
奈良ではなく?
「うん」
へえ。そして観光地らしくずいぶんと人懐っこい鹿だねえ。全然逃げる気配もないや。
「鹿と、松と、大鳥居」
いいねえ。参道が海岸線に沿っているからそこから大鳥居が見られるのも、植えられた松と海と朱塗りの大鳥居の色彩のコントラストも、素晴らしいの一言に尽きる。
「今は、潮が干潮に向かってる」
そうなんだ。ということは、今はまだ潮が満ちている状態?
「そう」
そう言われると、確かに大鳥居の下の方がずいぶんと水に浸かっているように見える。参道からは厳島神社自体はあまり見えないものの、満潮から水が引き始めているということは、今の神社はちょうど水に浮いたように見えるに違いない。
「並んでいるって言っても、流れは早い」
そうだね。案外あっさりと入れそうだ。昨日の大塚国際美術館然り、やっぱり朝一に観光するっていうのが大切なんだろうな。
「人がいない時間帯を狙う」
そうそう。
参拝料を払って厳島神社へ。入る直前に手水場で手を洗っていたら、並んでいない老人と中年の男性が割り込んで入ってくる様子などを見たものの、大人になってそういう罰当たりなことはしたくないものだと胸の内でつぶやく。
「神罰」
字面が強い。
予想通り、厳島神社は岸から伸びて海上に作られた神社といった雰囲気だった。干潮近くなるとこうはならない。海岸に作られた神社というだけでは神秘性に欠ける。水面に浮かんでいるように見えてこそ、神秘性が高まるというものだ。
「これから、どんどん潮が引く」
そういうことなら早めに観光しないとな。
厳島神社の良いところは、海の青、空の青と朱塗りの対比だ。曇天や雨天ではその対比にかげりが現れるが、宮島に訪れてから、少しずつ天候は回復してきていた。薄曇りの中に晴れ間が覗くこともあり、水面は鏡のようにきらめく。
「日頃の行い、良かったのかもね」
大阪の食い倒れや徳島のバス乗り継ぎ失敗なんかの不運がここにきて報われている感じはあるね。旅の目的の一つでこういう風に運が回ってくるのは嬉しいことだ。
「うん」
潮がひいてしまえば厳島神社の神秘性が損なわれる、と思ったけれど、そんなことはなかった。
急速に引いていく潮。海岸線はどんどん遠くなり、桟橋のような渡り廊下の下は砂浜へと変わっていく。
濡れた砂浜の上に建つ丹塗りの神社。
「悪くない」
そうだね、悪くない。
せっかくだからと御朱印を書いてもらおうと思ったら、参拝時の列に負けず劣らず長蛇の列をなしている。
「……並ぶ?」
御朱印帳もないしなあ……。
どうすべきか悩んでいると、列に向かって神主の一人が籠を片手にやって来る。
「御朱印はこちらで購入することもできます」
購入!そういうものもあるのか!
「いいの?」
全然構いませんよ。御朱印帳があるわけでもなし、単純に記念品として欲しいだけの身としては、買うでも全然問題なし。
「平成最後の日の、厳島神社の御朱印だけど」
いや、そんな特別っぽく言われてもね……。
という訳で、列に並ばずに御朱印を購入。神主に近寄って話しかけるだけでよいので問題も無し。
「神罰」
割り込んだわけでもないのでありません。
御朱印の近くでお守りやおみくじも売っていたので、家用のお守りを買い、ついでにおみくじも購入。
「おみくじ、一年に一回じゃないの」
そんなルールあったっけ?
由緒正しき棒引きのおみくじ。棒の先には3の文字。隣のくじ入れ抽斗から3と書かれた抽斗の一枚を手に取る。
「どう?」
大吉とか吉とか、書いてない……。
「そう」
それぞれの運勢に関して一言アドバイスのようなものが書かれているだけで、何かランク付けがされている感じではないんだなあ。
全体的に謙虚に過ごせみたいなことが書かれてる。
「旅行は?」
南の方角が良いって。
「じゃあ、良かったんじゃ?」
そうだね。
その後、厳島神社を一通り見て、ゆっくりと土産屋の並ぶ通りを歩く。
買い食いのできる店がついさっき開店したらしく、必死に呼び込みをしていた。
「焼き牡蠣」
本当だ。炭火で焼いた牡蠣だ。
「もみじまんじゅう」
できたてのもみじまんじゅうをお土産にか……。でもこれからまだ広島市内をまわる予定があるから、お土産はその時だな……。
「ん、これ何?」
なになに?……何だろうこれ?揚げかまぼこ?
「がんす」
がんす?ああ、書いてある。
「でがんす」
でがんす。広島名物らしいね、がんす。
「揚げたて」
食べてみようか。
会計を済ませて数分。揚げたてを手渡される。油揚げほどの大きさで、厚さは厚揚げを半分にスライスした感じ。きつね色で表面はカリカリ。熱々を食べると魚の旨味が口の中に広がる。
「おいしい」
うん、おいしいね。さつま揚げとかと違って表面にパン粉のようなものがまぶしてあるから、サクサクした食感があって、それが良い。
「お腹、空いてた」
朝食がまだだったからね。いきなり油ものは胃がビックリしてる感じはあるけれど、腹に少し入れたら余計にお腹空いてきたなあ。
「……ほかにも何か食べる?」
そうだね。
厳島神社周辺で何かを食べるという発想が無かったので、何が有名かとかどれが美味しいとかそういう考えは何も思い浮かばなかった。連日の強行な旅程で疲れが出ていたのかも知れない。
「調査不足」
うん、まさか宮島にこんなに飲食店が多いなんて思いもしなかった。そうだよなあ、島とは言え観光地なんだから、飲食店や土産屋があるのも当然だよなあ。
などと考えつつ、道すがらの開いている店でから揚げを買う。
「から揚げ」
瀬戸内レモン味のから揚げ。酸味があってうまいよ。
「牡蠣とか穴子とか揚げもみじとか……」
調査不足だったね。あと、牡蠣はそんなに好きじゃないし……。もし僕が牡蠣大好きな人種だったらヤバかっただろうなあ。
「そう……」
あ、何か失望の視線を感じる……。
結構な時間、厳島神社を観光していたと思ったのだけれど、それほどでもなかったらしい。大体一時間半ほどで宮島を発ち、フェリーに乗って本島に戻ったのは一〇時頃だった。
「時間、かなり余裕」
想定よりもずっと、ね。でも、今日のうちに関東まで帰ることを考えたらこのくらい早い方が良いのかも知れないよ。
「何で……?」
新幹線で座れるかどうかが問題になるからね。
さすがに帰りの新幹線で座れない、ってなると、かなり堪えるから……。
「そう、だね」
行きはJRだったものの、広島市内を行くには市電の方が良いと判断し、帰りは市電を利用する。
「路面電車」
うん。何ていうか……鳴門駅で乗った電車にそっくり……。
「お古?」
JRの方が市電のお古を使っている感じがするのだけれど、邪推は余計というもの。いずれにせよ、これから行こうとする場所へはJRよりもこちらの方がずっと早いし、安い。
「仮面ライダーウォズみたいな顔をした路面電車」
ダウナーな性格で若干ボケるのやめて……。
宮島口から原爆ドーム前駅まで乗り換えなしの一本。
降りて市内を眺めれば、広島市は路面電車の街なのだな、という景色。
「長崎も、路面電車の街だった」
確かに。……何か、そういう共通点があるのかも知れない。
「富山も、路面電車の町……」
やっぱり共通点無し。っていうか、何か字面の違うマチのイントネーションを感じたんだけど……?
「そんなことない」
路面電車を降りて横断歩道を渡ると、目の前には平和記念公園と原爆ドームが。
五月を迎える平成最後の日の、新緑に溢れた広島市内。原爆ドームは、昨晩の雨に濡れた木々の夜露に濡れているかのよう。
「これが……」
原子爆弾が投下された後も、こうして残っている瓦礫の建物。ダークツーリズムという言葉を思い出す。
自然と身が引き締まり、背筋が伸びる。本物を見るというのは、こういうことなのだろうと否が応にも思わされる。
「すごいね」
そうだね。
「広島っていうところは、こういう歴史を全部ひっくるめて成り立ってるんだ」
もちろん、広島に限ったことじゃないけれどね。日本という国が、原爆と敗戦から立ち上がってきたんだ。
「それは、ちょっと違う、と思う」
違う?
「この街が原爆から立ち直って、こうして素晴らしい街になってるのは、この街に生きてる人たちの力。主語は大きくしない方が、良い。成果を横取りしてるみたい」
……そっか。そうだよなあ。
自分が被爆した訳じゃあないし、戦争も敗戦も経験してない。知識だけであたかも自分が見聞き経験してきたかのように語っちゃいけないってことか。
「そう。私たちは、ただその歴史の上に立っていること、そして戦争の悲惨さを知っていることに自覚的であれば、いい」
いいこと言うね。
まあ、あんまり戦争だの平和だのを語っていると、いろんなところからツッコミが入りそうだから、僕としてはこれ以上話すのも気がひけるんだけど……。
「何で?」
何でって……。
「声の大きい人、主語の大きい人、いろんな人がいる。でも、それに怯えて自分の意見を言えなくなる世の中なんて、ダメ。センシティブだからって、一般人が声を上げられなくなったら、その国の表現は、なくなる」
余計な一言が身を滅ぼすこともあるしなあ。
「余計な一言じゃない!昔の人が起こした戦争から、昔の人が悲惨な目に遭った戦争から目を逸らして、口を噤んだら、それこそ先人に申し訳がたたない!」
……分かった。分かったから、そんな涙目で言わないでよ。
「あなたが……弱虫だから」
そうだな。原爆ドームに来て、平和記念公園に来て、戦争のことを考えずに、そして戦争について自分の考えを表さずに、何が旅行なんだ、って話だよな。
「そう」
……それじゃあ、慰霊碑に手を合わせて帰ろうか。
「ちゃんと、平和を祈っていこう」
そうだね。平和のバトンを受け取りに行こう。
原爆死没者慰霊碑の前も、長蛇の列ができていた。
並ぶ人々の周囲には、何に並んでいるのだろうかと興味津々に伺う人、何も供えるものがないと焦る人、外国人観光客、我関せずと平和記念資料館の列に並ぼうと横切る人など、いろんな人で溢れている。
「ヘリコプター」
薄曇りの空には、ヘリコプターが一台、けたたましく旋回を続けている。きっとどこかのテレビ局の情報番組でほんのわずかな時間取りざたされるのだろう。
「昭和の日、昨日だった」
そうだね。昨日は昭和の日だったけれど、今日は平成最後の日だからね。昭和、平成、令和をつなぐこの日に平和記念公園に来られたのは、良かった。
「ヘリコプター、うるさい」
そ、そうね。
あ、前の人たち、きっとカップルなんだろうけど、男の人の耳を見てよ。
「……?変な形」
ガタイもすごく良い。多分この人、柔道やレスリングなんかをやってた人なんだろうね。耳が潰れて餃子みたいになってる。
「有名な人?」
どうだろうね。僕は格闘技なんかには全然詳しくないから、顔を見ても分からないなあ。
「サイン、貰っておく?」
プライベートな時間にサインを貰うのはどうなのさ。
などと思っているうちに、慰霊碑の前にやってくる。馬の鞍のような慰霊碑の前に立ち「過ちは繰り返しませぬから」の揮毫が彫られた碑文に思わず涙ぐむ。
「原爆ドーム」
俯き手を合わせて、それから顔をあげる。
碑文と慰霊碑の間、その真正面に原爆ドームが佇んでいる。
「そっか、こうして手を合わせるんだ」
過ち、という一言に込められた思いは、本当に重いね。
「……ダジャレ?」
違うよ!ってかなんでこのシリアスで言うかなあ!
全く……。今度は、千羽鶴でも、花束でも、持ってこようかな。
「そうだね」
平和記念資料館は、入るだけで九〇分待ちらしい。列の最後尾で待ち時間のプラカードを持った係員の人がいるのを見つけて、入るのを諦めてしまう。
「入らなくて、いいの?」
知ることも大切だけれど、一番はこの場所で感じ入ること、祈ることだと思うから。目的は達せられたんじゃないかな。
「そう」
お、ちょっと頬が緩んでる。
「緩んでない」
いいじゃん、少しくらい緩んでるって思っても。
「べー」
結局、時間の関係もあって資料館は断念する。中に入れば、きっと原爆ドームと同じように、本物を目にすることができたのだろう。それを目の当たりにしなかったのに、後悔がないと言えば嘘になる。
「また、来れば良い」
その時はもっと時間に余裕を持ってこようね。
平和記念公園から、広島駅まで歩いて帰る。
「路面電車、つかわないの?」
平和記念公園で周辺のパンフレットを貰ったんだけど、このくらいなら歩けるかな、って。あと、おみやげも買って帰らないといけないしね。
「お昼ご飯も」
そうそう。
「お好み焼き?」
どうかなあ。お好み焼きは昨晩食べたし、別の物がいい気もするなあ。
とは言っても、何を食べるか、何が食べたいかの明確なビジョンなどなく、孤独のグルメよろしく僕の足はふらふらと商店街アーケードをさまよう。
「……どうするの?」
どうしよう……。
アーケードから伸びた一本の細道がふと目に入る。
そこには、一軒の古びた海鮮系のお店。パンフレットにも載っていない、地元の店と言った趣の小料理屋があった。
「天ぷら……?」
そうみたい。
店の前に二人連れの客が並んでいる。聞けば相席なら一人でも入れるらしい。
「……入る?」
うーん、待とうかな。
相席はせずに外で待っていると、女将が注文を聞いてきた。お品書きの一番上にある海鮮天丼を頼むことに。
さらに待つこと十数分。
ようやく店内に通されると、思った以上に店は狭かった。
カウンター席が五つと、奥に畳席が一つ。相席っていうのはきっとそちらのことで、六人も座ればぎゅうぎゅうになってしまうくらいのテーブルが一つあるだけだ。
「本当に、小さなお店」
何て言うか、逆に期待できるなあ。
間もなく注文した海鮮天丼がやってくる。丼の米が見えないほどに乗せられた天ぷら。たれはついておらず、別皿についてきた天つゆにつけて食べるらしい。
「あまり見たことない形」
こっちではメジャーなのかな?
天つゆをかけてもよいらしいが、せっかくなので天ぷらをつゆに浸して天ぷら御膳のように食べる。
旨い……。サクサクの衣が、それぞれのタネの旨味を閉じ込めている。控えめな味の天つゆが、旨味を後押ししている。
具材も豊富だ。
魚卵、エビ、穴子、大葉、ししとう、牡蠣……。
「この魚、何?」
中央に頭から突っ込まれた魚は、鮎っぽい顔形をした魚。
海鮮天丼だから、鮎が入ってると考えるのは不自然だ。
「でも、鮎だよね?」
うん、鮎っぽい。カリッと揚がったその魚は、頭から一気に食べることができる。骨を感じさせないのは、鮮度ゆえか、はたまた調理の技量ゆえか。
「エビの尻尾よりも、柔らかい」
本当にね。
牡蠣の天ぷらも、しっかりとした牡蠣の風味とサクサクの食感が素晴らしい。苦手な僕でも食べられるのだから、牡蠣が好きな人にはたまらないだろう。
「このお店、正解?」
正解も正解、大正解だよ。
丼からはみ出るほどの天ぷら、そのどれもが旨いとか、最高。
「よかったね」
あっという間に平らげて、店内を見る。
芸能人のサインが飾られてあったり、何か雑誌に紹介されたみたいな記事がほとんど見られない。もしかしたら、店主がそういうもの一切を断っているのかも知れない。
「いいお店を見つけられたね」
そうだなあ。
店を出てアーケードに戻り、近くにあった土産物屋でお土産を買っていると、外からチンドンの音が。
店員がざわつく中、外に出てみると、どうやら明日のメーデーに先立って政権批判の練り歩きをしているらしかった。
「平和」
確かに、平和を感じるねえ。いやあ、練り歩いている人たちは真剣なんだろうけど、真剣だからこそ、ってヤツだね。
「メーデーと新天皇即位が被ってるって、怒ってる」
物の見方はひとそれぞれ、ってことだね。
「……混ざる?」
混ざらないよ……。
歩いて広島駅に着く。
足はくたくた、疲労はピーク。新幹線は指定席も取れず。
「立ちっぱなし?」
それは勘弁願いたい。
聞けばどうやら広島始発の東京行き新幹線があるとのこと。時間はかかるものの、座れるのならそれに越したことはない。
「ゆっくり帰ろう。新幹線内で今回の旅を振り返りながら」
それもいいね。
ほとんど人のいない新幹線に乗り込む。まさかこんなに人がいないとは思わず、皆次にやって来て、先に出る新幹線に乗り込むようだ。
次の新幹線は博多から東京に向かう新幹線で、車窓からその新幹線をうかがえば、席は全て埋まっているようだった。
「……こっちで良い」
僕もそう思います。
という訳で、ゆっくりと座りながら帰路に着く。途中、車内で退位礼正殿の儀のネット中継を見る。
「偶然だけど、見られて良かった」
そうだね。
「ねえ」
ん?
「今回の旅、楽しかった?」
楽しかったよ。色々あったけど、やっぱり旅に出ると自分が広がっていくような感じがある。
知らない世界に触れて、本物を見聞きして、見聞を広めるってこういうことなんだな、って思った。
「そう」
また、旅をしたいなあ。
「そのときは、また一人?」
それは分からないけれど。
「ご予定は?」
いや、そんなはっきり聞かれてもないけど……。
「そう」
いや、そう、じゃなくって……。
まあ、一人旅でも、そうでなくても、今回の旅の経験が無駄になることはないし、思い出の一つとして大切にしまっておくことにするよ。
平成最後の旅は、こうして退位礼正殿の儀と共に幕を下ろしたのだった。
平成最後の旅行をイマジナリー彼女と共に 雷藤和太郎 @lay_do69
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